まど

細く開いた窓を覗いてみると、そこにはNikonD70Sを前に困惑している女がひとり・・・

ほおづき市  ~ご利益~

2007-07-11 12:52:10 | Weblog

今年は念願の朝顔市に行くことが出来たので、それならほおづき市も行かなくてはと二十数年ぶりに行ってきました。


七月十日は四万六千日(しまんろくせんにち)と言われ、この日お参りしたら四万六千日参拝したのと同じ功徳が得られると言われています。
この四万六千という数は一升分のお米の数であるとされ、人間の一生にかけてあるということです。
・・・・・って、浅草寺でアナウンスされていました。
昔の人はうまいこと考えるものです。
こういうのはまんまと乗せられてお参りするに限ります。ゆめ疑うことなかれ、です。

ほおづき市に来たのには、もうひとつ目的がありました。
中学のときの友達の実家が「くまで屋」さんで、年末の酉の市とほおづき市に出店しており、もしかしたら会えるかもしれないと思ったのです。

ほおづき市の店は100店ほどあったでしょうか。
私は写真を撮りながら片っ端からのぞいて回りましたが、いません。
ご両親を知らないので、本人が来ていなければアウトですし、お互いなんとなく便りをしなくなって二十年ほど経つのでその間に商売をかえたかもしれないし・・・・。

あとほんの数店。殆どあきらめかけた時、店の奥に座っている友達を見つけた!
お互い老けたけど、思わず昔のあだなで呼び合って、手を取り合いました。
よかった。お互い元気で。

年末、大鳥神社に遊びに来てね。

必ず、行くね。それまで元気で。

 


こちらは、愛嬌たっぷり。ほおづき娘。


朝顔市4  居た!・・・・でも。

2007-07-10 17:50:32 | Weblog

私は美人が好きでして。
そんなの皆好きだって・・・・そりゃそうだ。

しかも、キリッとして品のある美人が好きです。
この頃の若いのは、なんかみんなチンケ(おっと、お品が悪いですね)な感じでね、電車の中でそれは見事に作り上げたりなんかしておりますが、芯から美しさの滲み出ているようなのはもう殆ど絶滅危惧種・・・・・・・・・と思っていたら、居た!

思わず二度見してしまいました。
この凛とした美しさは、朝顔、ではないな、桔梗か竜胆か。
これは撮らせてもらわないと一生の後悔だと思い
「お、おねえさん、写真撮らせて」と頼んだのでした。
「こんなところでいいんですか?(にっこり)」
「か、顔に光の当たってる具合がとても○◇※#$(いい大人が言いよどむとは)・・・・・。」

慌てて3枚撮り、お礼を言って別れを告げる・・・・・。
私は祈りました。どうか、うまく撮れていますようにと。
だが!2枚はブレブレ。なんとか残った1枚も全然いまいち。でも、UPします。今日の彼女は今日しかいない。
彼女の美しさを伝えきれなくてほんとに残念です。
ああ、腕があったらもっと綺麗に撮れたのに、と悔やむことは多々あれど、今回ほど残念に思ったことはありません。
ピカいちの被写体を見つけて勇気を振り絞って頼んだというのに。


来年、また朝顔市で会いましょう。


朝顔市3  余韻の〆は・・・

2007-07-10 17:16:54 | Weblog

日曜ということもあって、8時を過ぎたら狭い歩道は通勤時間の山手線のような混み具合になってきました。
お参りもしたし、朝顔も買った。一応写真も撮った。
それより朝ご飯抜きで来たからお腹が減ったぞ。潮時だ!とばかりに引き揚げることにしました。

お腹減ったけど、鶯谷でファーストフードでも食べるか?
でもそれじゃ情緒ぶちこわしってもんです。
・・・・・そうだ、隣の駅(日暮里)まで歩けば「羽二重団子」の店がある・・・・。
一度、食べてみたかったけど、時計はやっと9時を回ったところです。
ちょっと待つのを覚悟で行ってみることにしました。(朝ご飯代わりに団子って?同じお米だから、いいんです。エヘ。)

おおっ、有り難いことになんと9時からやっていたのでした。
思わず、「こんなに早くから開けてるなんて、皆さん働き者でいらっしゃるんですね。」などと、注文を取りにきてくれたお姉さんに気軽に話しが出来るのは、さっきの朝顔市での雰囲気を引きずっているからでしょうか。
外の縁台でいただくことにすると、速攻で蚊取り線香を持ってきてくれたりして、なんか今日は人の優しさを感じる日です。(涙)

羽二重団子のお茶セットです。鬼子母神でいただいた朝顔のお守りと一緒に。
お餅?のなめらかさはさすが「羽二重」の名に負けません。
あんこは上品な甘さです。
これで462円也。お土産で買っても同じ値段です。
目も心も舌も大満足で家に向かいました。


