高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

ぼくは正直

2023-06-29 23:45:05 | 日記

ぼくは正直



 
どうしてあの人物を捨てちゃったのかなあ、使えるところ、味わえるところもあったのに、…って? おいおい、好かないところがあったから捨てたんだろう。全部受け入れる気がなくっちゃ。全部受け入れさせるのは、愛でしかない。ぼくは正直だからね。いっさいか無か。器用なことはできないんだよ。そういう自分をじぶんでまず認めなくっちゃ。 
 
 
 
 





「真剣」になれない日本の風土

2023-06-27 02:02:45 | 日記

「真剣」になれない日本の風土

 

 
名をここに出すまでもない西欧のカトリック土壌から生まれた芸術傑作を、日本人も感嘆することができるが、なら、どうして、その土壌に思いを馳せて、自らの精神的実体を省みることをしないのか。慎みの秩序に目覚めないのか。
 
 
日本の一切合切〈遊び〉の風土は、どうしても「真剣」にさせないのか。例外的単独的な志をもつ者が出るしかないのだ。
 




 

天の神と地の神 神さまの話

2023-06-26 18:46:05 | 日記

天の神と地の神 神さまの話



リルケ ノオト


 
西欧には天の神があり、グレゴリオ聖歌を生むほどであるが、ロシアには地の神があり、リルケの「神さまの話」のなかでそれは感得される。この本を読んでも、今の時期以前には、そのロシア性がどういうものなのか、ぼくにははっきり感得されなかったろう。リルケはロシアの民衆の敬虔な信仰感に感動し、ロシアに旅行しロシアの勉強に没頭し、「神さまの話」を書いた。それほどまでにリルケを惹いたのは、西欧の神とは異なるロシアの神感覚であり、それを、地の神、とぼくは(西欧のそれと対照させて)言っておきたい。新しい神観を求めていた詩人リルケに、ロシアのそれは莫大なインスピレーションを与えたにちがいなく、それゆえの彼のロシア熱狂だったろうことは、いまこそはっきりと感覚される。
 
「カトリック」と「正教」はちがうことも(価値判定ではなく、歴史化した人間経験のちがいである)