高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

マルセル「稜線の路」は守護天使と魔物の物語である

2022-10-08 15:11:45 | 日記

 
だから没落と上昇の過程の物語なのであり、誰が正しいとか間違っていたとかいう審判の物語では更になく、物語じたいが完結してはいない。 ヤスパース『哲学』第三巻「形而上学」・「超越者への実存的関係の諸々」(他欄にて翻訳中)を参照。そのまさに生ける証言である。 
 
 
「稜線の路」という表象じたいが、実存の超越的関係性の路の象徴なのである。 
 
 
 
 
 
 










 

マルセル「稜線の路」39

2022-10-08 14:17:07 | 翻訳
130頁

(つづき)いつも、私たちの間には、私たちはいつか夫と妻になるのだということの承認が交わされていたの。この考えは私たちにどんな不和も、どんな不安も、吹き込むことはなかったわ — そのくらい、この考えは私たちの生活に交じり込んでいて、私たちは立ち止まってこの考えを熟慮することもなかったの。私たちの家族はすっかりこの予定に同意していました。ひょっとして私の父は、私の母やジェロームの両親よりも予感力があったのか、一種の相互予定へのこの信仰は危険が無くはないことを予見していたようです。でも決して彼は、自分の懸念を率直に私に表明する資格が自分にあるとは認めませんでした。ところが — このことを私は、ずっと後になって、いろんなことを突き合わせて初めて理解したのです — 彼の大学時代の途中、とくにイギリスに居た時期、ジェロームは特別な種類の誘惑に遭って、とても厳しい、ほとんど消耗してしまった闘いによって、やっとそれに勝ったのです。この闘いのなかで、いいですか、彼を支えたものは、道徳的確信や、不可侵な規則への信仰ではありませんでした。そういうものではなく、まったく簡潔に言って、私たちの結合が意味するはずのものについての考えであったのであり、私たちの結合が彼に要求したものについての考えだったのです。私は確信しておりますが、もし彼が自分を放棄していたのだったら、彼は私の前に敢えて再び姿を見せようとはしなかったでしょう。おそらく間違いなく、彼は自殺したでしょう。私たちの結婚の前日、彼は、その実際の意味はすっかり私には分らなくなってしまった謎のような言葉で、私が彼を救ったのであることを、私に解らせようとしました。私はそこに、私を恐れさせていた恋愛は経験しなかったという告白を見るのみでした。ほんとうに… (言うのを止める)。


131頁

(ヴィオレット) どうかお願いです、それ以上仰らないでください。

(アリアーヌ) 自分たち自身に向かって取り決めることは私たちには出来ないまま、私たちは結婚しましたが、この結婚は彼にとっても私にとっても苦い失望でした。それにもかかわらず、何故なのか私は自分にも完全に説明できないのですが、私はかなりあっさりとこの結婚を受け入れました。私が間もなく病気になったのはほんとうです。ジェロームは逆に、私は彼のことを知っていますが、いつも悩んでいました。そこからなのです、私は確信していますが、他人の前でも自分の内部でも卑下する、あの有害な傾向が始まっているのは。ご想像してくださいますか? こういう事情のなかでは、病気のあの数年の間、私がひどく苦しんだのは無理もないということを。私は彼の悪霊だったのではないか、私は彼のほんとうの生涯から彼を引き離してしまっていたのではないか、と、自問するに至った日々もありました。

(ヴィオレット) あなたは仰る気にはなれません…

(アリアーヌ) 私は、そう自分に問うまでに至りました。でも同時に私が知っていたのは、彼が自分の後悔を、どんなものであれ、彼自身では否認していることでした。それで私は彼の良心を体現しつづけていたのです。私は、自分自身のためなら、死を恐れたことは一度もありません。ほんとうの恐怖を抱いているのは、少なくとも二度は重ねて私は有罪宣告を受けていると自分のことを思っていることです。(つづく)


132頁

(つづき)私が不在の時にジェロームに何が起こるだろうかということには、私は敢えて思いを向けませんでした。だんだん理解していただけるようになっていますでしょうか、どうして、嫉妬どころでは全然ない、ということを…

(ヴィオレット) そのお話すべてのなかに、わたしを恐怖させる何かがありますわ。

(アリアーヌ) あなたは一度も気づいていなかったのですか? ジェロームには、その… 奇妙な傾向がある、ということに。

(ヴィオレット) 一度も。

(アリアーヌ) もしあなたが、彼の育った環境を想像できるなら、あなたの驚きもそんなに大きくないでしょう。彼の母親や彼のおばさんたちを知っている私としては、— あのひとたちは洗練され過ぎていて生気に欠け、いつでも彼を、生きることから防御しようとしているように思えました… いいですか、彼があなたと出会ったことは、大きな幸運なのです。私の思うに、あなたは彼を解放したのです。

(ヴィオレット、甘く、しかし、或る厳しさをもって。) わたしたちは愛し合っています。ただそれだけです。

(アリアーヌ) そのことによって、あなたは彼を救ったのでしょう。もしあなたがたの出会いが、ただの感覚的なものの不意打ちでしかなかったとしたら、もっともこれはほとんど解し難いことですが、そうしたら私が今のように、私の心中をあなたに打ち明けることが出来ると、あなたはお思いですか?
















