高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

感慨 高田先生頌 「ロザース」 極限状況における自己沈潜 '14

2021-08-30 18:10:43 | 日記

 
高田博厚「薔薇窓」 
 
2019年08月29日(木)
 
感慨
何という豊饒な文の海をぼくは創造してきたことか。一滴一滴をじぶんの血として注いできたが、その大海にいまやぼく自身が呑み込まれている。

2017年11月04日(土)  
 
高田先生は無論ぼくに生きつづける。その魂の内容のゆえに。 
 
 
2014年06月04日(水) 

ちからづくでも書いてやろう。そしてぶっ倒れよう。
「神は人生とともにしかない」とこの人が言うとき、どういうシチュエイションであったかということが了解できただろうと思う。神を探求するというのは、人生あってのみなのである。人生を放棄するというのは、神がどういうものか解らないまま消え去ることであるのだ。人生を支払わなければならないのだ、「神を知る」というのは。充実した人生の、〈人間〉の人生の極北に神は「触れる」ことが出来る。そのかぎり、人生以前の、神はあるかないか、どういうものか、という議論はいかに無意味・むなしいかということが解る。ここで高田さんはひじょうにはっきりと率直に、自身の神感覚を吐露している。神に当面するに至るほどに自分の仕事と人生を充実させ深めたい。己れへの情熱の証であったのだ、神を求めるということは。この人の神は、純粋な芸術家にとっての神なのだ。この人はそれ以外の神を信じなかったであろう。それにしても中途で人生を去る諦念に至った時のこの人の、ありのままを受け入れる潔さはどうだろう。どこに思想の整合性への衒いがあるか。思想というものは人生経験の結果でしかないという自覚がよほど徹底していないと、このような手記の表明、なにものにもとらわれない自己の感覚の告白はできないと思う。この人はほんとうに、思想以前に己れの人生を生きることがあった。まるで、この生の大海のなかでは、「神」すらもそこに浮かび上がる島の一つであるかのように。そうしてこの包括的な生そのものの「美しさ」を、かれはこの『薔薇窓』で告白しているのだ。この根本態度は一貫してかわらないであろう。「薔薇窓」は神の天に向って、そこからの光によって、輝いている。ここにひとつの逆説がある。どんなに神から、人生から別れると思い定めた刹那においても、人間はやはり〈生きて〉いるかぎり生の、自己の情景から離れないのだ。生のどんな種類の、瞬間の輝きでも、ヴィトローの一隅に嵌め込まれる。生への憧れと愛があるなら、そこに神を求める心がある。生への愛の、生を溢れ出る想いの力が神に結ぶ。自分に集中しよう。〈否定しても強迫するものには無関心無抵抗でいられるほどの〉自分への誠意力。この精根の要る努力を現代において誰が高田氏ほど貫いたか、それを「ロザース」という極限状況における自己沈潜の書は、唯一無二の磁力(オーラ)によって告げている。この人の前で自分を低く小さく思えないひとは哀れである
 
 
 
 
 


感謝と感動では蒸発しない絶望 

2021-08-22 21:06:53 | 日記


高田博厚 芸術論
 
『 なにも知らない、フランス語もろくにしゃべれない私が、パリに着くと即座に優れた知性階級の中に導き入れられたことは、たしかに私の幸運であったが、同時に重い精神的負担となった。そうして自分が日本にいる時感じていたフランスは、その全量のごくわずかな一部分で、それはたしかに若い時の理想主義に燃えた熱情への照応ではあったが、この昂奮の奥にたいへんな集積があることに気づいた。私はめざめたように、フランスの過去をみつめようとした。そうしてその重みが三十年のあいだ幾度も幾度も私を絶望に結んだ。感謝と感動が美しく私を蒸発させてくれぬ。』 
 
(「高田博厚著作集 I 」”友人と自分”より) 
 
高田博厚作品集 福井市美術館 59頁 
 
 
 
こういう文章が書ける人間はいまいない。 ゆえにここに記した。
 
ぼくはこういう存在とともにあるとき、世間がまったく脱落する。
 
 
 
 
 
 

森有礼にみる日本近代化の問題

2021-08-07 14:25:21 | 日記


初代文部大臣・森有礼と、孫の哲学者・森有正 07月28日
 
この二人には、政治と学問という領域区分では納まらない、自己変革のための人間研究への根本志向があり、孫・有正がデカルト研究に沈潜したように、祖父・有礼の、時代が要求した進取開明的自己変革の態度が、おのずとデカルトの「方法叙説」の内容と照応していることに、驚く。この、血で結ばれた二人は、容貌も甚だ深い内的類似をつよく印象づけることは、以前から気づいていた。旧い日本的意識からの、形式ではなく精神からの変革の必要を先ず自分において鋭く痛感するという、内的感性を、素質的に共有していた二人であったように、いまぼくには思われてきている。 有礼に関心が向いたのも、漱石の「三四郎」での終り近くの意味深げな有礼事件の回顧叙述に触れたのがきっかけである。



