まど

細く開いた窓を覗いてみると、そこにはNikonD70Sを前に困惑している女がひとり・・・

ゆく川の流れは。

2007-09-15 13:00:00 | Weblog

学生のころ、いろいろな古典の冒頭部分を覚えさせられました。
私が一番好きだったのは方丈記の冒頭、「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」です。
そのあとの、住処がどうの、こんな出来事がどうの、といった話は別にいいんですが、この冒頭はこれだけで、平家物語全巻と同じくらいの重みがあると言ったら言い過ぎ?あ、言いすぎですね。

鴨長明が無常観を表したこの川は、彼がいつも見ている、いつもの表情の川でしょうか。

私も毎日川を渡って行き来していますが、しっかり水位調整のされている川なので、なかなか特別のことは起こりません。
橋を渡るときも、ちらっと川面に目をやるくらいです。

でも、朝ならその一瞬でその日の平穏さを願い、夕方ならその一日の無事を確認しているような気がします。
時折変化を見せるものが、通常の姿であることを祈念し、かつ安堵しているのだろうと思います。

そういえば川の流れのようになんて歌もありました。
川ってやはり人生とか生き方とか日々の過ごし方とかを思い起こさせる何かを持っているのでしょうね。

私は噴水は好きです。

予定外のことは起こらないから。


 


 


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4 コメント

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残暑の今日、涼しそうな写真ですね。 (mako(雑感ノート))
2007-09-16 08:58:29
川って、人生になぞらえて眺めることが良くありますよね。最近無性に、海に川に山に、行きたくなっています。

都心ばかりの生活は、矢張り疲れます。
人間のDNAに刷り込まれている何かが、騒ぎ始めています。

かつて、長い休みには、必ず、海、山、川、全てに行ってこないと休んだ気がしませんでした。

沖縄にでも、一年間住んでみるというのは如何でしょうか、突飛ですかね、実現は無理かなー.....。
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ジャーナリスト (遠方)
2007-09-17 01:45:28
私も、学生の頃は方丈記が一番好きでした。やはり、冒頭の文が大好きで。

数年前、久しぶりに読みたくなって、注釈付きの本を買いました。あらためて読んでも、文章自体がまさに川のようになめらかで美しいし、ドキュメンタリーのような臨場感に驚きます。一流のジャーナリストですよね。

自分の力の及ばないところで起こる変化を、じっくり感じ、受け止めようとする姿勢は、どんな「現在」に読んでもリアルかも。
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当分は展覧会で・・・・ (うしろの正面)
2007-09-17 20:58:23
makoさん、私も人工の灯りが恋しいと思うくらいの場所に住んでみたいと思います。
遊びに行くんじゃなくて、住むのをねえ。

でもそしたら今度は美術展に飢えるかもしれませんよー。
東京以外の方に「東京は展覧会も舞台もたくさんあるからうらやましい」という言葉をよく頂戴します。
確かにそうですね。
日頃その恩恵を受けるチャンスに恵まれていながら、なかなか重いお尻を上げないので申し訳ないくらいですが。

山や海や植物に会いに、これからも展覧会に行きましょうねー。

沖縄、いいですね。
人間性が変わるくらいのことがあるかもしれません。
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あやかりたい (うしろの正面)
2007-09-17 21:12:30
遠方さんも方丈記、お好きですか!嬉しいです。
冒頭の文、読むたび、立ち止まって日々のあり方を考え直さなければならないと思わされます。
鴨長明は無常観に立ってこの文を書き、若い(?)私たちはそこから無常感を、生き方を確かめるよすがとして手繰り寄せる。

何百年も残るものの力って、すごいものがありますね。
時代も取り巻く環境も違うのに、深く心に響きます。
それにしても、災害、戦乱、いつの世も個人の無力さを思い知らされる出来事は同じ。
災害はともかく、政治や経済の流れをよく見据える目を鴨長明さんにあやかりたいものだと思います。
これからは、わたしたち一人ひとりがジャーナリストの目を持って生きていかなければならない時代です。

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