マルセル「稜線の路」38

2022-10-08 13:47:32 | 翻訳
127頁

(アリアーヌ) いいえ。というのは、そこには運命的なものは何も無いからです。私は、最初の段階を乗り越えることの出来なかった沢山の患者たちを知っています。絶望と反抗の段階のことです。そのひとたちには、あの第二の認識にまで自分を高めることができなかったのです。第二の認識というものは、自らの内に通常の認識を含んでいますが、その通常の認識を乗り越えているのです。

(ヴィオレット) あなたの仰ることについてゆくのは、わたしにはとても難しいですわ。分かりません…

(アリアーヌ) これはすべて、想像や予見を許さない経験なのですよ。それに、私、じきに書き終える本のなかで、経験を起こすことを試みましたが、私が生きているものを本にすることはできないようです。

(ヴィオレット) 本をお書きになっていらっしゃるとは存じませんでした…

(アリアーヌ) ジェローム自身、知らないと思います。それに、どうでもよいことですわ。ただ、あなたに少しでも気づいてほしかったのは、私の判断は、あの別の次元に達する機会が一度も無かったような女性のものとは、一致することはない、ということなのです。というより、判断という語そのものが、ここでは意味を失います。私はあなたを判断しませんし、一瞬でも判断したことはありません。ジェローム同様に。私の予感を立証するように来た手紙を私が受け取った時… 


128頁

(ヴィオレット) 手紙ですって?

(アリアーヌ) 匿名の。私、安堵のようなものを覚えましたわ。そう、苦悶から解放されたように感じました。

(ヴィオレット) 匿名の手紙! わたしにはそのことを全然仰っていませんでしたね。

(アリアーヌ) それは大したことではありません。

(ヴィオレット) 誰がそんなに低劣な心を持てたのでしょう?… そして、つまり、誰も気づいていなかった… ああ!… いいえ、それはあり得ません。

(アリアーヌ) 送り主はそんなに上手くは筆跡を隠せていませんでした。

(ヴィオレット) 誰だかお判りになったのですね?

(アリアーヌ) そう思っています。

(ヴィオレット) では… フェルナンドですか? (アリアーヌ、そうだという合図をする。

(アリアーヌ) ひとりの不具者の仕草しか、そこに見てはなりません。彼女が知ってはならないのです、あなたがあの次元について知ったということを…

(ヴィオレット) さらなる気遣い、さらなる嘘。息が詰まることばかりです。それで、あなたがわたしに説明しようとなされたことは… はっきり申しますが、難しすぎて、深遠すぎて… あなたの仰っている次元とは、彼らが(つづく)


129頁

(つづき)信仰と呼んでいるもののことですか? わたしはと申しますと、わたしは信仰者ではありません。わたしの周囲では誰もキリスト者ではありませんでした。

(アリアーヌ) 私が垣間見ている真理は、教会よりも遙かに上のものです。どんな種類の教会があったとしても、それより上のものですわ…

(ヴィオレット) わたしには思えるのですが、真理とは、すべてに浸透しているものでなければならないでしょう。光のように… 真理は、このように言わずにおくことや、ごまかすことに、少しでも甘んじることが出来るものでしょうか? そうは思えませんわ。やはり、ジェロームにあなたが率直にお話になれば、あなたが熱心に、どう言ったらいいでしょうか、彼にその知恵をお伝えになれば…

(アリアーヌ) ねえ、ヴィオレット、あなたは今、言葉に騙されているわ。ジェロームは負傷者よ。彼はほんの一瞬でもあれを忘れることができないでいるわ。

(ヴィオレット) 何を仰りたいのですか? 

(アリアーヌ) あなたにこのことを打ち明ける権利が私にあるかどうか、分からないのよ。

(ヴィオレット、苦々しく。)躊躇するには遅すぎます。

(アリアーヌ) ご存じでしょう、ジェロームと私は一緒に大きくなったことを。(つづく)