デモクラティックスクールまんじぇ まんじぇの仲間ブログ

何気ない日々の家庭から見えてくる(?)まんじぇ♪
保護者・生徒・ボランティアなど、まんじぇに関わる者たちで書いています

質疑応答の会にて②−4

2017-02-27 10:00:41 | 質疑応答

質疑応答の会を開く事になったいきさつと趣旨

質疑応答の会にて①−1

質疑応答の会にて①−2

質疑応答の会にて②−2

 

問い

子供がわからないとか、判断できそうになくて困ってしまう様な事が起こった時、

「こども主体」として進める上で大人が気を付けたり、慎重にした方がいい事はありますか?

 

質疑応答の会にて②−3からの続き

 

スタッフ:自分の責任と思えると収穫なんだけど、そう思えないと得る物無いかな。

そこは厳しいと思う。

子供たちにも、いつも説明会でも言ってるけど、

自由というのは好き勝手ではなくて、責任とセットだから、自由って厳しいよと言ってる。

それが保護者にも求められるね。

責任とセットになっている自由の厳しさ。

よりよくしたいと思うことがあれば、その状況を作った責任は自分にもあるし、

自分が変えていくべきだから。

そこを自覚してもらうのってなかなか難しい。

大人が、頼まれてもいないのに子どものしたことの責任を取ってしまうことは、

子どもをバカにした、見下した行為。

同じように、保護者の人に対しても私は教師のような立場でいたくない。

もちろん、私の方が経験は豊富だけど、教育理念を理解するのに同じだけの経験はいらないから。

 

保護者:これ程に自己責任を感じる場は無い。究極の自己責任。

自分で仕事とかしていたら勿論そうだけれど、

自己責任という言葉を子供とだったり夫婦の間でも、こんなに口にする事はないし、

スクールに通っている事を通して、家庭内の気付きもある。依存してたり、誰かのせいにしてたり。

デモクラティックスクールは何が起きても自己責任だから、

子供自身が選んだことも自己責任だし、親が行かせた事も自己責任。

 

保護者:その辺りは入る前に親にも子にも問わないといけない事だね。

 

スタッフ:○スクールとか厳しくしているみたい。色々変遷した結果だと思うけど。

 

保護者:厳しくとは具体的には?

 

スタッフ:両親共にデモクラティックスクールの理念を理解していないと入学できないとか。

 

保護者:そうですね、でないと子供が板挟みになってしまう。

 

スタッフ:母親だけとか父親だけではダメ。徹底的に話をしてそれからでないと。

スクールとしてはとてつもない労力なんだけど、

後になってぐちゃぐちゃになる事を今まで経験して来たから、それを避ける事ができると。

 

保護者:私が入った時は意外にそれが余り求められてなくて。

オルタナティブスクール(代替教育)として入ったから。

でも、デモクラティックスクールの考えも受け止められるから大丈夫なんだけど、

受け止められない人たちを見ると、ああ、どうしたらいいのかな?と思う。

 

保護者:それは、気付いて、そのあとどう選択するか。

わからない訳だよね、デモクラティックスクールの概念が自身にないから

子供が入学してやっとわかってくる。

 

スタッフ:普通の学校では子供をお金払って預けて終わり。

で、何かあったら、お金払ってるのになんでちゃんとやってくれないの?

という関係でしかないから、それをずっと引きずっちゃって、同じ感覚でいるとズレてくる。

何か起きたらそれも自分も責任があると言う風に思ってもらえないと困る。

 

保護者:このあたりを明確にしないとずっと不満も募るし、不信感も消えないかも。

 

スタッフ:感覚として理解して欲しいのは、厳しいけど、裏には信頼があるって事。

子供達にできるって信じてるし、能力があると信じてるから責任を子供たちにも求めるし、

保護者に対しても一緒。その陰にあるのは信頼だよ、と。

 

保護者:子供を相当信頼してないよね、私たち。

普段の人間関係も信じてなかったり。気付かされる。

 

スタッフ:でもね、同時に責任があるって事は、自分にそれをなんとかする能力があるって事。

責任がない物は動かせない。

人のせいにしている限り、自分は無力な人になっちゃう。

自分に責任があるって事は、自分に変えられるって事。

そこは多分、子供たちに伝えているし、伝わってると思う、日々の中で。

そこが生きる力、エネルギーになってると思う。



<次回、新たな質問です。>

質疑応答の会にて②−3

2017-02-25 12:31:26 | 質疑応答

質疑応答の会を開く事になったいきさつと趣旨

質疑応答の会にて①−1

質疑応答の会にて①−2

 

問い

子供がわからないとか、判断できそうになくて困ってしまう様な事が起こった時、

「こども主体」として進める上で大人が気を付けたり、慎重にした方がいい事はありますか?

