高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

マルセル「稜線の路」47

2022-10-12 14:11:00 | 翻訳
156頁

(セルジュ) あの頃よりも前の時代へのノスタルジーに憑かれるような日々が時々あるよ。ぼくがまだ餓鬼だった時代へのね… ぼくの気に入らなかった場処や人々さえ懐かしい。年に一度連れて行かれた、ちょっとぼけた老いたおじさんの家。さくらんぼうを摘みに行った、シャラント川沿いの小さな村。いまでは工場が建っている… きみにひとつ言っておこう… シュザンヌのことだよ… ほんとうのところ、彼女はぼくに、未だかつて一度も何も言ったことがない… 言外に何かほのめかしたことすらも… きみは、ぼくが金銭亡者でないことは、充分知っている。ただ… きみは笑うだろうが… 彼女は、ぼくたちが最良の年月を過ごした家で持っていた女中に似ていたんだ。ママが病気になる前に… それがなければ、ぼくは結婚しなかっただろう。

(ヴィオレット、感動して。) かわいいセルジュ…


第四場

同上の人物、ジェローム

(ジェローム、ひどく無愛想に。) おや! 失礼しました。あなたのお姉さんがぼくに言わなかったもので… あなたひとりだと思っていましたよ。


157頁

(ヴィオレット、セルジュに。) モニクが目を覚ましているかどうか、見てくるわ… (ドアの処へ行き、聞き耳を立てる。二人の男は互いへの好意無く見合っている。) 何も聞こえないわ。まだ眠っているのにちがいないわ。咳込んでとても疲れたのよ。

(ジェローム、わざとらしい調子で。) 持ち直しているのかい?

(ヴィオレット) マダム・ジュルネは、きょうは比較的満足そうだったわ。

(セルジュ) モニクを抱きたかったな、でも…

(ヴィオレット) あなたはあの子の目を覚ましかねないわ。

(ジェローム、とてもいらいらとして。) ぼくは少ししか時間が無いんだけど。

(セルジュ、わざと暇取って。) 明日は何時に寄れるか正確には分からない。ヴォルテール大通りのぼくの生徒が、稽古の時間をずらしてくれと言っているんだ。時々すこし長引くよ… ぼくが七時半頃来れば、きみには支障無いだろう?

(ヴィオレット) 全然構わないわよ。

(ジェローム) ちょうど、そうしてほしいと言おうとしていたところですよ…


158頁

(ヴィオレット) わたしが居ないときは、フェルナンドがあなたに報告するわ。

(セルジュ) ありがとう。 

(ヴィオレット) そうでなければ、わたしがあなたに手短に手紙を書くわ。

(セルジュ、いら立って。) ふつう、そうするけどね…

(ジェローム、ヴィオレットに。) 今後は、あなたの忙しい日と時間をぼくに教えておいてくださるよう、おねがい致します。

(セルジュ) もしかして、それはぼくの訪問への当てつけですか…

(ジェローム) まったくそのとおり。

(セルジュ) あなたのその言い方は承服できない。

(ジェローム、ヴィオレットに。) きみたちが会うことが、どうして不愉快か、きみは分かっている。

(ヴィオレット、セルジュに、小声で。) 聞いて、わたしはここに明日七時半頃に居るわ。でも今は引き取ってちょうだい… (一瞬躊躇した後、セルジュは黙って外へ出る。