まど

細く開いた窓を覗いてみると、そこにはNikonD70Sを前に困惑している女がひとり・・・

国宝 薬師寺展で。

2008-04-18 12:58:23 | Weblog

昨日もちょっと触れた「国宝・薬師寺」展ですが、感じたことをいくつか。

先日NHKBS(だったかな?)にて、特集 「薬師寺」を放送していたのを、用をしながら横目で見ていましたが、はるばる奈良から無事日光・月光菩薩像が到着され、その厳重な養生が解かれたとき、学芸員の方でしょうか、若い女性が思わず合掌されていました。

地球上には偶像崇拝を禁じる宗教もあるようですが、何かにうたれ、自然と手を合わせる、その素直な心こそが信仰だと思うのです。
偶像っていっても、ここまで有難ければ!

そりゃー、言ってしまえばただの金属の塊なんですが、すでに千年以上善き祈りを吸い込んで、科学では割り切れないなにかを醸し出しているのだなあ、形が美しいというだけで人々の心を動かしているのではないのだということを、会場で両菩薩を取り巻く人々の顔を見て感じました。

 

それにしても、展示方法も良かったです。
東博、昔はほんとうに「はくぶつかーん」という感じで、感情を揺り動かすことを狙うなんて下世話だとでもいうような展示だったのが、近年エンターテイメント精神が芽生えたのでしょうか、展示方法自体を見るのも楽しくなってきました。
今回は特に良かった。赤を多用したのは、奈良という時代の建物を再現したというのもあるでしょうが、こちらの気持ちを知らず知らずのうちに昂ぶらせるという効果も狙っているのでしょう。
聖観音菩薩立像でまず感動、日光・月光菩薩像へすすむスロープを登っているうち心拍数も上昇、そしていきなり両菩薩の全身が現れる、これじゃ血管と心臓の弱い人は危ないぞ~。
そしてまた、像の黒く鈍い輝きに赤が合う~。
皆さん、微熱のあるようなお顔で拝観されていました。
こういう演出には乗らなきゃ損というものです。みなさん純で素直だからこその感動をいただき、両菩薩はさらにパワーアップというわけで、薬師寺展、大成功。

 

 

人工の美を満喫して庭園に出ると、ここにも仏性の宿りしものたちが。


椿に呼ばれた日

2008-04-16 12:48:51 | Weblog

家の近くに、玄関の両側をずらりと様々な椿を並べて咲かせているお宅がある。

春になるとそれぞれが競うように咲いて、通る人の目を楽しませてくれるので、どんな方が作っておいでなのかと思っていたら、あるとき、木の間でうずくまって掃除をしていらっしゃる小柄な白髪のご婦人を見つけた。
 その時は黙って通り過ぎたが、先日椿の花の下でお見かけしたとき、
「素敵な椿ですね。いつも春になると楽しませていただいてます。」と声をお掛けした。
椿夫人(そうお呼びすることにする)は喜ばれて、お好きなら今度挿し木にして差し上げますよ、と言って下さった。

昨日、東大の椿を撮りに行こうと出かけたら椿が呼んだのか、椿夫人が庭へお出ましになっている。
ご挨拶をしたら、「今日、実生で出たのを見つけたから。鉢に移して置いておくから、持っていらっしゃい」と言って下さった。

私は、すっかり嬉しくなって、「必ずお寄りします」と約束して出かけた。


さて、写真のほうは昨日の投稿のとおりだが、そのあと東大から根津を通って上野へ出て、「国宝・薬師寺展」を観た。
展覧会の売店を覗くと、たくさんの椿の造花が出ている。(これも売り物)
これは薬師寺の「花会式」と呼ばれる、十種の造花をご本尊に供える行事の、今年のメインの花が椿なので、ということだった。
おや、また椿・・・・、この展覧会も椿に呼ばれたか、と思った。

造花はなかなか風情があって良かったので欲しかったが、なにせうちにはネコがいる。齧られるか倒されるかが関の山なので、椿つながりで、こちらを求めた。

薬師寺 散華

さすが、薬師寺ともなるとオリジナルの散華があるんだなー。
しかも、小倉遊亀!
この他にも、いろんな画家さんが散華に相応しい絵を描いているので、人気があるようだ。これをコレクション始めたら嵌りそうですなー。


 


東大のお嬢さん

2008-04-15 22:18:36 | Weblog

春たけなわである。

そういえば、あの東大のお嬢さんはどうしているだろう?

