高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

マルセル「稜線の路」33

2022-10-05 13:47:42 | 翻訳
112頁

(つづき)ぼくを理解しなよ。まったくつまらないことのために、ぼくは病気のぶり返しの責任を負いたくないんだよ。

(アリアーヌ) あなた、何が望みなの? それでも、自分の行為の結果は引き受けなければならないわ… でも、つまり、私はとても嬉しいのよ、私があなたに、そうね… 必要だということを確かめられて。(このフレーズには半ば疑問の感じがある。) ほかの多くの人々は、あなたの立場なら…

(ジェローム) 何だって? 

(アリアーヌ) いいえ、あなたは怒るでしょう… 私が言おうとしたのは、ただ、多くの男性は、あなたの立場だったら、なにやかやの仕方で気晴らしをしたことでしょう、ということよ。ほんとに、だからといって誰が、そういう男性方を責められるでしょう!

(ジェローム、疑い深くなって。) どうしてぼくにそういうことを言う?

(アリアーヌ) 正面から現実を見なければならないことを、私、いつもますます確信しているのよ。

(ジェローム、とても低い声で。) いつもということはあり得ない。

(アリアーヌ) 何をつぶやいたの? あなた。

(ジェローム、少し声を大きくして。) それは時には難しいな。


113頁

(アリアーヌ) あなたには、私に打ち明ける決心がつかない心配事があるのだと、私は考えないわけにはゆかないわ。

(ジェローム、沈黙の後。) いや、きみは間違っている。

(アリアーヌ、曖昧な口調で。) いいわ。あなたが私にほんとうのことを言っていないと考えてあなたを侮辱するようなことは、私、もちろんしません。

(ジェローム) きみの声には皮肉みたいなものがあるぞ。

(アリアーヌ) いいえ、あなた、そんなもの少しもありません。それに、けっきょく、もしもあなたが秘密を持っているとしても、私はそれを受け入れることができるにちがいないわ(ジェロームに反応がある)。私は、もしもあなたが持っているとしたら… と言っているのよ。

(ジェローム) ぼくが依然として解らないのは、フランシャール夫妻がここへ何をしに来たのかということだ。

(アリアーヌ) 彼らは、私が彼らに何か役に立つことができるのではないかと、想像したのだと思うわ。

(ジェローム) そう想像するどんな理由が、彼らにはあったのかな?… マザルグ嬢たちの処だったの? きみが彼らと出会ったのは。

(アリアーヌ) 彼とは出会ったわ、セルジュとは。でもあなたがよく知っているとおり、私は彼とはとっくに知り合っていたわ。

(ジェローム) ぼくが想像するに、(つづく)
 

114頁

(つづき)きみは事情に詳しい… きみは、そのフランシャールが、言語道断な振舞いをあの若い娘にたいしてしたことを、知っている。こういう状況で、きみが彼を招いてここに来させたのが、ぼくには納得ゆかない。

(アリアーヌ) でも彼女自身が彼を受け入れているのよ。

(ジェローム) 子供のためにね。でも彼女は彼に言葉をかけることはない。

(アリアーヌ) そんなことちっとも気がつかなかったわ。

(ジェローム) 多分、きみが同席していたから、彼女は堪えたんだ… それから、きみがどうしてあの若い娘に首ったけになったのかも、ぼくには解らない。

(アリアーヌ) 才能のある若い女性ヴァイオリニストと一緒に稽古をいくらかしようと思ったことに、何か場違いなところがあるの?

(ジェローム) 他のヴァイオリニストがいるじゃないか。

(アリアーヌ) どうして彼女よりも他のひとたちを選ぶ必要があるの? 彼女はとても感じのいいひとなのよ。

(ジェローム) きみは何も知らないな。彼女はとても遠慮深くて、ひじょうに理解し難いひとなんだよ。彼女はそのうちここにまた来ることになっているのではないのかい?

(アリアーヌ) 何ですって?

















マルセル「稜線の路」32

2022-10-05 13:32:17 | 翻訳
109頁

(ジェローム) アリアーヌ! 

(アリアーヌ) 何? あなた。

(ジェローム) それは全部本気かい? きみはどうして分からないのかな? ぼくの専らの欲求は、ぼくはもう… これまでのように、きみの世話にはなりたくないということだっていうことが…

(アリアーヌ) でも、ジェローム…

(ジェローム) ぼくが是が非でも… 生活費を稼ぐことに執着していなかったら、『パリ新聞』と『相』のあの執筆欄をぼくのものにするという目的のために、あんなに自問自答しただろうか?

(アリアーヌ) じゃあ、フィリップが正しかったのね…

(ジェローム) もう一度言うが、フィリップのことは外そう。

(アリアーヌ) でも、あなた、その仕事が嫌なら、どうしたって他のものを探さなければならないわ。

(ジェローム) 子供っぽいな。きみは、現代では支払いのある仕事があることで自分を充分幸福だと見做さなければならないということに、気づく雰囲気が無いね。

(アリアーヌ) 解ってるわ、でも、それにしたって… ほんとに馬鹿げてるわ。あなたはどうして理解しないのかしら、私の唯一の、最も純粋な喜びは、いずれにしたって、(つづく) 


110頁

(つづき)なにより、あなたの生活を少しは容易にすることだということを。

(ジェローム) 残念だね。ほかの満足を探さなくちゃ。

(アリアーヌ、突然。) あなたは私を恨んでる!

(ジェローム) ぼくが?

(アリアーヌ) あなたは私をたしかに恨んでるわ。でも何のために? ようするに… そうよ、あまりに当然だわ。

(ジェローム) 何を想像しようっていうんだい?

(アリアーヌ) この哀れな健康状態のことね、あなたが私を許せないのは。

(ジェローム) ぼくがきみを、身体の調子が良くないことで責めてるって?

(アリアーヌ) そうよ、あなた。あなたがそれに気づかなくてもね。それが唯一の理由だわ。

(ジェローム) それにしてもぼくは、きみが治ったのは証明されたと思っていた…

(アリアーヌ) あなたはすばらしく忍耐強かったわ。でも、しまいには忍耐は尽きてしまうのよ。

(ジェローム) だいいち、きみは改善しているんだよ。

(アリアーヌ) でも、何ていう代価を払ってでしょう!


111頁

(ジェローム) はっきり言うけど、きみはもう病人のようには全然見えないよ。

(アリアーヌ) 残念だけど、見かけはちょっと欺くものよ、知ってのとおり。

(ジェローム) それでもぼくはきみの様子から、時々思ったよ… きみは少しずつでも、住む土地に再び順応しようと試みることが、ほんとうに出来ないのだろうか、と… 

(アリアーヌ) 思っていることをはっきり言ってちょうだい、あなた。

(ジェローム) たとえば、きみの滞在を、ぼくもきみと一緒に出発できる時期まで延ばしてみるとかさ。

(アリアーヌ) それは医者が私にするなと言っていることよ。でも、あなたが望むなら… 

(ジェローム) ぼくは、きみはもう医者にはかからないと思っていたよ。

(アリアーヌ) 私、世話をする私の患者たちの誰某の処で、ドロー医師ととてもよく会うのよ。どうしたって、彼は私に尋ねるわ…

(ジェローム) きみはもう、「私の患者たち」とは言わないほうが、ぼくには良いね。その所有表現はいらいらさせる。

(アリアーヌ) その通りね… わかったわ、それが少しでもあなたの喜びになって、気持が少しでも晴れるなら、あなたの求めるようにしてみましょう。

(ジェローム) ぼくは何も求めていないよ、アリアーヌ、(つづく)