理想と齟齬 08月01日

漱石の「三四郎」の後半で、森有礼事件の回想が為されるのは、日本の歴史的本質に関わる何らかの象徴的意図があってのことにちがいない。それでいま、森有礼という人物の軌跡を独自に調べている。そこには、日本という独自の歴史をもつ国に生まれた者の、文化的人間への志向とみずからの歴史的土壌とに挟まれた葛藤・齟齬があり、それはそのまま現代に続いているからだ。非常事態宣言を繰り返す いまの国の姿勢が、その是非はともかくとして、その奥にある日本という国の本質をあらためて問わせている。



森有礼の振幅 08月03日

日本語は国の近代化に役立たないから国内公用語を英語にせよと言った人間が、後には、日本国民の気力を涵養する歴史的動機となるものは天皇制である、と言う。どうも、どちらも同じ精神次元での発言としか思えない。思想者の発言は、もっと落着いた見窮めに基づかなくてはならない、と、いまの時点からは言わざるを得ない。当時の状況そのものが、そういう落ち着きを許さなかったのであろうが、それなら、いまのわれわれが、その跡をそのまま追うような固定観念に囚われているのはおかしい。 日本人そのものがもっと人間として成熟すべき段階に来ていると思う。
 それにしても、国家は国民の命と財産と良心(信仰)の自由を守る機関でしかない、という理念をはじめから持っていた森が、国民の政治参加運動には冷淡で、政府の運動潰しの画策に協力したとは、がっかりした。 いまもそうだが、日本の政治家の本音には、国民にたいする侮蔑がある。だから国民のほうでも、政治に触れることに嫌気をおぼえるのである。 ぼくも触れたくない。


同郷の俊才の熱意(責任意識)と思索と判断は解らぬでもないが、とくに、近代国家日本のなかに、歴史的伝統である天皇を組み込んだ、法制上は近代の産物である天皇制は、すでに日本近現代史におけるその役割を終えたのではないか。このうえは天皇は純粋な歴史的伝統のなかに復帰し、日本の在るべき憲法においても、附帯的扱いでよいと思う。  



森有礼の教育論における鍛錬主義の自己矛盾 08月05日

個人の良心の自由を保護することを国家の意味の第一のものとする、森有礼の国家論と不可分のものである彼の教育論において、鍛錬主義が説かれるが、この鍛錬主義は、彼が実業を国の戦争力の基礎と見做す見解とともに説かれているものであることを見るとき、何と自己矛盾しているものであることだろうか。国民を兵士とすることを目的とすると言ってよい鍛錬主義が教育の場に持ち込まれるとき、人間の魂を損なう教師の言動を公認するものとなることは、言うを俟たない。これは今日まで続いている、日本の教育現場における、期する成果のために魂を犠牲にするという、深刻な人間問題である。それを日本の根性主義と云う。 


現在、個人の意識のほうが、為政者や教育者よりも遙かに進んでいるのだ。国民は、国家や国体、教育に、つき合ってやっているにすぎない。為政者や教育者は、いつもそれを忘れてはならない。



森有礼が犠牲にしたものを償った森有正 08月06日
 
日本という人間未成熟な国においては、政治もまた、それに携わる者を人間として逸脱させる。国民を逸脱させる為政者自身も、逸脱するのである。ほかの西欧諸国の政治家が、人間としてもどうしてああ悠々堂々としているのか、その理由は、国家としての日本をどう守るかという強迫観念に固まった維新当時の日本人の精神態度からは、理解も憶測もできないことであったのである。森有礼ほどの人間においても、そうであった。最初の妻との離婚の原因も、そこにあったと、ぼくは敢えて推断する。国家の維持発展に直接役立たないような種類のものは、学問・芸術であってもこの際用はない、と、文部大臣としても言いきれる姿勢からは、とうてい、真の文化国建立は不可能であった(その精神のねじれが、いまも続いている)。これは日本国民すべての問題である。森の孫である有正が、同様に西欧に関わりつつ、政治とはまったく無縁の哲学思想において、日本の精神的空隙をすこしでも埋める仕事に没入したことは、われわれにとって慰めとなる事実なのである。