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靖国問題と対中国外交に思うこと ~後編~

2005-08-04 21:08:43 | @幕張の主張
 最近、週刊誌やテレビで度々お見受けする靖国神社の宮司さんが何度「日本人は死んだ祖先を神として祀る」と声を枯らしたところで中国国民に絶対に理解は得られません。なぜなら、そもそも遺体を物と同列に扱う人々にとって、一般の人が亡くなって神になるなどという論理は太陽が西から昇るような驚きなのであり、表面上は無宗教国家として宗教を否定して存在する中国はあくまでも個人崇拝の国だからなのです。

ここまで違う文化、宗教概念の違いをどのように中国人民に理解させるか。その解決法として日本が採るべき対抗策が二つ提案できます。

一つはプロバガンダです。プロバガンダというとおどろおどろしいイメージがありますが、要はもっと日本を知ってもらうために行なう文化の輸出です。最も効果の早い媒体はテレビとマンガではないでしょうか。TVドラマ「おしん」や谷村新司氏の「昴」など、中国で人気のドラマや歌が日本のものだと知っている中国人民はいったい何人いることでしょう。歌やドラマ、マンガ等を通じてもっと日本に親近感を持たせる、日本を知ってもらうことが「よく知らないけれど恐ろしい国、悪い国」という“日本小鬼”のイメージを少しずつ崩していくのではないかと考えるのです。@幕張的には、以前中国と韓国が共同でリメイクした「101回目のプロポーズ」のようなトレンディドラマや恋愛ドラマが意外と彼等の中にスルリと入り込んでいくような気がします。

中国国営放送がそんなに簡単に日本の番組を放映するのかという疑念もあると思いますが、何も中国国営放送を通す必要などありません。電波に国境などないのです。NHKは海外でも受信できるのですから。後は中国国民が言葉を理解できるようにすれば良いだけです。

そしてもう一つは査証による入国制限の緩和です。こちらは正直なところ、大きなリスクを伴う可能性があります。しかし、日本をもっと開放し、日本を知ってもらうためには多くの中国人民に日本に来てもらわなければ本当の意味で日本を知ってもらう、彼等自身が自分で日本を判断することはできません。ですから、もっと多くの中国人民が日本を訪れ、日本人と交流して日本を判断してもらう必要があるのです。その上で日本を批判し、日本を嫌いになるのであれば、今度は日本が変わって行かねばならないのです。

何といっても人間は話し合うことで様々な問題を解決する能力を備えていますから、日本と中国はとことん話し合うべき時に来ているのかもしれません。昔から「同じ釜の飯を食った仲」と申しますが、一緒に杯を重ねた者同志、同じ食事を食べた者同志というのは自然と親近感が沸くはずなのですが…。
いっその事、各国の国民同士、首脳や閣僚同士をベロンベロンに酔わせてから、腹を割った話し合いに参加させてみたい気もします。

他にも必要な事が考えられます。それは外交路線の転換です。私は以前、靖国神社とは別に国の“無名戦士の墓”としての墓所を築く時ではないかと書きました。それは靖国神社の存在が政治的に利用され、日本外交の隙となっているように感じたからです。しかし、それ以外にも日本外交には多くの隙があり、特に現在は相手国への直接外交が中心となっている事は日本外交を不利に運ぶことが度々あるように思えてならないのです。

現在の外交は多数決が中心です。あの独断専行を好むアメリカでさえイラク侵攻の際には英仏を中心とした多国籍軍を編成し、“世界の平和の代弁者”の名の基にイラクに進撃しました。

翻って日本はどうか。
日本は現在行なわれている六カ国会議でも露呈したように、周辺の国々を味方につけることなく、ただただ直接交渉にこだわって失敗をしています。城を攻め落とすには最初に堀を埋めねばなりませんが、日本は堀を埋めることなく城を攻め続けました。北朝鮮に対して譲歩を引き出すには中国とロシアを抱き込む、中国とロシアを抱き込むためにはアメリカとEUの国々を最初に自陣営に引き込む必要があったはずですが、日本がそれらを行なった形跡が見当たらないのです。

