嵐山もすごい人出でした。
渡月橋も渡りたかったけど、人を見に行くようだなと思ったので、ひとり嵐電に乗って広隆寺に来ました。
京都に来たときは必ず広隆寺に行くようにしていましたが、今回は会社の旅行だし、嵯峨・嵐山で手一杯で時間が取れないと思い、諦めていたのですが。
静かな境内、ここは京都にありながら何故か奈良を思い起こさせるところだなあと思いつつ、色づいた紅葉を眺めます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/a3/7d213ded0e4f7b2cc7bf07e5fec1fd6e.jpg)
おお、十善戒。
「 十善戒 十の善き戒め
不殺生 生きものを殺しません
不偸盗 ものを盗みません
不邪淫 みだらな男女の関係をしません
不妄語 うそいつわりを言いません
不綺語 たわごとを言いません
不悪口 人の悪口を言いません
不両舌 二枚舌をつかいません
不慳貪 ものを慳み貪りません
不瞋恚 いかり憎むことをしません
不邪見 間違った考え方をしません 」
まずいです。
これを読んで、なにくわぬ顔で弥勒菩薩におめもじ出来るでしょうか。
生まれ変わって正しい生き方の出来た私になってから、再びご尊顔を拝し奉るのが仏教徒としての道である、と踵を翻す・・・・ことが出来れば大したもんです。
今日このときからこれを実践すべく、お誓いをすればよい、ことにします。
初めて拝観したのは中学の修学旅行でした。
こんなところに国宝第一号である仏像を安置しているとは、おおらかさもほどほどにね!と思ったくらいの質素なお堂で、直射ではないものの外光が入るし、湿気もあるだろうという環境だったのですが、またそれがなにか自然で静かな信仰を思わせて趣といった風情さえ漂わせていたものです。
今回、二十年ほども(中学からじゃないよって、当たり前です)経って来てみたら、あら、とんでもなく立派な建物が出来ている。
完全に日光は遮断され、調湿もばっちりであろうその中に安置された弥勒菩薩・・・。
有り難くも美しいそのお姿は二十年前と同じです。
いつも、何人か取りつかれたように魅入っているのも同じ、でも、なにか違う。
なんだか遠い、この距離感は、老眼のせいだけではない。
信仰の対象、というより国宝第一号としてのお姿になってしまわれたような気がしました。
それとも純粋でなくなった私が自ら遠ざかっているのでしょうか。
自分のことはさておき、仏像としての弥勒菩薩にとっては今の環境こそが最適と言えるでしょう。
この宝物を現在と未来の世界中の人に見てもらう、そのためには。
十善戒の文字が読めず、意味がわからなくとも、そのお姿を通じてお釈迦様の教えが届くのですから。