まど

細く開いた窓を覗いてみると、そこにはNikonD70Sを前に困惑している女がひとり・・・

Gパン

2005-10-31 23:04:08 | Weblog

両親がGパンをはいているのを見たことがない。
そして今後も見ることはないだろう。私の父は昭和4年、母は12年の生まれである。
この世代はGパンが嫌いである。
母は、昔私がスリムをはいて出かけようとしたら「そんな、俥屋みたいなズボン!」といって顔をしかめた。

以前、Gパンを買い、長さをみてもらいながら「いつまでGパンがはけるかな」とつぶやいたら、いかにもGパンが好きでジーンズショップをやっています、といった感じの店主が「一生はいてくださいよお。」と言った。
一生・・ね。お爺さんでGパンはいている人はいるけど、お婆さんではいてる人は見たことがないし。
その時はそう思った。

吉田拓郎が還暦を迎えるんだって!?先日のテレビでやっていた。
しめしめ、そうか、あと10年経てば古希、いよいよGパンを自然に、かっこよくはいてくれる世代がおじいさん、おばあさんになる。
たくさんお手本を見せてもらって私も一生Gパンはこうっと。
・・・明日は美容体操の本を買って帰ることにしよう!

 

 


芸術の秋

2005-10-28 13:03:08 | Weblog

しかし、私が上野を訪れる時は、何故抜けるような青空の日かどんよりと曇った日のどっちかなのか。
・・・それに上野というところは何時来ても枯葉が多い・・。
そんな事を思いながら上野へ向かって歩いた。

・・・そうか、上野には秋しか来ないからそんな印象になってしまうのだ。
世の中が芸術の秋、というものだから秋になると私もつられてつい来てしまうのだ。
ちょっと反省、でもすぐ復活。

食欲の秋については手抜かりはない。芸大のある角に桃林堂という和菓子屋さんがある。店構えもお菓子も風情満点。
あ~、文化に触れた。満足、である。
残るは読書の秋である。そうだ、国際こども図書館へ寄ろう。
ここは既存の建物を安藤忠雄が補修・改修したものである。
本好きなこどもなら1日いても飽きないだろう。

 

大人も楽しめる。喜ぶこどもの顔が見れるから。

 


気持ちのいい場所

2005-10-27 22:50:48 | Weblog

台東区立朝倉彫塑館へ行って来た。
随分前から行きたいと思っていたが、一番好きなオカズを最後にとっておくのと同じで、楽しみにとっておいたのである。
前は是非良く晴れた日に、と思っていたが、いろいろな表情を見るのもいいなと思い曇りだったが行ってみた。

入ってすぐがアトリエで、作品が並んでいる。
それを見たとき、カメラは置いてくるべきだったか、と思った。
受け取る方に力がないと作品か、建物か、どっちつかずになって何も残らない。
今日は作品にするか、と思ったが作品が展示してあるのはアトリエのある洋風のスペースだけで和風の住居部分には生前使った家具などが置いてあるのみだったので、うまく切り替えが出来るようになっている。
お陰で両方堪能させていただいた。

さすが芸術家のお宅ね、と他の入館者が言っていたのを聞いたが、本当にその通りである。
管理も行き届いており、庭の石が乾くと係りの方が水を掛けて回る。
何もかもが気持ちのいい場所だった。

 


藪を漕ぐ

2005-10-22 13:11:22 | Weblog

藪を漕ぐ、という言葉を初めて知ったのは確か串田孫一の随筆だったと思う。
この言葉を聞くたび随筆から呼び起こされたイメージが映像のように浮かぶ。
向こうに色付いた広葉樹の林がある。
そこからこちらに向かって藪が広がっている。遠くに望むなだらかな山。
その藪の中を串田孫一が一歩ずつ足元を探りながら進んでいるのだ。
ベージュのヤッケを着て、赤いチェックのネルのシャツを着ているようだ。
藪が深いので胸から下は見えない。
空はよく晴れて、秋の日差し。それを私が高いところから見ている。


箱根の仙石原に行ってきた。
風があるので夕日をうけて光るススキの原は金色の海のようだ。
頭の中で夢見ていた藪とはまた違う美しさである。
仙石原に宿をとり、朝日に光るススキも見た。
夕日では金色に光っていたススキは朝日を浴びて銀色に輝いている。
光の加減が難しくて、いかにも仙石原、という写真は撮れなかった。

残念。おとといおいで、とススキが手を振る。

 

↑わざわざ仙石原までいかなくても撮れたかもしれない。単価の高い写真である。


神戸 建物めぐり

2005-10-19 13:01:52 | Weblog

2日目の獲物は原田の森ギャラリー(村野藤吾)・旧山邑邸(ヨドコウ記念館、フランク・ロイド・ライト)・芸術の館(兵庫県立美術館、安藤忠雄)である。
まずは巨匠・村野の作品から・・。
この前、ルーテルを見て感動しているので期待度200%で臨んだ。
ところが・・・私に対してなんと寡黙な建物だろう・・、建築の世界では評価が高いらしいので見る人が見れば感動モノに違いないのだが、見る目のない悲しさ、従って写真もイマイチ。次!
ライトを見るのは初めてである。
こちらは、本当の骨董品だ。扉が大きくギィ~っと鳴る。大丈夫かね、百人乗っても大丈夫なんじゃなかったのか?それはイナバだっつーの、と一人ボケツッコミをかましながら入る。
当然、室内は撮影禁止である。
ここは装飾の洪水のようであった。
先ほどとは一転、饒舌すぎるのである。ずっと話かけられて、ちょっと疲れた。
もうとっくに昼を過ぎている。が、昼食をとる時間は私にはない。次!
今をときめく安藤忠雄の作品である。昨日も書いたがここはハコがでかい。
2日間歩きまわって疲れ果てている私にダメおしの一発が喰らわされる。
え・・エサ。
エネルギをチャージしないと限界である。・・・だが3時をまわっているのにレストランは満席だった。
どうせ何か食べるんだったら三宮まで戻るわい。よろよろしながら駅までの道を歩くのであった。


