高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

素描から芸術へ (もの・内なる規範・自然)

2021-06-18 14:16:57 | 日記

高田博厚 芸術論
 

素描行為は、対象(モデル)である「もの」と、自己の内なる美の規範との、綱引きなのだ。自己の規範が対象に屈してしまうと、美は成らない。いっぽうで、対象の「もの」もまた、「自然」が生んだ規範(秩序)によって成っている。でなければわれわれの美的関心を惹かないだろう。ここですでに、「もの」とか「自然」とか、ここで呼ばれているものが、同時にきわめて内面的な視界のなかで理解されなければならないものであることが、明らかだと思う。われわれの自己の内なる美の規範、すなわち、美を美として感知する感覚もまた、「人間」をつくった「自然」がわれわれの内に置いた、「ものをものたらしめる規範」であることは間違いない。だから自己の美感と対象の「もの性」との間に、素描という即物的行為において、綱引きが生じるのだ。ここで「調和」を得るためには、技術としての素描の余程の習得が必要だ。対象と自己とが即座に内的照応に入って、双方がみずからを認め合うような境位が、描く者の内部で生きられるような習熟段階が達成されている必要がある。ここにおいて技術(art)の習熟は、そのまま芸術(art)の進展となっているはずである。 
 
対象としての「もの」に美的に惹かれるゆえに為す素描行為において、対象に忠実であろうとするほど、引き出したい美から逸れてゆく場合が、ぼくの如き初心者には起こる。感じているのに隠れている美を引き出すには、よほどの修練が必要だ。それでも努力した分だけは、なにか宿っているような美しい「作品」ができる。そういう、画紙に宿った「美」を、いま眺め感じているのである。
 
 
 











高田先生の言葉 『彫刻と私』

2021-06-13 14:46:52 | 日記

——「存在」は漠然とした「現実」よりも真に確かに実存する。—— 

——「自我に行動する」ということは未知の自分を発掘するというよりも、一見なんでもない、ありふれた自分を真に「存在」させること、安らかに存在するというよりも、「存在すること」の安らかさを実証することである。——

高田博厚

高田博厚 芸術論

『彫刻と私』は、高田さんにおける「人間」と「自然」と「もの」の関連を認識するために、貴重な一文である。

「自然」の観念は奥が深い。


「彫刻50年 高田博厚展」-会期:昭和49年2月28日(木)~3月5日(火);会場:東京日本橋高島屋6階美術画廊;協力:現代彫刻センター- 図版集より、最初の二頁の文を紹介する。


《 ごあいさつ
他の芸術に比べ地味であり、それ故に最も純粋な芸術といわれる彫刻芸術に魅せられこの道一筋に歩まれる、高田博厚先生の個展を開催いたします。
先生はロダンを先達者として近代彫刻が花ひらいた頃のヨーロッパで永年制作活動を続けられ、今日、日本彫刻界で第一人者として仰がれる方ですが、今回の個展は先生の全貌展とも申すべきものでございます。
皆様お誘いあわせのうえ、ぜひご高覧くださいますようご案内申しあげます。
高島屋 美術部 》
 

《 彫刻と私
 高田博厚

 私にとって、芸術創作とは自我が未知の「自我」に「行動」することであり、他のなにものをも期待しない。社会が芸術に求めることとかならずしも一致しないから、報償も求めない。一般には、芸術行為は「自我表現」だと簡単に考えられており、ことにこの頃では「個性」が意義あるように考えられ、「だから、新しいものを見出さなければ……」と飛躍した結論を主張する者が多いようだが、ヴァレリーが「永遠のスファンクスなる自我」と言っているように、「純粋自我」なるものはそれほど安易に「実存」させ得るものではない。「自我に行動する」ということは未知の自分を発掘するというよりも、一見なんでもない、ありふれた自分を真に「存在」させること、安らかに存在するというよりも、「存在すること」の安らかさを実証することである。言いかえれば、漠然とした自我が「もの」として存在し得る、その「不動」の状態に在り得ることである。つまり、「個性」が真の「普辺」〔「普遍」〕の上に成ることであり、芸術行為はこのためにのみ意味がある。「芸術は長し(アルス・ロンガ)」の真意は、「芸術は永遠に未完である」を指している。そしてこの意味での「自我が自我に行動すること」は不可避的に自分を一元化させてゆく。造形の道に踏みこめば踏みこむほど、単純簡潔の「形」を求めるのはこれであり、そこでは「自我」と「形」は同一の「もの」となる。マイヨルが「私は自分の思念(イデエ)を形に現わそうとする」と言っているのは、形によって説明し表現するのではなく、「存在する自我そのもの」が「形」となることであり、そして、これの見本は「人間」を創った「自然」であり、人間の思想も観念も窮極には「形」を得なければならぬことを示している〔この「自然」の意味に迷う読者はいないであろう〕。そこで「人間」は「形」とは法則と調和によって成ることを理解するだろう。飛翔しがちな「観念(コンセプシオン)」を規定する精神態度、つまり「ものなしには考えない」という人間の基本的、実証的態度の意味はここにある。造形芸術はこの上に立っている。この頃「空間(エスパース)」という言葉が濫用されているようだが、真の「空間」は「もの」なしには生れない。空間はものが生む。更に厳密には真に「存在」する「もの」だけが「空間」を創る。一世界を創り支配する。芸術の存在理由はこれのみにあり、この「存在」は漠然とした「現実」よりも真に確かに実存する。芸術作品、彫刻の傑作はすべてこれであり、そこには時代や傾向、感覚による差別はない。「常に新しい古いもの」である。

