「今日は卒園式でした。
三月に入った瞬間から、最後の月だと思うと、感慨深く何度か涙が出ていた。
過ぎてみればあっという間とも思えるけど、
毎日毎日のことを思えば長い道のりだった。
親の私でもそうなのだから、息子にとったら、いったいどれだけの長さに感じたのだろうと思うと。
三分の一くらいは、行くのを嫌がる毎日。
とてもしんどかった。
嫌がることをさせるというのは、とても苦しいものです。
心が痛いと泣く息子を見ては、たまらない思いをしていました。
でも人はそうやって強くなっていくんだと自分に言い聞かせ、息子にも言い聞かせる。
そのたび、「心が強くなるんじゃなくて、汚くなって弱くなっていくだけ」と訴える息子。
このままでいいのかとの葛藤を抱えながら、嫌がる息子を通わせるのは
本当に苦痛でした。
そんな毎日がしばらく続いたかと思えば、普通に登園する日も続く。
そんな日は楽しめていたのでしょう。
今日の式は担任の先生が辞められるそうで、はじめからずっと泣いていらして、
私もすぐもらい泣き。
人前で泣くのは苦手で自分のことでは、どの卒業式も結婚式も泣いたことはないんですが。
辞めるというのは内緒の話でたまたま小耳に挟んだだけだったので、
謝恩会の時に先生の口から話すかなと待っていたのだけど、
結局話されませんでした。
なので最後の写真撮りの時挨拶した時もそのことにこちらから触れることはできず、
続ける前提で話しました。
息子のことではきっと色々考えたのではないかと思うので、これからも先生は続けてほしいと
いう思いで今後もご活躍くださいと伝えました。
いっぱいよくしてくれて、とても感謝しています。
先生のお陰でここまでこれましたと伝えたけど、先生は、お母さんと息子さんが頑張ってくれたから、
というばかりでしたが、自分のしてきたことをちゃんと評価しているといいと思いますが・・・
この時私は感極まってしまったので、顔面総崩れ・・・
今考えると、沢山のビデオカメラが回っていた可能性が・・・
どんな顔してたんだか・・・どこにも写っていないことを真剣に祈るわ・・・・
息子にとって幼稚園の思い出は、どんななのか・・・・・
ただ年中の時だけは、先生との波長がぴったりで、今も大好きな先生。
年中の間だけは、嫌がる日はほんとに少なかった。
この先生にも感謝の気持ちをどうしても伝えたかったので、
前日から渡そうと息子と二人で用意していた手紙をちゃんと渡せてよかった。。。
この先生は年長の担任ではないのだけど、大人気でいっぱいの手紙やプレゼントをもらっていました。
彼女の人としての柔らかさ優しさは多くの園児や保護者を救う存在だったと思います。
ずっと活躍して欲しいと心から思います。」
卒業の季節、一年前の卒園式を思い出し、その時のこの日記を読み返していました。
あんなに頑張ってムリに幼稚園に通わせていたのは、ひとえに「地元の小学校に行くためにはこの状況に慣れておかないといけないから」
という思いでした。
子どもの「自発性」を一番大切にするよう信頼し尊重して育ててきたのに、それと矛盾するような状況への葛藤を抱えながら。
息子が生まれて間もない頃からサドベリースクールのことは知っていて通わせたいと思いながら、
通える場所にないということで、ホームスクーリングということもほとんど知らず選択肢にもなかったのでした。
もし、通える所にあると知っていればさせなくて良かったことでした。(家族が私だけならですが。。)
幼稚園に入る前は、通うのをものすごく楽しみにしていた息子。
しばらくは、喜んで通っていた。
でも、お遊戯会の練習が始まった頃から、行きたくないと泣くように・・・
厳しい練習で先生方も力が入り他の子が怒られるのを見て、自分も怒られたくないと思ったそう。
一つの行事が済むと間もなくすぐに次の行事のための練習が始まる。その繰り返しできっと
子どもだけでなく先生方も大変だったろうとお見受けしていました。
後日、年長の担任の方は保育園に変わられたと知りました。他の保育も経験したかったとのこと。
今、デモクラティックスクールや他にも多様な選択肢が増えてきています。
このブログを通し同じような不登校・不登園などの経験をされている方々に
少しでも届くことを切に願います。。。
まだまだ一般的に知られているとまではとても言えないので、
初めからこれらのオルタナティブスクールを選ぶ、というのはなかなか難しいのが現状だと思います。
なので子どもの登校拒否や登園拒否がきっかけであることが多いと思います。
そんな時、親子ともに苦しみを長引かせることがないよう、その子に合った教育の形が選べるよう、
また、先生達の選択肢も広がるよう、
もっともっと知れ渡って行くことを願いつつ、
長い文章を終えたいと思います。。。
あや