163頁
(ジェローム) ぼくにはそういう微細な事柄は分からないんだ。
(ヴィオレット) たぶん、わたしの表現の仕方がまずいのでしょう。わたしの言おうとすることは、彼女の言っていることそのままではなくて、むしろ彼女が存在しているという事実なのよ。どういうふうに彼女が存在しているにしても。
(ジェローム) きみが彼女の秘密を発見したのなら、きみはぼくよりも前進したね。
(ヴィオレット) 誰が秘密などを話しているというの? 最後にわたしたちがおしゃべりしたときに…
(ジェローム) 音楽はもう、きみたちにとって口実でしかなくなっている…
(ヴィオレット) わたしは、わたしがとても好きなヴォージュ山脈の路を連想していたの。数時間のうちにひとつの頂上からもうひとつの頂上まで歩くのよ。わたしたち他の者は、やっとの思いで峡谷を進んでいるのに、アリアーヌはいつも稜線の路の上にいるの。
(ジェローム) 稜線の… ぼくにはそれは、かなり下手な地口としか思えないな。
(ヴィオレット) 分からないわ。
(ジェローム) ぼくは、それは、ばかばかしい名前であるアリアーヌのことだと推定しているんだよ… だけど、際限の無いその会話に戻ろうとして、きみは、その会話はぼくの中に最も苦痛な思いを生じさせるものであることを、頑なに理解すまいとしている。(つづく)
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(つづき)まだ言い足りない。ぼくがその会話にもう耐えられないことは、絶対に決定的なのだ。
(ヴィオレット) 彼女はじきに発つのよ。
(ジェローム) きみたちの会話が手紙で続けられないと、何がぼくに保証してくれる?
(ヴィオレット) じつのところ… (ヴィオレット、言うのをやめる。)
(ジェローム) 何を言おうとしたの?
(ヴィオレット) いいえ、何も…
(ジェローム) アリアーヌが漠然とながらでも真実に気づいて、ぼくたちを引き離す恐ろしい方法を見つける、ということはないと、誰に分かる?
(ヴィオレット) あなたは理性を失くしているわ。
(ジェローム) しばらく前から、彼女は以前と同じではないんだ。彼女をあんなに疎遠に感じたことは、今までに一度も無い。ああ! ぼくにたいする愛情が減っているというのではない。逆だよ。でもぼくには説明できない。まるで彼女は、理解のできない高揚に捕えられているみたいなんだ。このことは、ぼくが彼女に懐いていた推測とは殆ど相容れないことだと、ぼくは判じる… ぼくは発見しんたんだけど、ねえ、彼女は本を書いているんだよ。未知の人々のための一種のジュルナル・アンティーム〔個人的日記〕だ。ああ! 死後刊行ということになるだろう。(つづく)
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(つづき)マンスフィールドという手本に夢中になった女性が、またひとり、ということかな。彼女はきみにそのことを話したのかい?
(ヴィオレット) ほんのすこし話したわ。
(ジェローム) その本の断片でもきみに読んで聞かせたかい?
(ヴィオレット) ええ、数頁。
(ジェローム) そいつはすばらしい。
(ヴィオレット) 本当にそうよ… (違った口調になって。) 彼女があなたにそのことを話すのを控えているとしたら、それは彼女が、打ち明け話的な本についてのあなたの意見を知っているからよ。
(ジェローム) 彼女は、ぼくの批評には、全然価値を認めていないんだ。そもそも、ぼくが書けるどんなことにもね。
(ヴィオレット) それはちがうわ。彼女はあなたの評論を讃嘆しているわ。わたしに言ったもの。
(ジェローム) ぼくにそのことを繰りかえして言うように、彼女はひょっとしてきみに命じもしたかい? 現在きみがぼくたちの間にあって果たしている役割は、たいへんなものだな。
(ヴィオレット) わたしが役割を?