 

質疑応答の会にて②−2からの続き

 

保護者:あの時は、彼に話を聞きたかったけど、言わないんですよね。

大人って知りたがるからあれこれ聞きたいんだけど、絶対言わないの。

何を言わないかって言うと、どんな事が起きてるの?とか、何を言われてるの?って事は絶対言わないんですよ。

言わないから、私がそこを掘っても解決しないし、それ聞いても仕方ない。

それでどうしようかな?と思って・・・・.

普通に話を聞いたら、やっぱり感情的になって、

私も「そんな酷い事になってるの!?」ってなってしまうと思ったから、

インタビューをしますと言って、彼に質問しました。

記者の気分になって。母親っていうのを一旦、横に置いた感覚で。

起こっている事でどう感じているのか?とか、

最近のまんじぇと一年前のまんじぇはどう違いますか?とか、

今どうしたいですか?とか、

スタッフさんに伝えたい事はありますか?伝えて欲しいですか?とか。

それで、スタッフさんに伝えました。

それから行くのもちょっとしんどいし、ビジターになりたいと言ったので参加日を減らしてました。

それ以外の事はしてないです。

まんじぇで話し合いの場が設けられたし、設けたいと本人も言っていたし、

その話し合いで出た結論の効果があったか私にはわからないけど、

ただ一つ、「時間が経過した」っていうのが一番大きいだろうなと思います。

ただそれだけ。

まんじぇでは、誰かがミーティングでフォローしてくれるとか、

さっきの話のように、スタッフさんに合図で助けてもらえるようになったりとかあったのでしょうけどね。

親はただ、一緒に時間を過ごして来ただけ。

彼の中に何か備わったかはわからないし・・・・経験を積んだってだけで。

 

スタッフ:経験が意味のない物ではないと見てる。

 

保護者:今後、また起こってきた時に、彼は大きくなってるし、

その時どういう立ち振る舞いをするのかな?って思ってます。

デモクラティックスクールに通わせる親として求められるのは、

そういう時に、待つ、というか、受け止める。

子供が傷ついてる姿、元気ないな、って姿を受け止める責任を負うだけ。

何か対策を、とか、何か提案を、とか言うのは、親として無責任だと思う。

デモクラティックスクールに通わせるんだったら、そんな事したら責任を取っていない事と同じ。

親は、子供がどんな状態であっても、

見つめる、という責任を果たさなきゃいけない、という風に思います。

 

保護者:起きる事は、すべて自分の選択から来てるし、経験している。


保護者:親がうわーっとパニックになったりとか、

それが耐えられないから辞めさせますって言うなら、入る時によく考えて欲しいと思う。

 

保護者:デモクラティックスクールは特殊だから、親が覚悟して欲しい。

子供はスクールの中で人生を生きているけど、親が感情に翻弄され過ぎる。

親は本当にお金出す以外何もしない、くらいの気持ちを強く持って欲しい。

 

保護者:ただ、起こってくるリスクは、入ってみないとわからないし、その子その子で違う。

 

保護者:大丈夫と思っててもやっぱり結構辛かったりね。

 

保護者:入学してから親が試される場面が多い。親も学ぶのがデモクラティックスクール。

日常の子供を見ながらもだけど、運営会議も関わりながら、親が成長、自立して行く場所。

一般教育を受けてきてるから、子供がデモクラティックスクールに通う事で親が学ぶし学んでる。

私も本ではいくらでも学んだけど、実際子供が行き始めてからの方が、物凄く収穫がある。

というか、分かっていない事に気付くね、そうだったのか!と。

 

スタッフ:収穫にするかどうかが向き合い方。

 

保護者:まさか自分が?と思ってる。


<続く>

質疑応答の会にて②−2

2017-02-23 10:28:39 | 質疑応答

質疑応答の会を開く事になったいきさつと趣旨

質疑応答の会にて①−1

質疑応答の会にて①−2

 

問い

子供がわからないとか、判断できそうになくて困ってしまう様な事が起こった時、

「こども主体」として進める上で大人が気を付けたり、慎重にした方がいい事はありますか?

