高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

マルセル「稜線の路」31

2022-10-03 15:39:22 | 翻訳
106頁

(つづき)あそこで、あなたの論評を週毎読みながら、論評があなたにだんだん負担にならなくなってきていることに、気づいていたわ。

(ジェローム) 今から一二年したら、ぼくはどんな夕暮者の水準にも達しているだろう。

(アリアーヌ) 夕暮者って何? 

(ジェローム) 基本を理解していない事柄について、敢然と話し始める時、その時から、夕暮者なんだよ… 

(アリアーヌ) どういうこと?  

(ジェローム) ぼくには専門技術的な知識は無い。そのことはよく知ってるだろ。その上、音楽にうんざりする時が、ぼくにはあるんだ。

(アリアーヌ) 調子がよくない時ね。

(ジェローム) それがかなりしばしばあるんだよ。

(アリアーヌ) どうして? 

(ジェローム、それには答えずに。) とりわけぼくをひどくいらだたせるのは、音楽を宗教のように扱う或る種の人々が持っている流儀なんだ。音楽は宗教じゃない。娯楽だ。 

(アリアーヌ) でも、あなた、私は、あなた自身が言うのを聞いたことを覚えているけど… 

(ジェローム) もちろん、ぼくにも(つづく)


107頁

(つづき)その反対のことを言うことはあった。だがその後… 音楽がむさぼり食ってしまう生活があって、それがぼくには耐えられないんだ。

(アリアーヌ) 誰のことを当てこすっているの? 

(ジェローム、身を引いて。) 特別に誰のことでも。とてもよくあることだよ。 

(アリアーヌ) でもあらゆる情熱は… むさぼり食うものよ。

(ジェローム) 情熱! 

(アリアーヌ) たしかに、あなたは様子が良くないわね。少し痩せたのではないの? 

(ジェローム) それは分からないし、そうとは思わない。

(アリアーヌ) 確かめなくては。私の居ないとき、充分食べているのかしら。レンジの記録を見て、あなたは毎日同じものを注文していたのが判ったわ。もうちょっといろいろ食べなくちゃ。けっきょく、私が、あなたのために注文しなければならないわね。

(ジェローム) 向こうに居てかい?

(アリアーヌ) どうしていけないの?… それにフィリップはさっき、私が心配になることを言ったわ… あなた、私の居ないとき、ちょっと余りに倹約しすぎていない?


108頁

(ジェローム) フィリップも口を出すなら自分と関係あることにすればいいのに。

(アリアーヌ) 彼に要求するほどのことでもないわ… じゃあ、本当? 

(ジェローム) 何が? 

(アリアーヌ) あなたは、出来る限りお金を使わないように心掛けているということ? 

(ジェローム) じつに当然のことだよ。 

(アリアーヌ) 私はそう思わないわ。 

(ジェローム) 安心しな。何も我慢してはいないよ。 

(アリアーヌ) 欠けているのはもうあれしかないわね、それにしても!… 衣類のために使うようなものね。明日一緒にティエルスリエの処に行って、あなたのために三つ揃いの背広二着とタキシードを一着注文しましょう。 

(ジェローム) まだ要るのかい? 

(アリアーヌ) 私のために恥ずかしくないようにしてもらいたいのよ。帽子屋にも寄って、ねえ… あそこの名前、分からないわ。

(ジェローム) ぼくのフェルト帽は新品だよ。 

(アリアーヌ) あれは気に入らないのよ。きっと、良い質のものではないわ。(沈黙。


















マルセル「稜線の路」30

2022-10-03 14:50:58 | 翻訳
103頁

(つづき)ぼくは全然興味がないね。ぼくがきみに単純に言えることは、そういう便りをきみの側から、ただ歓迎したのみならず、きっと懇請もしただろうことは、場違いだと思う、ということだ。



第六場

同上の人物、ジェローム

(ジェローム) どうしました? 議論を中断させましたか?

(フィリップ) 全然。ぼくにはまったく不快な或ることを発見したところなんです。それだけです。

(アリアーヌ) それにしても乱暴だわ! 兄さんは、私が二十年来知っているクラリスと文通するのをじゃまするつもりなの?

(フィリップ) 昔は、きみは彼女を重要とも思わなかったのに。彼女がきみの注意を惹きはじめたのは、あの日からだ。あの日、彼女の振舞いが… 

(アリアーヌ) ばかなことを言わないで、おねがいだから。

(フィリップ) まさしくほんとうのことだよ。


104頁

(アリアーヌ) いまでは、彼女は不幸なひとだわ —— ほとんど漂流物のような。

(フィリップ) 彼女は充分、生きるためのものを持っている。

(アリアーヌ) 兄さんは、それで足りていると思ってるの? 

(フィリップ) 彼女の眼には、それこそは間違いなく本質的な事だよ。

(アリアーヌ) 今では彼女をそんなに低く評価するなんて、兄さんもずいぶん寛大ね! 

(ジェローム、ひじょうに神経質に。) クラリスはぼくたちの生活から出ていったんだ。

(フィリップ) 正に、そうではないように思える。

(ジェローム) ここではもう彼女のことを問題にしないようにして欲しい… だけど知りたいのは… ここに、ぼくの留守の間、誰も来なかったの? 

(フィリップ) きみは、ひじょうに奇妙な訪問を見る機会を逸したね。 

(ジェローム) フランシャール夫妻、でしょう? 気づいていましたよ。正面の歩道ですれ違ったばかりなんです。喧嘩しているような雰囲気でしたよ。

(フィリップ) 彼らをほとんど変えてはいなかったな! 

(ジェローム) 彼らは何しにここへ来ていたんですか?


105頁

(フィリップ) それはきみの奥さんに訊いてくれ。ぼくはまだ理解できていない。ぼくがきみなら、そのことをはっきりさせるために、いろいろやるだろう、とは思う。(外出しようとする。

(アリアーヌ) いつまた会える? 

(フィリップ) 電話するよ。(外出する。) 



第七場

アリアーヌ、ジェローム

(アリアーヌ、優しく。) ねえあなた、きょうは疲れているような感じね。 

(ジェローム) どうしてぼくが疲れているんだい? 

(アリアーヌ) あなたはこのところ、いっぱいお仕事をしているように思えるから。ラヴェル音楽祭に関するあの論評を、あなたはほんとに迅速に書かなければならなかったし… 

(ジェローム、いらっとして。) 知ってるだろう、ぼくは、こつを覚え始めていることを。 

(アリアーヌ) もちろんよ。(つづく)