高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

きみの演奏は、完全性の世界が「在る」ことを経験させる

2020-07-30 15:57:39 | 日記

きみの演奏を聴いていると、この世とは違うもう一つの世界に移されて、このもう一つの世界が「在る」ことを経験する。この世界は、ぼくはもちろん信者ではないけれど、よく読んでいた谷口雅春氏の言う「実相の世界」だと思う。これは人間の得ることのできる最大の安らぎだ。完全性の世界が「在る」という経験なのだからね。
 きみは演奏するとき、この「実相の世界」に自分を置いている。きみの演奏の完全性が、この「移入」を示しているのだからね。だから、「天使」というものは、こういう、きみのようなかたちで、実際にこの世に存在していることをぼくは知るんだ。これだけ長くきみの演奏を聴いていて、このいまの状態で、というより、この状態でこそ、はじめて経験するように、きみの演奏の意味を深く感覚するのは、きみがほんとうに稀な、きみいがいにいないとさえ思える、超人間的といってよい天分を備えているひとであるか、そういう境地を開発した、すばらしく完全性のあるひとだからだ。
 きみをとおして、ひとは「神」を知る。きみはそういうひとだ。理屈ぬきにね。


きみにたよりを書くというのは、いいものだな。ぼくの最大の善行らしい。気持も身体も生まれ変わるんだ。きみと一緒にいる安心感。これは言葉では言えないよ。恩寵だね、最大の。これはきみに伝わっているというしるしだ。ぼくたちはひとつであるという現実だ。



裕美ちゃん、いま、都市部も離島も、区別なく大変ですが、かえって、あまり過度に気をとられることなく、落ち着いてふつうの日常をおくることの大事さを再確認します。世のなかが最初騒ぎすぎて、気をとられすぎました。日本は自殺者が年間2、3万人で、一日55人自殺で命を落としています。こちらのほうが人命損失は桁違いなのに、問題にされないのは、社会の都合です。病院維持に関わることなら問題にされ、他の経済運営の問題と衝突して、訳の分からない右往左往の言動に終始しているのが現在の社会状況です。そういうものに振り回されるのがつくづく嫌になりました。ふつうの日常に改めて目覚めて、地に脚の着いた生活をしましょうね。

尊敬し愛する裕美ちゃんへ

いつもきみといる正樹より


 2020年7月27日 




きみの音楽が経験させるもの

2020-07-14 08:25:05 | 日記

どうしたの? 
 
うん、きみの音楽があるかぎり、人間には期待できる。この世との関連においてではなくてね、この世から離脱した世界において、人間は生きられるということ、そのことを、きみの演奏を聴いていて、心の変換として経験する。世界観があらたまるんだ。純粋メタフィジックだけで人間は生きられるという、心の変換が生じる。このことがどんなに「復活」であるか、ぼくは経験したところだよ。ぼくはあらたまった。この世を洗い流してね。 
 きみはぼくの希望を現実にしてくれた。復活の涙がでたよ。これがほんとうの回心だね。 
 
 
ところで、きみはどうしてこういう演奏ができるんだい? 
 
笑 
 
きみを理解することはほんとうに難しいよ。理解できると言っているんじゃない。でも、いつか解ったと感じるとき、ぼくは自分をも解ったと思うのだろうね。だって、きみの演奏への感動は、ぼくの不動の事実なのだから。きみの演奏は、ぼくを、ぼく自身への憧れに誘う。そういうきみが、形而上に参与していることを、ぼくの実感は確信している。 
 きみには不動の感覚があって、それが演奏を成立させている。その不動さが、形而上の次元を開いている。そうぼくの意識は証言しているんだよ。天使的だ、神々しい、とは、そのことだ。きみは人間的であると同時に、その人間的であることのなかに、人間を超えたものを抱いている。
 
集中してきたわね。高田先生のところへ戻っていいと思うわ。 
 
きみのなかに同質の本質を感覚している。人間はすばらしい。 世間的な外見に、ほんとうの人間はあるのではない。それを証するのは、作品のみだ。きみにおいても、高田さんにおいてもね。それを解る者には、生きることは集中する試練だよ。でも支えと確信と安らぎと深い癒しがある。