 

質疑応答の会②ー1からの続き

 

保護者:親は「待ち」の姿勢がとても必要なんだと思う。

デモクラティックスクールに関わるに当たって親はそこが必要。

子供は完全、完璧な状態で生まれてくると思えていると、信頼して何もしないけれど、

不足感があると一般教育のように何かを与えてしまう。

だから、信頼する・待つ、という事がやはり、保護者やスタッフに必要だと感じている。

ただ、私たち自身が一般教育の中で育ってきているから、どうしても子供を見つめ切れない時がある。

 

スタッフ:世話をしないといけない対象として見てしまいがち。

 

保護者:すごくそうしていると思う。必要ない事まで与えていると思う。

家に居たら、子供に対しては与えたい放題になっていると思う。

 

スタッフ:大人同士も発言の場で言い易い様に、という話も最近出て来ているけど、

子供でも一緒で、言い易いようにしてあげる、という時点で、既に上から見てる。

言えてない、でなくて、言わない、と見ないと。

言える様にしてあげなきゃとか、

言い易い様な環境にしてあげなきゃと言う事は、見下しているんだと思う。

 

保護者:大人と子供とでは違うと思う。

大人は一般教育の中で育って来てるから、少しそこを汲む様にしないと、

誤解を生んで去って行ってしまうというのが残念。

折角、子供がここを選んで来たのに、

大人の事情で去って行ってしまう事が起きてるように見えるんだけど、それを防ぎたい。

子供はできる限り「待つ」の姿勢がいいかと思うけど。

傷ついてる本人を見ると親としては大変かな・・・・。

1ヶ月・2ヶ月・3ヶ月、変化なく続いたらどこまで待ったら良いんだろう?って。

 

スタッフ:待つ・・・・。待つって言うのも、微妙な感覚で、

待つって事は期待してるという事で、今の状態を否定してるよね?

だから、そうならない方がいいかな?という気がするけどな・・・・。

 

保護者:待ってしまうよね。

 

保護者:今がベスト、何が起きててもベスト、と言う感覚で見ていたい。


保護者:○ちゃんの時、どうだった?

手を差し伸べる方がいいのか・・・・ケアとか・・・・

何もしないでいるのか。


<続く>



質疑応答の会にて②−1

2017-02-21 11:36:01 | 質疑応答

質疑応答の会を開く事になったいきさつと趣旨

質疑応答の会にて①−1

質疑応答の会にて①−2

 

②『こども主体』において大人が気をつける事と慎重になる事

 

問い

子供がわからないとか、判断できそうになくて困ってしまう様な事が起こった時、

「こども主体」として進める上で大人が気を付けたり、慎重にした方がいい事はありますか?

 

 

スタッフ:子供によって対応を変えている。

まんじぇの環境にまだ慣れていない子で、活動が止まってしまう場合。

例えば、それまで大人が全部手を差し伸べてくれていた、ここ(まんじぇ)はしてくれない。

そういう時、自分から発すれば助けてもらえると分かっているかどうか不明な時は、

声かけをする時はある。

いきなり「助けるよ。」じゃなくて、「助けて欲しいと思ってる?」という確認をする。

いらないと言われる事が多い。

大人の感覚で「手伝おうか?」とか「困ってる?」とか言っても、いらないと言われる事は多い。

助けて欲しい時は、「じゃあどうしようか?」という話になり、case-by-case。

どこまで助けるかも、慎重にしている。

子供の求める手助けの域を確かめる。


算数で、割合が知りたい子がいた場合を例に取ると、

○割引と書いてあるその意味がわかればいいのか、

自分が割引後の計算ができるようになりたいのか、

その計算に分数や小数が必要になるかもしれないからそこからやりたいのか、

どこから?と。

これはチャンスとばかりに大人が必要以上の範囲を与えようとするのでなく、

本当に欲しい所はどこなのかを確認するようにしている。

そうでないと、大人がやり過ぎたり、出過ぎになる事が多い。

そんな風に、聞いた方がいいのかな?と思って私の判断で聞いている時でさえ、断られる事が多いという事は、

本当は聞かなくてもいい事を聞いてるのかな?と、

もうちょっと聞かなくても良かったのかな?と思うこともある。

 

保護者:そうやって悩んで困って考えていたい時間かもしれない。

 

