高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

他を評価する者は「最後の審判」を受ける

2021-02-28 03:42:52 | 日記


 
「評価することは、評価されることより なお おそろしい」、と、ジャン・コクトーは云ったと、高田さんは言っている。この意味をぼくはいろいろかんがえすぎていたようだ。コクトーは、みずからの経験から、他を評価(批評・比較・位階づけ)する者には、もっと厳しい評価がかえってくることを、知ったのにちがいない。そしてその評価は、じぶんが他を評価したのより、その分、辛辣で的を射ており、正(ただ)しくじぶんを審判するものとして、苦しめるものなのである。この、じぶんにかえってくる、罰そのものであるような評価は、神から直接降りてくることもあれば、他を介することもある。いずれにしても、「審判」の意味をもつ。「最後の審判」を。人間はそういうように造られたことを、いまここでぼくは真面目に信じる気になっている。高田さんは、「他を評価した私には、最後の審判があるだろう」、と言っている。芸術家のみならず、万人にあることを、ぼくは知って(感じ信じて)いる。 なぜなら人間は、他を思うのにあまりに謙虚と敬虔に欠けているから。 ぼくは、そういう人間たちからは すこしは隔たった、自省と良心の平安にあずかっている人間のひとりであると感じるよろこびを享けていると思う。 
 
 
 
 




自分の殻(から)すなわち限界を認める

2021-02-27 01:52:46 | 日記

 
過去を振り返って、ぼくには殻すなわち限界があったと、痛切に感じる。あの限界がなければ、ぼくの状況は全く別のものになっていただろう、と思う。そう思うということは、現在のぼくは幾分かはその限界を超出しているということなのだろう。殻を破った、ということなのだろうか。こういう反省は、現在の自分の肯定に基づくものであるから、ある意味で用心すべきなのである。その殻の内部にあった自分が持っていた或る情熱や積極的なこだわり、執念を、いまのぼくは忘れているか、放棄・否定しているかもしれない。ほんとうにその頃の執念を実現して、いまのぼくは在るのか。ほんとうにその実現によって殻を破り、限界を超越したのか。現在だって、現在のぼくが意識しない限界がある、とかんがえられる。現在の時点から、過去のぼくの殻と思っているぼくの意識のありようは、俗物には持てないものだったろう。その殻のおかげで、ぼくはぼくらしい人生を歩んでこれたのではないか。自分の限界、ありていに未熟さと言ったっていいが、負の面や可能性の放棄を伴いながらも、そのおかげで、ともかくいまのぼくに辿り着いた。そのためには犠牲が必要だったのだ。いまの時点から、あれも受け入れていたら良かったのに、と〈反省〉することは、あさましい了見を動機とするものとして、恥じ入らなければならない。それだけ、いまのぼくが、俗性を受け入れているということにならないか。「自分とともに在るならば、一生孤独であってよい」、と高田さんは言った。この言葉の意味を、ぼくは厳密に解し、過去の自分の狭さと思えることも、ただ未熟さではなく、純粋さの激しさ深さとして、その未熟さともども、誇り高く認めるべきではないだろうか。いま、そう自分に言い聞かせてみている。こういう人間、なかなかいない、と。高田さんはたしかに人間関係にめぐまれていた。しかしそれは量ではなく質が本質のはずだ。量を比較すまい。質においては、ぼくがひとりの知己も残さなかったとしても、高田さんの本質に迫っているかもしれない。限界を、ぼく在らしめるものとして承認し、むしろこの限界を放棄するようなぼく(そういうことをぼくはしきらないが)を怖れよう。世間はやっきになってこの放棄を迫り、それができないのは弱さであり大人になろうとしないことだ、と、詭弁のかぎりをつくしてきたとしても(だからぼくはそういう者たちを否定してきたのだ)。
 
 
 


「自然」に沈潜して「自己」と「神」を触知する

2021-02-25 18:37:07 | 日記

美術への、思索性のある関わり方をしたい。


以下、2020年02月25日記す。
(高田博厚 芸術論)

 
利口な人間は、自然性から遊離しているかぎり、(存在論的に)みな阿呆だ、と言うべきだろう。この自然性、あるいは端的に言って、自然のなかにしか、人間が深まる根源はない。人間は動物とはちがう経路を通って、この自然のなかに沈潜してゆかねばならない。 この意味での自然を、人間はけっして単純に会得することはできない。芸術創造などは、この会得に向っての労苦の路である。この路において、自己と神とを知らねばならない。
 
 
 
 
 


ドビュッシーのバッハ観(高田さんの紹介による)

2021-02-25 15:31:38 | 日記

ぼくは唯一バッハのBWV639のピアノ編曲を弾けるのみだが、高田さんの、次に紹介しているドビュッシーのバッハ理解を、宜なるかな、と感じる。 ドイツ性を捨象したとき、普遍的な音楽感性が学ばれるだろう。 

 
「かわいい音律の気分」としての世の「ドビュッシズム」にたいして、高田さんは、ドビュッシー自身の言葉を引用して、こう言う: 

《ドビュッシー本人は彼の音楽理論を一言で言いきっている。「バッハ爺さんに一切の音楽がある。彼はハーモニー形式など問題にしていなかったのだ。彼は自由な音感を愛し、その流れが並行したり逆行したりする時思いもかけぬ花が開く。彼の手帖のどの頁もこの不滅の美にみちている。真のアラベスクが開花した時代だったのだ」。宗教感があまりに深いためにしばしば忘れられている「楽天家バッハ」の本質をついた理解である。ドビュッシーも少しも反逆的無軌道ではなく、骨の髄からフランス伝統の中にあり、ラモーやその頃のクラヴサン手、さらに遠く十六世紀のフランス音楽家を継承している。》 
 
 高田博厚 「ドビュッシーからラヴェルへ」(1962) より (著作集III 338-339頁) 
 

 
高田さんの親友であったアルチュール・オネゲルの、次の言葉も貴重であると思う。 
 

《「音楽は建築であり、これは文学的、絵画的欲求のためにも絶対に犠牲にしたくない。」(オネゲール)》 
 同 (342頁)