こうべ~

2005-10-18 21:23:30 | Weblog

今年は私にとっては旅のあたり年である。
社内の研修旅行で神戸へ行って来た。
ツアーなのでとんでもなく朝早い新幹線である。寝不足のアタマの中をこうべ~、と前川清がうなっている。
これから2日間、私のアタマの中は前川清に乗っ取られるに違いない。
神戸は魅力的な建築物の宝庫である。自由行動が多いので見たいものをピックアップし、時刻表をにらみ、地図をめくり、準備は完璧である。
一応私も女の子!?なので神戸ときちゃあ、ミーハーにならざるを得ない。神戸に敬意を表して、着るものにも気合が入っている。
黒の細身のパンツに黒のトップス、これに金色が入ったガラスのネックレスである。
決まった!スカし過ぎではないかという心の声を振り切って出発だ。
ネックレスを外せば急のお通夜にもすぐ対応出来る。最強なのだ。

 

兵庫県立美術館 芸術の館 ~安藤忠雄~

ハコが大きくて迷路のようだった。
黒装束に迷路、これじゃ忍者だよ。


はしやすめ。   会津のオマケ

2005-10-17 13:06:26 | Weblog

女のひとり旅というのは、なかなか苦労が多い。

まず、力持ちでないといけない。
今回は三脚も持っていったし(実際に使ったのはほんの数枚だけど)、大荷物だった。
この点は大丈夫、私は大変力持ちである。

一番の苦労?は人の目である。
大抵一人でも手軽に泊れるのでホテルを利用するが、大自然のなかの観光地だと周りに食事をとれるような店がなかったり、コンビニがなかったりで、仕方なく大広間の食堂に行くことになる。
今回、2泊目がまさにそれだった。
夫婦ものや、家族連れ、グループばかりの中、女ひとりの私は目に付く。
このオバハンはなんで、この夏休み真っ盛りの中、ひとりでこんな所に泊っているんだろう、家族はいないのか、友達もいないのか・・・視線が突き刺さるのである。
あのですね、夫が仕事で墓参りに来られないので私ひとりできたんですっ、新潟くんだりまで来て墓参りだけじゃもったいないので会津まで足を伸ばしたんですッ、磐越西線が長くてお尻が痛くなっちゃいましたっ!と、説明したい・・、が出来ない。
仲居さんが「なにか、お飲み物は」と、聞く。
女ひとりで、手酌でかいっ!
掻き込むようにして食事をし、そそくさと部屋に戻る。

この旅の間、2人の人に「おひとりなんですか、へぇ~っ」と10へぇ~ばかりもらってしまった。そんなに珍しいかな。

もうひとつ、女に限らないがひとりだと複数で泊るより困るものがある。
部屋に先客・・・・・・、そこにずっと逗留している・・・戸籍のない・・。
今回、どうも居たような感じがした。
どうしても嫌で、そっちの部屋に行きたくないのである。
なんとなく、あ、男の人だな・・・、と思った。見知らぬ男と同じ部屋、ましてテキは姿が見えないのである。まずいっ。
見えたら、部屋を替えてもらえるのに・・。
いや、見えないほうが良かった。見たらもうひとり旅は出来ない。
旅先で心臓麻痺なんて嫌だもんね。

 

この沼から来たのかな。キャーッ

 


 


ルーテル神学大3

2005-10-16 16:39:36 | Weblog

約3時間の滞在であった。
さすが村野藤吾、いろいろな表情を見せていただいた。
私に「目」と「腕」があったら、もっとその魅力を切り取って来られるのに。

ここはライフワークになりそうである。
私が朽ちるのが早いか、建物が朽ちるのが早いか・・。

また来るよ。
出来れば雪に彩られた姿を見に。


ルーテル神学大2

2005-10-16 16:32:08 | Weblog

1969年竣工。村野氏78歳のときの作品である。 78歳!
私、78歳になって昨日食べたものを覚えていられるかな。(対比の仕方があまりに失礼か)
建ってからすでに36年、かなり傷んでいる。改修・一部建替えもされている。
私のほうが年上なのに、と思ったら「あなただって傷んでいるわよ」と天の声が聞こえた。
えっ、そ、そんなことないよ。きっと。絶対。多分。・・・ま、チョと覚悟はしておけ。・・・・うん。


ルーテル神学大(現ルーテル学院大)

2005-10-15 11:12:50 | Weblog

建築物の写真は難しい。
全体をなんの工夫もなく撮れば大抵「改修工事着工前」の全体写真になってしまうし、あまり部分的に撮ってもその建物全体が持つ雰囲気を伝えられない。
それに有名な建物は建築雑誌などで特集が組んであったりして、プロのカメラマンがいい撮影条件で余すところなく撮っているので、わたしなんぞが出て行く必要がない。
わたしらしい「建築物の写真」って、どんなんだろう。
・・ま、はじめたばっかりでカメラの扱いもままならないのに、「わたしらしい」写真てのもナンですが。

で、ルーテル神学大(三鷹市)である。
私が一番尊敬している建築家、村野藤吾の作品である。
大体、名前がかっこいい。しかも村野せんせいは、ハンサムであった。
たとえ、ハンサムじゃなかったとしても大好きであるが、まあ、折角ハンサムでいらしたのだから、そこは、ほれ、有難く頂戴しておくのである。



設計者がハンサムなら建物もハンサム。
かなり年とってたけど。