前月に続き、林家こぶ平改メ九代林家正蔵襲名披露興行へ行った。
先月の襲名披露興行は上野の鈴本演芸場で行われたが、今回は、新宿末廣亭である。
上野鈴本演芸場を皮切りに、10日間ごとに東京の各寄席を回るのだ。
末廣亭での襲名披露は今日までで、この後は浅草演芸ホール(4月11日~4月20日)、池袋演芸場(4月21日~4月30日)で行われる。
鈴本演芸場での興行も連日満員だったが、今回の末廣亭も、連日満員のようだ。
幸い、前売券を買っていたのだが、それもすぐに売り切れてしまったらしく、開場前には当日券を求める人で長蛇の列ができていた。
末廣亭での襲名披露興行には、「お楽しみ」が設けられていた。
上方から、桂春團治師匠、桂三枝師匠、笑福亭鶴瓶師匠が、交替でゲスト出演するというのだ。
私は、上方落語が大好きで、この3人の師匠はどなたも好きだが、なかでも特に春團治師匠が好きである。毎年東京で開催される一門会にも、必ず足を運んでいるくらいだ。
その春團治師匠が末廣亭の高座に上がるというのだから、これはぜひ聴きたい! と思っていたのだが、前売りを買っていたのと別の日で、しかも平日だったので、残念ながら行かれなかった。
友人は、2回足を運んだらしい。
春團治師匠も、末廣亭という、東京の歴史のある寄席に出演されたことをとても喜んでおられたようだ。
近年、落語界の東西交流が盛んになってきているが、これを機に、東京の寄席にももっともっと上方の師匠をあげていただきたいなと思う。
私が行った日は、桂三枝師匠がゲスト出演されていた。
三枝師匠は、ご自身による「創作落語」に長年取り組んでおられるが、創作された噺の数は大変多く、完成度も高い。
三枝師匠の独演会にも足を運んだことがあるが、とても面白かったことを今でも覚えている。
ホールとは勝手がちがう末廣亭の高座に、さすがの三枝師匠もいささか緊張気味のようだったが、得意の創作落語で盛り上げておられた。
トリの九代林家正蔵師匠も、上方のベテラン師匠に負けじとがんばっていた。
この日の噺は「一文笛」。
この噺は、桂米朝師匠の作によるもので、米朝師匠の一番弟子の桂ざこば師匠も得意とされている。
東京では、故・桂三木助師匠がよく高座でかけておられた。
正蔵師匠も、こぶ平時代からこの噺を高座でかけておられた。
米朝師匠じきじきに稽古をつけていただいたこともあるそうだが、そのときのエピソードを、笑いをまじえて語っておられた。
ただうまくやろうとするだけではなく、気持ちの入った落語をやるのが、正蔵師匠のよいところだと思う。以前の記事でも述べたが、それはこぶ平時代から言えたことだ。
ただ、気持ちが先走ってしまうと、空回りしてしまうおそれがある。
そのあたりの緩急・強弱をつけられるようになるには、経験も必要なのだろう。「気持ち」と「技術」がほどよいバランスで融合されてこそ、名人芸ができあがるのだと思う。
前にも述べたとおりだが、新正蔵師匠には、その素質は十分にあると思う。
あとは、寄席の高座を大切にしながら、大きな名前に甘んじることなくその素質を磨いていってもらいたいと思う。
10年後の正蔵師匠が楽しみである。
<本日のキモノ>

以前、インターネットのバーゲンで買った結城紬が仕立て上がったので、さっそく着て出かけた。
写真ではかなり白っぽく見えるが、実際はもっと緑がかっている「薄柳色」である。
八掛も同じ色の紬地のものをインターネットの共同購入で買ったのだが、この八掛にはワンポイントの柄が染められているので、無地の着物の裾からワンポイント柄がのぞく。
軽いので着心地もよくとても気に入ったのだが、ショックなことが。
仕立ておろしたその日だというのに、ソースのシミがついてしまったのだ。
食べているときについたシミではあり得ないようなシミの付き方(左の袖や肩のところに、点々とソースのシミがついている)から考えて、料理が運ばれてきた際、皿の上のものが倒れた拍子にソースが飛んだらしい。
食事の途中で気が付き、あわてて洗面所へ行ったのだが、とれなかった。現在、呉服屋さんに頼んでシミ抜きに出してもらっているところだ。
いちおうレストランに言ってみたのだが、とりあってもらえなかった。
こちらもその瞬間に気づかなかったので、レストランに費用を出してもらおうとは思わないが、レストランの店長(料理を運んで来た人)の言い分が、いかにもとってつけたようで的を射ていなかったのが、腹立たしかった。なので、その店には二度と行かない。
襲名披露興行なので少し改まった感じが出るよう、織りの着物だが帯は染め帯ではなく、金糸の入っていない織りの名古屋帯にした。
根付は「大入」の額をかたどったもの(写真では裏返ってしまっているが、「大入」の文字が額に書かれている)。何とこの根付、何かの「おまけ」でついていたのだ。最近の「おまけ」は進化している。