スタッフ:その辺、微妙だなと思ったのは、前に、○ちゃんが色々嫌な事があったりした時に、

私はわからくて。彼がどの位ダメージを受けているのか。

見えない。見せないよね?あの人。

わからなくて、時々声は掛けていたけれど。まぁ、いいのかなぁと思っていたら、

お家での話では保護者さんから聞いたら、意外とダメージを受けていたかも?と思った事があって、

ただ、それを大人(スタッフと保護者)だけで話しててもね・・・・?と思って、本人に聞いたら、

やめてルール使えるよ?とか言われても、使いづらい、

どう使っていいかわからない、タイミングや、どう言葉を出していいかわからない時がある、と聞いたから、

じゃあ、そういう時は助けた方がいいのかな?と言ったら、そうして欲しいと。

ただ、私はどういう時に助けて欲しいのかわからない。

それは本当に本人じゃないとわからない。

そうじゃないのに助けて欲しいと思ってるんじゃないの?と思って

私が判断して助ける事は出来ないから、最低限それは合図してくれる?と言ったら、

わかった、と言ってくれたから、

じゃあサインが有ったら助けるからその時はね、となったけど、

でも、それはお家でのやり取りが有って、それを私が聞かなかったら、もしかしたら知らずにいて、

なんとなく言いづらい、嫌だなぁとなってた可能性もあるよね。

でも長い目で見たら、もしかしたらそれでもやっぱり後から、自分が言えた方が良いと思う時がいつか来て、

戻ってきた可能性もあるとは思う。

だから余計なお世話だった可能性はゼロじゃない。だからその辺は微妙。

 

保護者:難しいところ。親は見てられない。


<続く>

質疑応答の会にて①−2

2017-02-19 20:29:40 | 質疑応答

質疑応答の会を開く事になったいきさつと趣旨

 

問い

日常の活動中、保護者が関われる事と関われない事の基準はありますか?

また、その基準があるとすると変更は可能ですか?

 
 

スタッフ:例えば、ボランティア希望の方、見学の方が来て、

一見楽しそうにしている様に見えるんだけど、

後から聞くと、「もう来なくていい」という事もある。

すごく気を遣ってくれているから、それを考えると慎重でありたいと思う。


スタッフはいつもいつも、自分の行動が子供達に何かを期待しての行動になっていないかどうか、

こういう事を学んで欲しいという思いが潜んでいないか、常に常に点検しているし、

逆にしない事も同じ様に。

何かする事で、子供達に乗ってきてくれないかな?とか、

ここからこれ学んでくれないかな?とかもアウトだし、

逆にスタッフがしない事で、子供たちちょっとやる気にならないかな?もアウト!

だから慎重にしていきたい。

行動そのものだけでは判断できないけど、意図が伝わるからそこにすごく気を付けている。


では、どこまでスタッフが何かしている事はO.Kか?

意図してなかったらO.Kか?

はスクールによりけりで、

スタッフも一緒の場を共有している一人として、子供に何かさせようとか一切なく、

自分のやりたい事やっているだけならO.K、とか、

大人がその場で何か動くだけで影響力が大きいから、

例え子供たちに対して何らかの意図が全く無くてもしない。

ほんとにそっと傍観者。

外から何も作用せず、子供たちが子供達の思いだけで

そこに居られる環境になっているかどうかだけを配慮して、

後は運営に徹している、という所もある。

その辺りはスクールによりけり。

 

まんじぇも広さがあって、子供たちも居る場所が毎日バラバラに、好きな場所にいられるなら、

毎日でなくたまに誰かの保護者さんが付いて来て、

帰るまでの間に少し長居した位なら気にならないが、そうでないなら慎重でありたい。


私は、保護者の人が入りたいと思う理由がわからない。

その時間に何か関われる訳ではないし、関わるべきでもないと思うし、

その状態でできるだけ影響がない様に・・・・と考えるとそこに居る意味が無いから。


ただ、子供たちからすると、例えば誰かの保護者さんが付いて来て、

遊び相手として、トランプの1メンバーになって欲しいとか言う事はあるから、

オファーがあればアリかと思う。

大人の側から居たいという理由がよくわからない。

 

最後になってしまったけど、

私が今、言ってる基準は、デモクラティクスクールネットワークの中の基準。

本家のサドベリーの基準とズレない様に意識している。

今、デモクラティックスクールとかサドベリスクールとかって名乗る事は自由なので、

中には違うけど名乗っているスクールもあるし、それを私たちが止められる訳でもないから、

基準をこだわりたい、守りたいというスクールが集まっているし、

ネットワーク加入の場合は、

大人発信の物が入っていないか?

大人と子供が対等かどうか?

の確認はしており、承認がないと加入できない事になっている。


ネットワークの加入スクールが大切にしていきたいと同意している

ポイントや筋、やり方など、同じものを求めているかどうかを見ている。

これから増えるであろうデモクラティックスクールのジャッジの役割を

これからもずっとネットワークが続けていくのかどうかは、

現在、議論されているので、この先どうなるかはわからない。


①デモクラティックスクールにおける保護者の関わりの基準

について、以上。