(ジェローム) それにしてもこの状況は、あまりに長く続き過ぎてしまった。ぼくは、この状況を、これを最後に終わらせることに決めたよ。
(ヴィオレット) あなたは、わたしにお別れを言いに来たの?
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(ジェローム) ぼくは、離婚して、きみをぼくの妻にすることを決心した。(沈黙。) これが、きみがどうにかして言葉にしようとしていることのすべてじゃないのかい?
(ヴィオレット、曇った声で。) それは狂気だわ。そして、よくない行為だわ。
(ジェローム) いいかい、ヴィオレット、この説明しようのない隠し事に決着をつける時なんだよ。もし、あれやこれやの理由のために ― けっきょく理由の必要すらないのだけれど ― きみに、自分の自由を取り戻したいという気持があるのなら…
(ヴィオレット) 意味の空っぽな言葉だわ。
(ジェローム) 何だって?
(ヴィオレット) 自由は取り外したり取り戻したりするものではないわ。生や愛と同様に。
(ジェローム) それで?
(ヴィオレット) もし、あなたが、わたしは自分を永遠に、無条件であなたのものにしていることを、まだ理解していないのなら…
(ジェローム) それはあまりに美しい言葉で、ぼくは疑う。そういう言葉を生じさせるものは高慢であることが、あまりによくある。
(ヴィオレット) 高慢が動機なのではないわ、ジェローム。そのような忠実は、決心されるのではないのよ。(つづく)
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(つづき)忠実は、ただ確かめられるものなの。傷のように。不治の患部のように… 取り消しが効かない仕方でわたしをあなたに結びつけているのは、わたし自身であって、このわたし自身というのは、わたしの意志ではないのよ。意志はここでは何も出来ないのよ。
(ジェローム) きみは病気や近親者との死別についても同じように言うだろう。
(ヴィオレット) わたしたちに起ったことに、幸福なことは何も無いわ。
(ジェローム) ぼくたちがまだ嘘と妥協にはまり込んでいるからだよ。まさにこういったすべては無くならねばならない。きみがぼくの妻になれば…
(ヴィオレット) どなたの御前でわたしがあなたの妻になるというの? わたしたちは神を信じていないのよ、あなたも、わたしも。だからといって法律は、あなたがそれに認めているような神秘な効力を持ってはいないわ。法律は何も清浄にできないし、何も純化できない、何も聖別できないわ ― わたしたちが二人ともで嘲笑っている他国の人々の目にとってのほかにはね。
(ジェローム) 誰が神秘的効力のことを言ってる? ただ、はっきりした状況を作り出すことが問題なんだ。
(ヴィオレット) 裏切りという代価を払ってね。
(ジェローム) きみが気に懸けているのがアリアーヌのことなら… ぼくは、ぼくたちの結婚は重大な誤りだったことに想到したんだよ。ぼくたちはこの誤りを永続させる必要はない。そして、あの捉えどころのない病気は、医者たちにも全く分からないもので、(つづく)
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(つづき)彼らは治療を諦めており、時には彼らは病気そのものを疑いたくなるのだけれど、あの病気は、もともとどうしようもない幻想で染められていた間違った関係の、外部に現われた印のようなものなんだ。
(ヴィオレット) 黙って… あなたは自分の最善のものを否認している。その関係無しで、あなたがなったあなたを、何が示せるというの?
(ジェローム) 何を当てこすっているんだい?
(ヴィオレット、我に返って。) 何も… 理屈ではない確信よ。
(ジェローム) もしや…
(ヴィオレット、確信をもって。) アリアーヌを知っている今となっては、わたしははっきりと、あなたが彼女に負っているものすべてが分かるわ。
(ジェローム) 弁済能力の無い自分を感じるのはもううんざりだ。窒息する、ぼくは…
第六場
同上の人物、フェルナンド
(フェルナンド、ヴィオレットに。) この気送速達郵便をたった今受け取ったわ。(つづく)