六カ国会議とは言いつつも、その背後にある多くの国々を味方につけ、北朝鮮に圧力を掛けねば何の意味もないのです。それと同じ事が今の日中関係にも当てはまるのではないでしょうか。

中国に対して自らの国内失政の隠蔽や支配者層の利権のために日本をダシに使う事を止めさせ、都合の良いように利用させないためには中国に対して物言える国々を味方につけ、自らが中国に対して物言える国にならなければこの問題は解決しません。靖国問題と共に東京裁判の是非が取り沙汰されていますが、東京裁判を受け入れた事実を過去に確認しながら「東京裁判は無効である」という日本の二枚舌の論理は諸外国には通用しないのです。靖国問題が東京裁判を根拠にしており、国連理事国加盟反対についても国連の旧敵国条項を根拠にしているのですから、論理的には中国側に分があるのです。

その論理の上に立って、中国は日本からの多額の援助、円借款は戦争犯罪国家としての過去の行いに対する償い、賠償であると言明しているわけですから、日本がいくら友情の証と言ったところで中国にとってはゴマメの歯軋り、戦争犯罪国家のたわ言程度にしか感じていないのです。

「靖国問題には根拠がない」というためには東京裁判が戦勝国による不公平な制裁、私刑だったと証明せねばならず、そのためにアメリカやロシア等の旧戦勝国にどのように接するか、そしてそのための戦術はどうするか…。日本の対中国外交戦略には直接外交という近道がなく、ひどく遠回りな迂回路を行かねばならない、そんな意味では中国は相変わらず“近くて遠い国”だと思いますが。

外交問題はまったくのシロウトで門外漢の@幕張ですが、十数年間旅行会社に所属して中国を訪れ、また中国からのお客様を迎え入れた者として、また国際会議や国際イベントで中国と係わってきたものとして興味があります。

取り留めのない文章になってしまいましたが、ご感想などを拝聴できれば幸甚でございます。
       のち

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1 コメント

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駆け引きはいつまで必要か? (doushi)
2005-08-05 19:03:58
時折お訪ねいただいていたみたいです。ありがとうございます。

本当に靖国問題はやっかいですね。それにさらに油がそそがれそうな日が間もなく来そうですが・・。



さてさて、@幕張さんが前編・後編に渡り書かれたこと、同感することもたくさんありました。

特にプロバガンダ的手法は、効果アリと思いますが、すでに行われているようです。先日TVで見ました。日本のマンガや音楽がたくさん流れ込んでいて、若い中国の方にファンがも結構いたのです。その方達は、日本を特におかしく見ていませんでしたよ。



つくづく思いますが、政治とは私達一般の人間の思う位置とは別のところで動いている、そう思います。その政治の持つ見えない影に左右されるかされないか、一人一人が努力して勉強しながら世の中の判断をすることが必要な状態にまで、世界は来てしまっているのではないでしょうか。そして一般の人たちが政治と違う部分で交流し、世界中で同じレベルで価値判断ができるようになったとき、政治家が駆け引きで国を動かそうとしても、それができなくなるのかも知れません。



靖国の宮司さんの、人間は死んだら神になることを、中国の人に理解して下さいと言うこと自体、@幕張さんがおっしゃるように無理なのです。

でも、そう言う見方があることを「認める」ことはできます。

「理解できないから敵」「理解できないものは悪魔」と考えることは、私達が「人間」という生き物である限り、それはおかしい、そんなふうに思います。

但し単なる「動物」であるなら、それほどおかしくは無いと思いませんか?



けれどももうそんな時代では無い、「人間」としての意味を真剣に考えること、それが基本にないと、駆け引き三昧の世界の中で、私達は勝ち組・負け組のレッテルに翻弄されることになります。それも「動物」的生き方の上に、です。



@幕張さんのこのブログ記事を読ませて頂いて、私としての結論は、やはりそこへ辿り着きました。



もしよろしければ、8月5日の私のブログをお読み下さい。

再度考える機会を下さり、ありがとうございました。

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