 私は大正初期、20歳以前にロダンによって「彫刻とはなにか」をはじめて知った。そしてその後30年のフランス生活で、常にブールデル、マイヨルが啓示であり、その一条を歩んできた。絶望をくりかえしながら。世間に出る意欲が全くなかったから、戦前戦後の芸術新理論、新傾向、新流行と離れていたことを、今にして幸いに思う。フランスで得た先輩友人たちが、若い時には当時唱えられていた新主義から出発し、仕事を深めるにつれ、自分のもの、「純粋自我」を生んでゆくのを見て、私は「美の道」を理解した。これが真の「抽象美(アブストレ)」であり、私もそこに到達しなければならぬ。
 50年の間、常に自分を未熟と思い、70歳をとくに過ぎても、自分を小僧としている。そして歩めば歩むだけ、北斎の「百歳になったら、ものを画けるかもしれない」との態度が解ってくる。私もこの精神態度を持ちつづけるだろう。私にとって「造型」は姿態の面白さでも、記念碑的誇示でも、また技巧の「興味」でもない。「在ること」の不動の安らかさ。「もの」に即する落ちつき。たとえば、優れた陶器が持つ美しさ。エジプトのピラミッドの、灼熱の太陽の下の、なんにもない荒涼とした砂漠と紺碧の天空の中に、二つの直線に切りたてられた「量」、これが与えられた「自然条件」に即した抽象感覚なのである。この「法則」は「もの」が持っている。単純素朴に見える人間の胴体(トルソ)一つにもこの「無量」の豊かさ がある。私は一生胴体を作って学ぶだろう。「法則」とは内部から来る力、その局限に「形」がある。》



 予定調和という摂理があるとしたら、ぼくがいまこの先生の文を、ぼくのオリジナルな積み重ねの上に、確認として書きえたということである。

この図録のなかで、先生のデッサンに、「在るもの」を探求する先生の志向を感じとることができたと思った(正確には、感じていたものを自覚した)。それにしても、おなじ「在る安らかさ」を探求しても、マイヨールと先生とでは、これほど、現われてくるものがちがう! マイヨールのものはまさに明朗温和な「地中海」の「存在」であるが、先生のものは、「七尾の海」のパステル〔石川県七尾:先生の出生地〕に現われているような、どこか濃い陰鬱の翳のある、神秘な幽玄の「存在」であり、その「深さ」である。彫刻となった先生の作品が生む空間は、そのようなものであり、デッサンの志向が遂に「世界」を得たものだ。そういう気づきの視点から、関心のある向きは、先生の素描、彫刻を、検索して観られたらよい。
 
 
 
 
 


「人間」を護る

2021-06-07 22:19:00 | 日記

高田博厚 芸術論

 
高田さんは、いちばん恐ろしいことは「人間」が無くなることだ、と書いている。これは、人間が「自然」や「神」と自分とを照応させることをかんがえなくなることだ、と言い換えられるだろう。この根本的な文化課題について深く思いを巡らすことが、ぼくがぼくとして生きる課題でもある。 
 
 世のなかはおかしなことばかりで、ぼくの遭遇した事件も、いまの禍も、高田さんが経験した戦争も、人間を人間ならぬものへと背かせ呑み込もうとすることでは同じである。人間から矜持を奪おうとする。 「芸術は反運命的なものだ」 とアンドレ・マルローは言ったが、これは、宿命に抗して己れの運命を成就する、と言っても同じだとぼくは思う。己れの運命さえ持ち得ないのが、いまの世の大方の人間である。 
 