今日は彼女に会いにいってみよう。
私は本郷に向かった。

数年前、東大の校内を歩いていて、私は一本の椿に出会った。

その風情、楚々としたその姿に、三四郎の時代の深窓の令嬢が現れたような気がしたのである。

東大のお嬢さんは乙女椿だった。
当時、椿の種類にあまり関心がなく、枝ぶりの美しさばかりに気をとられていたのだが・・・・。
気がつくと、すぐそばにもう一本器量良しの妹がいた。
ちょっとやんちゃな感じがするが、こちらもなかなか。
乙女椿はあまり好きではなかったが、改めてその良さを知らされたような気がした。


宣誓。

2008-04-14 12:56:14 | Weblog

くしゃみをしたら、ウエストのボタンが吹っ飛んだ、という経験、ありますか。

 

私は、あります。

 

その時は、もともときついのを無理してはいていたので、やってしまったのですが、

・・・・・先日、健康診断がありまして、ここ2年間、律儀に1年に1キロのペースで体重が、
・・・増えている。

 

このままでは5年後には、私の全てのスカートやパンツのボタンは全滅です。

なんとか、します。


風は心地よい空間を通り抜ける ~高崎哲学堂~

2008-04-12 12:13:34 | Weblog

興奮を引きずって第二会場の旧井上邸、高崎哲学堂へ向かいます。

静謐な空間。わたしの興奮をやさしく穏やかに鎮めてくれる。

第一会場の記事にも書きましたが、ここ高崎哲学堂は高崎の文化のパトロンだった井上房一郎氏が、自宅を火災で失ったとき、レーモンドの自宅兼事務所の図面の提供を受け、自分のところ(井上工業)の大工に採寸させて、和室を入れるなど多少のオリジナルを加え、建設しました。

居心地の良さそうな居間。
ちょうどこの日は初夏のような陽気で、風が心地よく抜けていきました。

写真に見える、柱を二つ割りの丸太で挟み込む「鋏状トラス」という構造が美しいアクセントとなっています。
これを生かす為に天井なしで?と思われるほどですが、いやいや、レーモンドさんはもともと天井張るのはお好きではないように思えるので、怪我の功名(?)といったところでしょうか。



夏はいいけど、冬は寒いだろうなあ、この家。

でも、「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなるところにも住まる。暑き比わろき住居は、耐え難き事なり。」ですから、いいのかな。

リーフレットはパティオの写真が表紙になっています。
夏はここでビール、冬は毛布でぐるぐる巻きになって読書、なんて良さそうです。


これ、モノクロで綺麗な写真だなあと思います。また、タイトルの位置がばっちりだわ。
センスいいなあ・・・。
井上房一郎氏が蒔いた種は広大に根を広げたのだな、と思ったりして。


高崎で文化の風に当たる。  「アントニン&ノエミ・レーモンド展」

2008-04-11 23:42:53 | Weblog

高崎市美術館に「アントニン&ノエミ・レーモンド展 建築と暮らしの手作りモダン」を見に行ってきました。

この展覧会は、昨年神奈川県立近代美術館(鎌倉)でやっていたのですが、見そこなっていたのです。
次は高崎に巡回するからいざとなったら高崎で、とのんびり構えていたら本当に見そこなった・・・。
それにしても、なんで高崎?と訝しく思っていましたが、実はレーモンドは高崎に深い関係がありました。

「あの」高崎白衣観音を建立された高崎の実業家井上保三郎翁のご子息で、高崎の文化のパトロンとも呼ぶべき井上房一郎氏が群馬音楽センターの建設に関わっており、レーモンドに設計を依頼したのです。

今回、「アントニン&ノエミ・レーモンド展」高崎市美術館が第一会場、井上氏がレーモンドの笄町の自宅兼事務所を非常に気に入り、それをコピー・反転したものを高崎に建ててもらい、自宅とした「井上邸」(現高崎哲学堂)が第二会場、そして群馬音楽センターが第三会場となっています。
(群馬音楽センターは今回4月15日以降の公開、ただし通常のコンサート等で見ることが出来る)
うーん、こりゃ~、鎌倉を見逃して正解だったぞ?
長い人生、見逃して正解、ということが何回かあるものです。(あるか?)


さて、展覧会のほうですが、もともとレーモンド好きな私は大満足しました。
まず、霊南坂の自宅の模型に感激。
この敷地内はこれでひとつの宇宙です。この建物を含む空間そのものが美しい。
さらに、私の中ではレーモンドは直線の建築家というイメージがあったのですが、アールの使い方のうまいこと!
レーモンドという人は立体の感覚の優れた人だったのだなあ、と思います。

霊南坂の自邸   
写真でも雰囲気わかりますが、改めて模型の力って大きいと感じました。


 