朝顔市2  下町気質

2007-07-09 12:42:27 | Weblog

以前、羽子板市に行ったときも感じたのですが、ああいうところでお店の人と客の掛け合いを聞いていると飽きません。

今回、なかなか決まらないお客さんに女主人が
「あー、もう、旦那さん、最初にそれが気に入ったんならそれが一番いいんだから、それにするのがいいよ!迷ってたら全部買うようだよ!」とハッパをかけて決めさせてしまいました。
さすが!その迫力。それでいて嫌なかんじのしない客あしらいは持って生まれた下町の気安さと商売の年季の賜物でしょう。

この揃いの半天、売ってました。
7000円くらいだったかな。
若い女の子の浴衣に相応しいような可愛い柄ですが、おじいさんが羽織っても絵になります。

 

さて、お客の中には祭りに花を添えるべく浴衣で来ている人もチラホラ・・。
今は、浴衣の襟にレースがついている時代ですから、着てくれるだけで御の字なのは先刻承知なのですが、それでもやっぱり様になるように着るのに越したことはありません。
このご婦人は通りすがった若い男性の着方がどうしても気になった、というより直してやんなきゃ気の毒だ、という感じで
「ほら、ここをこうやって。帯だってこんなに高く締めないの。子どもじゃないんだからね。余計なお世話だけど。」
と直してあげていました。さすが、下町。


これを「ウザイ」と思うか、「有り難い」と思うか。
なるべく後者の多い世の中でありますように。




朝顔市1  おそれ入谷の・・・・

2007-07-08 23:39:31 | Weblog

今年は入谷朝顔市が日曜日にかかったので出かけてきました。
当然朝顔は朝咲くのでなんと5時からやっています。
お店の皆さん、ほんとにご苦労さまです。
私には出来ない。ねぼすけだから。でも今日は頑張りました。

朝顔市は入谷鬼子母神のお祭りです。
「恐れ入谷の鬼子母神」って、この言葉を使うのはある一定の年齢以上の人たちでしょうね。
私は、もちろん使います。(笑)
このあとは、「びっくり下谷の広徳寺、どうで有馬の水天宮、志やれの内のお祖師様、うそを築地の御門跡」と続くのは今回初めて知りましたが。

鬼子母神伝説はあまりに有名ですが、ここ入谷鬼子母神は子育ての善神になったという由来から角のない鬼(そんなの出せる技は知らん)の字を使っているということでした。
私も一応母親なのでお参りさせていただき、子どもの幸せを願ってきました。
朝顔の形をしたお守りをいただくと、「妙法蓮華経如本第一」と言って切り火を切っていただけます。
朝からよい気分です。

境内にあるざくろの木。
お釈迦さまはざくろの実は人間の肉の味がするというから, この先 子供を食べたくなったら この実を食べて, 自分の子供がいなくなった時の苦しみ・悲しみを思い出すように」と鬼子母神を諭されたというのでざくろの木が植えられています。


悲しく、強く、美しく。

2007-07-06 13:28:35 | Weblog

今日7月6日はフリーダ・カーロが生まれて100年目の日です。

フリーダ・カーロの絵はテレビだとか本だとかで時折目にしていましたが、いつ見ても叫びが聞こえる、いや、叫び声というよりそれを歯を食いしばって涙とともに飲み込んで、キャンバスに向かって いるような絵だなあと思っていました。
あとから調べてみたら、静物画なども描いているのですが、一般的なメディアでは「痛そうな」絵を取り上げることが多いので、ついフリーダに対しては心に大きな傷を負った人、という風なイメージを抱いていました。

昨年、レンタル屋の棚で映画「フリーダ」のDVDを見つけ、「おや、映画になってるんだ・・・」と借りてみたら・・・・・、
これが、役者良し、映像よし、ストーリー良しの三拍子揃った佳作だったのですね。
ストーリー良しだなんて、フリーダの痛い人生に対してあまりに突き放した言い方になってしまいましたが、つらい出来事の多い人生に負けてるだけじゃない彼女の生き方は頼もしく、小気味がいいと感じることもあるほどでした。

この映画をこれから見る楽しみ(もしまだなら)に障るといけないのでストーリーについては書かないほういいですね。
フリーダ役の女優さんの美しさ、体当たりの演技、メキシコの風景、当時の社会情勢、カラフルな民族衣装など見どころは満載ですが、私の心に残ったのはフリーダの夫ディエゴの言った言葉で、
「描かずにはいられない。それが、画家だ。」でした。
彼も、フリーダも描かずにはいられなかった。
描くことで自分の存在を形成するのです。
これのおかげで、現在の私達が素晴らしい作品の数々を見ることが出来る。
たくさんの感謝を作品と作品の影の人生に贈らずにはいられません。

 フリーダ・カーロ こちらご本人。美しいです。

 

こちらフリーダ役のサルマ・ハエック。名演技でした。

 

痛い。でも、涙に濡れた瞳に意思を感じます。