平塚市美術館の「絵で読む『宮沢賢治展』~賢治と絵本原画世界」展、
「雨ニモマケズ」手帳が展示されるというので、行ってきました。
宮沢賢治に対しては全くただのミーハーで、展覧会があればこうして出かけてゆくし、講演会があれば聞きに行ったりもするのですが、なにせ、今回の展示の第1部~「宮沢賢治」という現象~にもタイトルとして取り上げられているように、宮沢賢治という存在自体が稀有なる現象であるので、わたしなどにその現象の意味など判ろうはずもありません。
ただ、自分に厳しく、生涯悲しみを湛えながらも弛まず歩き続けたその人生には、子どもの頃から尊敬の念を抱いていました。
父親が本好きで、時々児童書をお土産に買ってきてくれたのですが、そのうちの一冊が「銀河鉄道の夜」でした。
「銀河鉄道の夜」の他、何篇かの童話が入って一冊になっているものでしたが、わたしが熱心に繰り返し読んだのは、あとがきにあたる宮沢賢治の生涯を述べた部分、そして「雨ニモマケズ」でした。
まだ子どもで人生の経験の少ない私でも「雨ニモマケズ」の文章の語る崇高な精神だけは感じることが出来たのだと思います。
小さく載った見開きの手帳の写真、それに何度見入ったでしょう。
その手帳を、本物を、目の前で見ることが出来るのです。
手帳はケースに入れられ、見やすいようにふたつの照明に照らされていました。
この事務的な展示がかえって良かったように思います。
これがビロードの布か何かに包まれるようにされて、暗くした部屋でスポット照明でも当てられていたら、興ざめだったかもしれません。
やっと、お会いしました。そして、あっという間にさようなら、です。
現物を見た喜びは確かにありました。
ただの手帳ではなく、賢治の精神のよりしろとなっているものなのだ、という実感もありました。
でも、どこかで再び展示があっても、私はもう一番の鑑賞の目的にしなくても良いと思います。
これが、この世のどこかにあってくれればそれで良い。
もっと言えば、失われてしまっても、かつてこの世にあったという事実だけでも良いのです。
賢治自身の存在も、それと同じだ。
私の、賢治本体に対する執着は昇華していったように思います。
思えば、宮沢賢治の存在という現象に囚われすぎていたかもしれません。
なにせ、ただのミーハーですから。
そして、賢治の残した詩や文章の難解なことがその世界に深く踏み入ることを阻んできたかもしれません。
でも、彼には「わらし子こさえるかわり書いたのだもや」との思いで産み出した童話があります。
遠い昔、賢治と同じく法華経の信者であった祖母に「お経って、何が書いてあるのかさっぱりわからないし、それを読んでどうなるの」と聞いたことがありました。
祖母は「自分がわからなくても、自分の魂がちゃんとわかっている」と言っていました。
賢治の童話はそれと同じだろう、と思います。
子供の心を以て読めば、いつしか賢治の言うような、わたしにとっての「すきとほった、ほんたうのたべもの」になるかもしれません。
手水、今の若い子はこれをちょうず、とは読めないでしょうねえ。
手水で思い出しましたが、ご不浄という言葉も最近はとんと聞きません。
「いやいやえん」という児童文学の傑作の中に「やまのぼり」という話があって、確か、山へハイキングへ行く前、先生が、みんな「ごふじょう」にいくようにと促す場面があったと思うのですが、今のこどもは「ごふじょう」ってなんだろうと思うでしょうね。
これを読んだ当時の私でさえ、ずいぶん古い感じの言い方だなあと思ったくらいですから。
ただ、その時、単に古い言い方と思ったただけではなくて、このお話を作った人はすごく品のいい人なのだろうと感じたのを覚えています。
改めてご不浄って、ゆかしくて、いい言い方だったなあ、と思ったりして・・・。
今の時代はトイレが自分で自分を洗ったり、脱臭したりして、ちっとも不浄な感じがしないので、そぐわない言葉ですが。
なんの花でしょう?
ヒント。
答えは、これ。
初めて綿の花を見ました。
私ときたら、この白いのがずっと花だと思っていたのです。
綿はハイビスカス科だそうで、そういえばちょと似てる。
クリーム色のあと、オレンジのようなピンクのような色に変化して、さらにこんな実をつけるなんて七変化だな。
こちらは、舶来(アメリカ)の綿花。
国産に比べて大振り、華やかでハイカラな感じがしました。
アメリカの綿花と聞いて、すぐ「アンクルトムの小屋」を思い出しました。
たくさんのトムさん達はこの花を見ても美しいと思えなかったでしょうね。
そういえば子どもの頃「細腕繁盛記」なるドラマがあり、
「銭の花の色は清らかに白い。だが蕾は血のにじんだように赤く、その香りは汗の匂いがする 」(ここは関西弁で読んでね。よく真似しました。)のナレーションで始まったのですが、トムさんたちが嗅いだ綿花はやはり汗の匂いがしたかもしれません。