問い
子供がわからないとか、判断できそうになくて困ってしまう様な事が起こった時、
「こども主体」として進める上で大人が気を付けたり、慎重にした方がいい事はありますか?
質疑応答の会にて②−3からの続き
スタッフ:自分の責任と思えると収穫なんだけど、そう思えないと得る物無いかな。
そこは厳しいと思う。
子供たちにも、いつも説明会でも言ってるけど、
自由というのは好き勝手ではなくて、責任とセットだから、自由って厳しいよと言ってる。
それが保護者にも求められるね。
責任とセットになっている自由の厳しさ。
よりよくしたいと思うことがあれば、その状況を作った責任は自分にもあるし、
自分が変えていくべきだから。
そこを自覚してもらうのってなかなか難しい。
大人が、頼まれてもいないのに子どものしたことの責任を取ってしまうことは、
子どもをバカにした、見下した行為。
同じように、保護者の人に対しても私は教師のような立場でいたくない。
もちろん、私の方が経験は豊富だけど、教育理念を理解するのに同じだけの経験はいらないから。
保護者:これ程に自己責任を感じる場は無い。究極の自己責任。
自分で仕事とかしていたら勿論そうだけれど、
自己責任という言葉を子供とだったり夫婦の間でも、こんなに口にする事はないし、
スクールに通っている事を通して、家庭内の気付きもある。依存してたり、誰かのせいにしてたり。
デモクラティックスクールは何が起きても自己責任だから、
子供自身が選んだことも自己責任だし、親が行かせた事も自己責任。
保護者:その辺りは入る前に親にも子にも問わないといけない事だね。
スタッフ:○スクールとか厳しくしているみたい。色々変遷した結果だと思うけど。
保護者:厳しくとは具体的には?
スタッフ:両親共にデモクラティックスクールの理念を理解していないと入学できないとか。
保護者:そうですね、でないと子供が板挟みになってしまう。
スタッフ:母親だけとか父親だけではダメ。徹底的に話をしてそれからでないと。
スクールとしてはとてつもない労力なんだけど、
後になってぐちゃぐちゃになる事を今まで経験して来たから、それを避ける事ができると。
保護者:私が入った時は意外にそれが余り求められてなくて。
オルタナティブスクール(代替教育)として入ったから。
でも、デモクラティックスクールの考えも受け止められるから大丈夫なんだけど、
受け止められない人たちを見ると、ああ、どうしたらいいのかな?と思う。
保護者:それは、気付いて、そのあとどう選択するか。
わからない訳だよね、デモクラティックスクールの概念が自身にないから。
子供が入学してやっとわかってくる。
スタッフ:普通の学校では子供をお金払って預けて終わり。
で、何かあったら、お金払ってるのになんでちゃんとやってくれないの?
という関係でしかないから、それをずっと引きずっちゃって、同じ感覚でいるとズレてくる。
何か起きたらそれも自分も責任があると言う風に思ってもらえないと困る。
保護者:このあたりを明確にしないとずっと不満も募るし、不信感も消えないかも。
スタッフ:感覚として理解して欲しいのは、厳しいけど、裏には信頼があるって事。
子供達にできるって信じてるし、能力があると信じてるから責任を子供たちにも求めるし、
保護者に対しても一緒。その陰にあるのは信頼だよ、と。
保護者:子供を相当信頼してないよね、私たち。
普段の人間関係も信じてなかったり。気付かされる。
スタッフ:でもね、同時に責任があるって事は、自分にそれをなんとかする能力があるって事。
責任がない物は動かせない。
人のせいにしている限り、自分は無力な人になっちゃう。
自分に責任があるって事は、自分に変えられるって事。
そこは多分、子供たちに伝えているし、伝わってると思う、日々の中で。
そこが生きる力、エネルギーになってると思う。