先月の襲名披露興行は上野の鈴本演芸場で行われたが、今回は、新宿末廣亭である。
上野鈴本演芸場を皮切りに、10日間ごとに東京の各寄席を回るのだ。
末廣亭での襲名披露は今日までで、この後は浅草演芸ホール(4月11日~4月20日)、池袋演芸場(4月21日~4月30日)で行われる。
鈴本演芸場での興行も連日満員だったが、今回の末廣亭も、連日満員のようだ。
幸い、前売券を買っていたのだが、それもすぐに売り切れてしまったらしく、開場前には当日券を求める人で長蛇の列ができていた。
末廣亭での襲名披露興行には、「お楽しみ」が設けられていた。
上方から、桂春團治師匠、桂三枝師匠、笑福亭鶴瓶師匠が、交替でゲスト出演するというのだ。
私は、上方落語が大好きで、この3人の師匠はどなたも好きだが、なかでも特に春團治師匠が好きである。毎年東京で開催される一門会にも、必ず足を運んでいるくらいだ。
その春團治師匠が末廣亭の高座に上がるというのだから、これはぜひ聴きたい! と思っていたのだが、前売りを買っていたのと別の日で、しかも平日だったので、残念ながら行かれなかった。
友人は、2回足を運んだらしい。
春團治師匠も、末廣亭という、東京の歴史のある寄席に出演されたことをとても喜んでおられたようだ。
近年、落語界の東西交流が盛んになってきているが、これを機に、東京の寄席にももっともっと上方の師匠をあげていただきたいなと思う。
私が行った日は、桂三枝師匠がゲスト出演されていた。
三枝師匠は、ご自身による「創作落語」に長年取り組んでおられるが、創作された噺の数は大変多く、完成度も高い。
三枝師匠の独演会にも足を運んだことがあるが、とても面白かったことを今でも覚えている。
ホールとは勝手がちがう末廣亭の高座に、さすがの三枝師匠もいささか緊張気味のようだったが、得意の創作落語で盛り上げておられた。
トリの九代林家正蔵師匠も、上方のベテラン師匠に負けじとがんばっていた。
この日の噺は「一文笛」。
この噺は、桂米朝師匠の作によるもので、米朝師匠の一番弟子の桂ざこば師匠も得意とされている。
東京では、故・桂三木助師匠がよく高座でかけておられた。
正蔵師匠も、こぶ平時代からこの噺を高座でかけておられた。
米朝師匠じきじきに稽古をつけていただいたこともあるそうだが、そのときのエピソードを、笑いをまじえて語っておられた。
ただうまくやろうとするだけではなく、気持ちの入った落語をやるのが、正蔵師匠のよいところだと思う。以前の記事でも述べたが、それはこぶ平時代から言えたことだ。
ただ、気持ちが先走ってしまうと、空回りしてしまうおそれがある。
そのあたりの緩急・強弱をつけられるようになるには、経験も必要なのだろう。「気持ち」と「技術」がほどよいバランスで融合されてこそ、名人芸ができあがるのだと思う。
前にも述べたとおりだが、新正蔵師匠には、その素質は十分にあると思う。
あとは、寄席の高座を大切にしながら、大きな名前に甘んじることなくその素質を磨いていってもらいたいと思う。
10年後の正蔵師匠が楽しみである。
<本日のキモノ>

以前、インターネットのバーゲンで買った結城紬が仕立て上がったので、さっそく着て出かけた。
写真ではかなり白っぽく見えるが、実際はもっと緑がかっている「薄柳色」である。
八掛も同じ色の紬地のものをインターネットの共同購入で買ったのだが、この八掛にはワンポイントの柄が染められているので、無地の着物の裾からワンポイント柄がのぞく。
軽いので着心地もよくとても気に入ったのだが、ショックなことが。
仕立ておろしたその日だというのに、ソースのシミがついてしまったのだ。
食べているときについたシミではあり得ないようなシミの付き方(左の袖や肩のところに、点々とソースのシミがついている)から考えて、料理が運ばれてきた際、皿の上のものが倒れた拍子にソースが飛んだらしい。
食事の途中で気が付き、あわてて洗面所へ行ったのだが、とれなかった。現在、呉服屋さんに頼んでシミ抜きに出してもらっているところだ。
いちおうレストランに言ってみたのだが、とりあってもらえなかった。
こちらもその瞬間に気づかなかったので、レストランに費用を出してもらおうとは思わないが、レストランの店長(料理を運んで来た人)の言い分が、いかにもとってつけたようで的を射ていなかったのが、腹立たしかった。なので、その店には二度と行かない。
襲名披露興行なので少し改まった感じが出るよう、織りの着物だが帯は染め帯ではなく、金糸の入っていない織りの名古屋帯にした。
根付は「大入」の額をかたどったもの(写真では裏返ってしまっているが、「大入」の文字が額に書かれている)。何とこの根付、何かの「おまけ」でついていたのだ。最近の「おまけ」は進化している。
