まど

細く開いた窓を覗いてみると、そこにはNikonD70Sを前に困惑している女がひとり・・・

花の男

2007-09-20 12:21:30 | Weblog

ヤクルトの古田兼任監督、今季限りでの監督退任と現役引退・・・・。
記者会見で涙を見せていましたね。
泣くな!あなたには力がある。
ファンは誰一人怒っちゃいません。
でも、責任を感じて一度退くというのならそれもいいです。けじめなんですね。
きっとまたユニフォームを着ていただく時がきます。そしてきっと大きな花が咲きます。
それまでのしばしのお別れです。

 

この人、泣いてるだろうね。あたしも引退試合見て泣くよ。


ゆく川の流れは。

2007-09-15 13:00:00 | Weblog

学生のころ、いろいろな古典の冒頭部分を覚えさせられました。
私が一番好きだったのは方丈記の冒頭、「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」です。
そのあとの、住処がどうの、こんな出来事がどうの、といった話は別にいいんですが、この冒頭はこれだけで、平家物語全巻と同じくらいの重みがあると言ったら言い過ぎ?あ、言いすぎですね。

鴨長明が無常観を表したこの川は、彼がいつも見ている、いつもの表情の川でしょうか。

私も毎日川を渡って行き来していますが、しっかり水位調整のされている川なので、なかなか特別のことは起こりません。
橋を渡るときも、ちらっと川面に目をやるくらいです。

でも、朝ならその一瞬でその日の平穏さを願い、夕方ならその一日の無事を確認しているような気がします。
時折変化を見せるものが、通常の姿であることを祈念し、かつ安堵しているのだろうと思います。

そういえば川の流れのようになんて歌もありました。
川ってやはり人生とか生き方とか日々の過ごし方とかを思い起こさせる何かを持っているのでしょうね。

私は噴水は好きです。

予定外のことは起こらないから。


 


 


鉄子のDNA

2007-09-13 13:03:47 | Weblog

今回の旅は楽しかったわりに安上がりな旅でした。
ツアーですから、安いのは当たり前ですが、旅館もリーズナブルないい旅館でした。

母も私ももうたくさんは食べられません。私はビール飲んじゃうし。
かと言って残すのは嫌だし、いつも旅館のご飯には困っていました。
東山温泉の原瀧という宿だったのですが、晩も朝も、前菜(晩はお造りと水菓子も)が来たあとはバイキングになっているのです。
バイキングも、かまどがしつらえてあって、炊きたてのご飯がいただけるし、郷土料理から中華まで、たくさんの種類が用意してあります。
これなら食べたいものを食べたいだけ、取って来ることが出来ます。http://www.yumeguri.co.jp/dining/index.html

こういうスタイルが増えたら、ご飯が多いのに閉口しないですむのになあ。

 

さて、今回は鉄道の魅力に気付いた私でしたが、よく考えてみたら私の中のDNAが目覚めたのでした。
私の祖父は、大学で電気を学び、国鉄に入って常磐線の電化に携わった人でした。
じーちゃん、次は常磐線に乗ってみるね!

特急あいづ
上野から会津若松まで直行します。新宿発着というのもあるらしい。便利~。
これの到着を待って、すんごくいいカメラを構えていた鉄男さんがいました。
私も末席を汚させていただきますね。

 


大内宿

2007-09-12 21:45:17 | Weblog

大内宿は、会津西街道の宿場町として栄えたところですが、よくまあこれだけ景観を保存し続けているものです。
この地区の住人が、この景観を共同の財産として、同じ価値観と目的のもとに助け合って保存をしてきたのでしょう。

私は一昨年の会津デスティネーションキャンペーンのJRのテレビCMでここを知ったのですが、ここは会津若松から会津鉄道に1時間乗り、さらにタクシーに乗らないと来られないので、前回の会津旅行の時は諦めました。
やっと来たぞ、大内宿・・・・・、と地区に足を踏み入れたら、観光バスが6~7台、自家用車、ツーリングのバイク達で駐車場は満員。
ほとんどの家が食堂かお土産屋さんをしており、たくさんの人が群がっています。

大人は忙しい。つまんないね。

 


ここは、この地区に泊まって、朝早く観光客の来ないうちに散策をしなければとても風情を味わうなんてことは出来ないらしい・・・・。ちょっと残念です、って、自分もその賑やかしの中の一人ですが。

 

集落の外れに、萱の葺き替えをしている家がありました。

あたりは炭化した萱のにおいが立ちこめています。
職人さんたちも炭の粉にまみれての作業です。
一軒あたり千万単位のお金がかかると聞いたことがあります。

 

ここの景観を維持するには、観光客はやはり必要です。
いつか、朝もやに煙る大内宿を見に来ることにしましょう。


 


鉄子の部屋に呼ばれました。

2007-09-11 12:55:47 | Weblog

会津鉄道は1時間に1本くらいしか運行していません。
宿で時間を見てもらって出発したのですが、何故か発車の2分前に改札を通るはめになり、走ったのなんの・・・・。
そして飛び乗った列車は、偶然にも会津浪漫号(トロッコ列車)でした。
ラッキーだ!お祝いにビールでも飲もう、と車内の売店に行ってみたらビールがないーっ。
提灯までぶら下げておきながら、ビール売ってないなんて~。(涙)
おかしいなあ、ついこの間やった旅番組では会津浪漫号でビール買って呑んでたぞ。
朝だから売ってないのかしら。小原庄助さんの二の舞にならぬよう、会津の人は朝酒は飲まないことにしたのかなあ。
返す返すも残念です。今後、会津浪漫号に乗りながら、会津の朝風を受けつつ、ビールをグイッとやるチャンスはもうやってこないでしょう。

