まど

細く開いた窓を覗いてみると、そこにはNikonD70Sを前に困惑している女がひとり・・・

谷村美術館を訪ねて  

2008-08-28 13:00:54 | Weblog

※お盆休みが終わって、ぼつぼつ書いておいたので、投稿します。

 

 

今年の新潟の墓参りには糸魚川への旅をプラスしました。

糸魚川くんだり(糸魚川のみなさん、失礼!)まで、フォッサマグナを見に?
それとも翡翠を拾いに?・・・そんな簡単に拾えたら毎年行くわさ。
そうじゃなくて、いつの日か必ず行こうと決めていた、谷村美術館を見るだけのために。

糸魚川行きの朝、新潟は雷が鳴り、激しい雨でした。
せっかく日本海が見えるところを走るのに、残念だなあと思っていたのですが、直江津を過ぎる頃から晴れ間が見えてきました。

AM10:01、糸魚川に到着。ちょっと海を眺め、山のほうにある美術館まで旅人気分で歩きます。

途中の家々を眺めていると、1階の軒高が高いのに気付きます。
冬は雪が降るので、床下が高く取られているのでしょうか。
こういうちょっとした発見をするのが、旅の楽しみです。

 

 向こうに霞む山はなんというのでしょう?白馬岳のほうを向いて撮っているのですが。
ずいぶん遠いところまで、ひとりで来たなあ、という感慨がこみ上げてきます。
直線距離でいえば東京からたったの(?)200kmくらいなんですが。

 

 谷村美術館は、澤田政廣(木彫・文化勲章授章)の作品群を展示したもので、設計は私の一番好きな建築家である村野藤吾(文化勲章授章)によるものです。

http://www.hisuien.com/tanimura_museum/index.htm

 

和風の回廊の向こうには、砂漠の砂の中から生まれたような建物が現れます。

これ、これ。
この足元周り。村野建築に会えました。

以下、絵ハガキより複写。

最初の矢印に従って進むと、あとは自然と次の間に導かれるようになっています。
次々現れる空間はそれぞれの仏様のお部屋になっていて、緻密に計画された自然光と照明に浮かび上がる像と対峙出来るようになっています。

建物の中には私一人。
外は真夏の昼間ですが、中は季節も時間も忘れた、まるで卵の殻の中のような子宮の中のような静かな空間です。


谷村美術館は村野藤吾92歳の時の、設計図をもとに没後建てられたものを除いた、最後の作品です。
この発想。情熱。
これを見るだけのために糸魚川まで来た甲斐がありました。


 


代わりゆく季節

2008-08-26 12:56:26 | Weblog

義父が具合が悪くなりました。

1年程前から、酸素が必要になっていたのですが、こんなに急に悪くなるとは・・・。
お盆休みに会いに行ったときは、起きて来て一口ビールを飲んだり、食べ物をつまんだりして、寝室に戻るとき、酸素のチューブを踏まないよう、私がたぐりながら前を歩いたら「牛に曳かれて善光寺参り」などと軽口を言ったりしたくらいだったのに。

心肺停止になり、そこから復活してくれた時は脳の働きが弱っていました。
とても記憶力とその引き出しの滑らかさが優れており、「ほら、あの・・・」とか「えーと、なんといったっけ」というのを聞いたことがないくらい、スラスラ言葉が出る人だったのに、今は脳がいろいろな映像を作り出すらしく、空中のものをつかんでいろんなしぐさをしたりします。
ただ、もともと朗らかな人なので、何かを私達に語りかけ、(入れ歯を外してあるのでいまいち判りにくいのですが)、相槌を打つと「なっ?」とご満悦で嬉しそうに「はっは」と笑います。
「何か」を取りたくて起き上がろうとするのですが、「苦しくなっちゃうといけないから、○○先生が寝ていなさいって」というと「ほー、そうか」と言って聞き分けてくれます。
私が同じ状況になったら、こんなにいい人で居られるだろうか。
こういうとき、素の自分がでてしまうのかと思い、これからでも、少しでも自分を調教しておくべきだななどと考えてしまいました。

容態が悪化しても延命措置はとらない、と決めたので、あとは本人の体力次第ということになります。
いつ何があってもおかしくないので、と言われているので、なるべく私も空いている時間は病院に詰めたいと思っています。

更新がなかなか出来ないかと思います。来ていただいて、留守だったらごめんなさい。

 

朝顔市のときの写真。
今、うちの朝顔はこれより随分伸びましたが、花や葉は小さくなってきました。

季節が変わろうとしています。