さらに、リーダーズダイジェスト東京支社。
「あっ、これがリーダイか!・・・・・これが、リーダイだったのか・・・・。」(絶句。)
と思わず声が出た。でも、大丈夫。その部屋にいたのはうちのジイサンと娘だけですから。
リーダーズダイジェスト東京支社。以前、この建物を壊し、その後に建ったパレスサイドビルの事を調べたとき、その名前を知りました。
パレスサイドビルの設計担当だった林昌二さんは、名建築の誉れ高いリーダイビルを壊して建てるのだから・・、と相当プレッシャーがあったといいます。

そうか。そうだろうな。プレッシャーかかるわな、これじゃ。
パレスサイドビルも名建築で、大変好きな建物ですが、どっちが好きかと聞かれたら、私は・・・・・もうリーダイの虜よっ。移り気でごめんなさいよーん。
いま亡きものを「こんなに良かったんだよ」と言うのは、なんだか「昔は良かった」と言うのと通じるところがあって、ジジ臭さを感じないでもないのですが、剛速球でストライク!!なので仕方ありません。

で、どこがどう良いのか?プロの方ならきっちり説明出来るのでしょうが、所詮私は建築家の卵(しかもこれから勉強が続くかどうかもわからん)を産んだだけの母鶏、
ケッコウケッコウしか言えない。情けない。
無理やり感想を述べるとすれば・・・・、ものすごくレベルの高いゴシック体のロゴと同じ。・・・ますますわかんないか。

学校の先生が、ゴシックでインパクトのあるロゴが出来ればそれは最強のロゴだ、と言いました。
言われてみれば、National、HITACHI、SONY、Microsoft、TOYOTA、そうだ、忘れてはいけない、Nikon、みんな有名どころはゴシックです。
で、遠くから見てもすぐわかる、どんなロゴか、真似してそらで描ける。
どこがどう良いのか判らないけど、実にインパクトがある。
リーダイビルもそうです。(正しくは、私にとって、ですが)

永遠の基本形。装飾的でないのに強いインパクト、そして美しい。
あー、いいもん見た。
でも、これを肉眼見た人がいるんですね。
もっと言えば、ここで働いていた人たちがいるわけで。
うらやましいなあ。遅れて来たことが残念です。

んー、ちょっと興奮気味ですね。ちょっと頭を冷やして次は第二会場へ。



椿の散華

2008-04-06 21:08:07 | Weblog

私の育った家には数本の乙女椿がありましたが、乙女椿ときたら、可愛いには可愛いのですが、侘びだとか寂びだとか色気とかにはほとんど無縁だし、葉っぱにしたって色が濃過ぎるような気がするし、あの硬さも花と合っていないように思えて、嫌いでした。

唯一、これはいいと思ったのは、ままごとの時で、花にボリュームがあるし、じゃんじゃん咲いてじゃんじゃん落ちるので、使い放題だったのです。
春先のことで、地面のひんやりとした冷たさが移った花を木の下から拾い、手のひらにのせて落ちないように運ぶ。
今から考えれば、これはかなり素敵な荷物でした。

大人になっていろいろなところで椿を見る機会があり、だんだんと椿の魅力がわかるようになりました。
本物の椿の美しさに気づいたのはもちろんですが、あるとき雑誌の1ページに載せられた写真に釘付けになりました。

京都東山 法然院   椿の散華

散華とは仏に供養するために花を散布することです。
ここ法然院では季節に応じた花を25輪、二十五菩薩になぞらえて並べるそうです。
通常はこの伽藍は非公開で、散華も庭から見ることになるのですが、1年に2回、4月1日~7日、11月1日~7日は特別公開され、間近に見ることが出来ます。
椿が置かれる春の公開、いつかは是非拝見したいものです。

 

写真は、写真家 水野克比古さんが雑誌に出されたものを取り込みました。
写真集「京都法然院歳時記」を出されています。(←見たい。)

 

 


定番

2008-04-05 12:59:28 | Weblog

料理は実際の味もさることながら見た目も大切、なんてことは日本人なら誰でもわかっていることですが・・・・。

 

 うまそ~。

「かわい~」と言いたいところですが、それを言うには年齢のほうが消費期限切れなので言えません。

女の子の好きな色の取り合わせだなー。
小さい子は漠然と花を描くときは、必ずピンクと緑で描きますね。
永遠の組み合わせ第一位。
第二位はピンクと水色、でしょうか。
ピンクと水色・・・、サンリオのキキララなんてセオリー通りだなあと、発売されたとき既に大人だった私はクールな目で見ていましたが。

このケーキの素材と形態は洋物ですが、色の取り合わせ自体は我が国にも古くからあるようです。
十二単の色の取り合わせ(襲色目というらしい)は80%くらいピンクと緑の組み合わせです。
これは、きっと遺伝子に組み込まれているな。

このケーキを中宮定子のサロンにお届けしたいです。
そしたら、清少納言が枕草子に書いてくれたに違いない。