列車は3両編成で、先頭車両がお座敷、2両目がトロッコ、3両目が豪華な展望車となっています。
鉄橋の上で景色を楽しむため、しばし停車してくれたり、長いトンネル内ではトロッコ車の天井に天の川の電飾を点けてみせたり、サービス満点です。
アナウンスがとてもうまいので録音してあるのを流しているのかと思ったら、なんと、さっきビールはありませんと(まだこだわっている)言った売店のお姉さんが私服、それもがっつり普段着姿のまんま、マイクを握っているのでした。

会津鉄道、すっかり好きになってしまいました。
ローカル線の旅っておもしろい。
がっつりはまるためには時間と体力、それにお金も必要(私の年齢では)なので鉄子さんと呼ばれるほどにはなれないけど、まず見習いから始めてみようかな。

それにしても、ビール・・・・・・・。


ふたたびの、会津

2007-09-10 21:44:59 | Weblog

9月7日。旅の朝、恐る恐るテレビをつけたら台風は栃木のあたりを通過中・・・・・・。
なんと新幹線は山形新幹線を除いて通常通り運行しているらしい。
運行していてくれたほうが良いのか、それともいっそ電車が動かずツアーが取りやめになったほうが良いのか、それこそ運を天に任せての出発でした。

私と母は時速200kmの新幹線に乗って時速25kmの台風を、追いかけたくないのに追いかける。
郡山で、スレスレで逃げ切った台風は磐越西線の運行見合わせというお土産を残していってくれました。
一瞬「ここまで来て・・・・・」と青くなりましたが、高速バスが出ているというのでそれに乗り、会津若松を目指します。

来たぞ、ふたたび。会津のまちへ。
でも、どうせ今日は写真も撮れないし、買い物に徹し、ゆっくり温泉につかることにしましょう。

前回、写真を撮って「こんどはあの雲の向こうまで行きたいなあ」とコメントをつけた会津鉄道の七日町駅も、まだ雨に濡れています。

 

会津鉄道、ふるさと列車号です。
車体に野口英世の母、シカの手紙がちりばめられています。

この車体を見て、パンタグラフがないのに気付かれましたか?

私もこれが発車したとき、車体の屋根についた小さな吹き出し口から、ブォーンと大きな音をたてて排気ガスが出たので、「これってディーゼルなんだ!」と、やっと気付きました。
会津鉄道はまだ電化されていないのですね。

明日はこれに乗って大内宿に行くつもりです。


台風襲来

2007-09-06 13:05:48 | Weblog

台風が来ますね。

台風が来ると、宮沢賢治の「風の又三郎」を思い出します。

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう

声に出してみるとなおよく判るのですが、賢治の作るオノマトペはリズムがよくて、楽しいです。
岩手の森が強い風になぶられて、空も、木々も鳴っている感じがします。

ところで・・、今日の今日まで吹き飛ばされるのはくるみと林檎だと間違って覚えていました。
ほんとの台風の雨風の音を聞きながら、「風の又三郎」を読み返すのもいいかもしれない・・・・・・・と言いたいところでしたが、実は明日、会津へ行く予定になっているのです。
こうも見事に台風が来るとは・・。一昨年の会津では帰る日に大きな地震がきて足止めをくらったし、私と会津の相性はあまり良くないようです。
新幹線が止まればもちろん中止ですが、さて一体どうなるでしょう。
実は、新幹線でカンヅメになったときのために、うちわを用意しました。(笑)
もちろん使うはめにはなりたくありませんが・・。


今むかし。

2007-09-01 12:50:24 | Weblog

今年もお盆休みは、飛び石でしか休みのとれないうちのジイサンの代理で、私が墓参りに行きました。

・・・・・・というのは親と親戚向けの、表向きの話でして、真実はこうです。

ジイサン「盆休み、今年はどこか、行く?」
私    「どこかって・・・、新潟、行かなきゃ。お墓参りに。」
ジイサン「やだよ、新潟は遠いし、暑い。」←既にすねている。
私    「ええっ!いいよ、あたしは行く!」←既に怒っている。

なんちゅうヤツだ!子どもより訳がわからんことを言うとは!
・・・・・しかし、ヤツは理系で霊魂とかそんなのは全然信じていないので、仕方ないのかもしれぬ。
そして滅法暑さに弱い。冬生まれだからなー。
それに引き換え、私はお墓参り大好き、新潟大好き。暑いの平気。
結局今年も、一人旅立ったわたしです。

だが・・・、ほんとに新潟は暑かったのです。
写真を撮りに歩き回りたいところですが、そんなことをしていたら、たちまちうっかりアスファルトの上に出てきたミミズと同じ運命になってしまいます。
今年は下町(しもまち)を歩いてみようか・・・、などと考えていたのに。
歩き回るのは無理として、せめて見学だけでも、と新潟市歴史博物館「みなとぴあ」へ行ってみました。

新潟は、安政5(1858)年の修好通商条約により、神奈川、函館、長崎、兵庫と並んで開港場の一つに選ばれ、明治元年に開港しました。
「みなとぴあ」には当時の新潟税関の建物が現存(昭和になってから改修・復原)しています。

 

旧第四銀行住吉町支店(現レストラン:カーブドッチ)のまどに見る、新潟市の今と昔。
右、新潟市歴史博物館本館。建物は現代のものと思われますが、まわりを堀と柳に囲まれ、古き良き新潟市の風情を作り出しているようです。 
信濃川をはさんで左は朱鷺メッセ。
上層階はホテル日航新潟となっています。
私はいつもここに泊まりますが、駅や繁華街から離れているせいか、ビジネスホテルにちょっと上乗せするくらいの料金で利用出来ます。(インターネット予約)