 高田さんは、争乱の渦中においても先ず自分の「人間」を護ろうと、デカルト的な決意で臨んだ。それがどれだけ「個」を超えて普遍的な意味をもつものか、われわれがその「遺品」を前にして感じ思うのは、そのことでなければならない。『無言館』のそれと同じである。 
 






語らないこと (高田さんの場合、ぼくの場合)

2021-06-03 02:02:25 | 日記

2021年06月01日
 
高田さんは、芸術と文化、人間について、あれほど語ったのに、自分の作品については殆ど語っていないに等しい。芸術家のその心情は解る気がするが、自分の作品はどういう次元を目指しているのか、その意図を、もっと語ってよかったのではないか。ある意味でよく語っている。しかそれは本質的ではあっても、一般論、精確には本質論である。ぼくの言うのは、個々の自分の作品についてである。この点では、高田さんは何も語っていないに等しい。だから、高田さんの文章をよく読んでいるひとでも、作品に接すると、わりと情緒的・文学的な感想をもらしてしまう場合がある。しかし高田さんの作品は、ただ情感的・イメージ的なものとは違う次元を志向しているようにぼくは思うのだ。そういう志向や意図を、もっと個々の作品に即して、語ってほしかった。そういう語りを残さなかったので、或る者は、じぶんの感性にうぬぼれて、トルソはいいが、寝そべったような人体像はマイヨールを模したみたいでつまらない、などと、失敬なことを平気で言ったりするのだ。高田さんがただスタイルを真似ただけのようなものを造るものか。しかし平凡な一般人は、高田さんの志向が解らないでただじぶんの感じ方だけで浅薄に断定するのみなので、やはり高田さん自身の註が、残されてあるべきだった、とぼくは思うのだ。だから、高田さんの作品は、われわれの前に残された公案のようなものなのだ。じぶんの精神的分際もわきまえず軽々しくものをいう輩のためにあるのではない。 
 
 高田さんの作品については、いまはこういうことを言い留めておこう。 
 



ぼくの欄に何度も登場した、哲学者アランの像(1932)。高田さん32歳の滞仏時代初期の作。ヨーロッパはこの時から壮絶な状況になるが、この彫像はそれを観てきたのだろう(日本に送られたのでなければ)。
 
写し方もすこしは深化しないととの思いをもって、夜明け前だが起き出して撮った。なかなか眠れないのだ。時間を無駄に費やしているように思って。 



 じつは、次元は違うが、ぼくの、語らないことも、書いておきたいのだ。ぼくは、十年ほど前の一時期、異様な経験を、世界と社会についてした。集合容喙経験として、別の欄に主題枠を設けて整理して書いている。ここで強調したいことは、世界がぼくにたいしてやったことを、社会のすくなくとも一部の人々は、じぶんたちも参加したこととして知っている、ということだ。それはひとつの犯罪として追及しなければならない。このぼくの気持は変わらないのだが、それをいまのぼくは表に出さないで生活している。なぜなら、現在、ぼくと世界・社会との間には、ともかくそうとうまともな関係が復活しており、以前のような奇々怪々なものではないからだ。このことは、たとえ観念的・内面的であってもぼくがぼく自身の本来の生を生きるのに、とても都合がよい。まぼろしのようなものではあっても、まるでもとの生活状態に戻ったように生活できることは、ぼくの内面的生にとっても、奇怪な不安や緊張を抱えないでよいだけ、よいことなのだ。すこしおかしなことが時々あっても、以前のおぞましさとは次元がちがう。それを、ぼくが以前の記憶をもちだして世界を自分と対立的に措定することは、いまではすることではないとぼくは思う。主犯者をあぶりだすにも、社会の大方をぼくの側の味方につけて、包囲するほうが、ぼくの精神的安定と調和共存する。ある程度世界は、ぼくが思い信じるように、ぼくにとってはある。ぼくだって、異常な世界にすき好んで住みたくない。だから、世界はいまぼくにとって、ぼくが信じたいようにあると思いたい。これがぼくの、以前の経験や問題を、それを意識に現前化することを控えている、つまり語らない、理由なのだ。記憶と経験を否定しているのではない。ぼくは一貫して正常なのだ。異常になったのは向こうのほう。しかし、どういう正体の人々でもぼくはよい、ただぼくにとって普通の人間を演じてくれているのであれば。孤独は、ぼくの最も得意とすることであるので、実際の人々に、いまさら、信用や不信でかかわる関心が、ないのだ。はじめからないように。