まど

細く開いた窓を覗いてみると、そこにはNikonD70Sを前に困惑している女がひとり・・・

ロダン鑑賞一年生

2006-04-30 00:33:33 | Weblog

彫刻を見るのは好きなのに、ロダンがわからない。

私の中では広隆寺の弥勒菩薩を最上としているので、それとは水と油のように思えるロダンは好みではないからか・・?
みんなが言うロダンの精神性ってなんだろう?

わからなくても、見たらなにか掴めるかもしれない。
先達の勧めに従い、期待と不安を胸に「ロダンとカリエール」展に足を運んだ。

二人の思想・作品の共通点を探りながら見てゆく。
モデルとなった人物の表情、たたずまいから滲み出す人間性。
人間の顔って、年月を重ねると、もともとの美醜を抜きにして、かなり中身が現れるものなんだなあ。結構、顔イコールその人そのものだな。
モデルがいる場合は、その人のモニュメントとしての彫刻・絵画なんだろうか。
今まで、画家が何故自画像を描くのかわからなかったけれど、そうか、その時々の自分と向き合いたいのね。そんな気がする。
私が画家だったら、その時々の自分と向き合い、それを残しておきたいという心境になるのだろうか。不思議だ。

カリエールの絵は、優しくて、ちょっと悲しくて、夢の中で見た風景のように儚い。
カリエールに手をひいてもらって、ロダンの方へ歩いてゆく。

ジャンヌ・ダルク!
こわ!これは、私には想像もつかない苦悩と恐れを抱いたまま、死んだ人の顔に見えた。
死んだジャンヌ・ダルクを表現したものではない。(多分。解説を読んでないのでわからないけど)
生きている状態の顔なのだが、抱えているものの大きさに潰されて生気を失ってしまっているのか。
初めて、ロダンの表現力がわかったような気がした。(汗) やれやれ。

行って良かった。「ロダンとカリエール」展。
外に出て、雨に打たれている「カレーの市民」を見て、急に作品の重さが伝わってきたりして。

 

 


 


往年の輝き  三井家玄関ホール照明

2006-04-26 17:55:21 | Weblog

江戸東京たてもの園にある三井家玄関ホールの照明。

三井と聞くと思い出すことがある。
昔、合併される前、三井銀行というのがあった。
今では銀行をはじめとして有名な企業のロゴに筆文字を使うことはあまりないが、この三井銀行のロゴは、ある有名な書家の手による字を使っていた。
聞くところによると、この字は依頼された書家が半紙にサラサラと書き上げて渡したものだそうだ。
それを、本店の看板から、マッチに至るまで、拡大・縮小して使うのである。
半紙に書いたものを看板に使えるまで拡大してもバランスを保ち、マッチに使えるまで縮小してもつぶれない。
なんという腕だろう。

今もおぼろげに浮かぶのは、黒々と太い、「三井」の文字である。
三井銀行はなくなったが、あの字をもう一度、見たいものだと思う。

 

 


江戸たてもの館  左官仕事

2006-04-15 00:20:15 | Weblog

左官やさんが入っていた。
左官の仕事というのは見ていて飽きない。
特に、土を鏝で向こう側へ、しゃくる、スチャッという音が楽しい。
この土はどこの土か尋ねたところ、京都の土蔵の壁を崩したのを焼いてあるものだそうだ。それに、砂と藁蔦(?)を混ぜてあるという。
一袋の値段から考えると、標準価格米くらい?
米を塗っているのと同じくらいなんだな、と思った。
土をさわらせていただいたが、思ったより粘り気がある。
陶土に納豆を混ぜたような感じ。(笑