まど

細く開いた窓を覗いてみると、そこにはNikonD70Sを前に困惑している女がひとり・・・

微熱、続く。

2006-08-29 22:52:55 | Weblog

池の中央で咲き誇る蓮もあれば、やっと日の当たるところで咲こうとする蓮もある。
画壇で名を得る人もいれば、描きたいように描き倒して、後世の人々に感銘をもたらす画家もいる。

若冲が生きている間の評価については知りませんが、若冲のように描くことだけを純粋に追求し、結果を残したのであれば誰に知られずとも幸せだと思います。
それにしても、絵というのはすごい。
それとも、あれほどまでに自分を表現し切った若冲がすごいのか。
絵という手段の力をも思い知った展覧会でした。
写真の力とは・・・?カメラという媒介を通して行う表現の限界を、つい考えてしまいました。若冲のように、とまでは行くはずもありませんが、精進すれば何か道が見えてくるでしょうか。今は想像もつきませんが。


若冲熱、我が家に上陸

2006-08-28 21:15:47 | Weblog

ただただ、素晴らしかったとしか言いようがありませんでした。
最終日、駆け込みで鑑賞出来て良かった・・・。

私は若冲を見るのは初めてです。
いえ、正しく言えばこれほどの画家ですから、どこかで目にしたことはあるのでしょうが、「若冲を鑑賞する」と銘うって足を運ぶのは初めてです。
9時前から並んで開場を待ちました。先頭の人は何時にきているのでしょう。
お好きな方は、かなり熱狂的にお好きなようなので、この静かに見える行列は実は熱い想いを秘めている、特異な一団です。
見る間に列が長くなってゆき、いつしか、周りの人の静かで熱い想いが伝染して、私の期待も高まってきます。

期待を高め過ぎて、失敗するということもありますが、なんの!私ごときの想像力をはるかに超えた高い域の世界の展開に、呼吸とまばたきを忘れました。

鑑賞しながら、若冲というのはバラ寿司に似ているな、と思いました。(卑近な例えで失礼。)
バラ寿司というのはご存知のとおり、赤身や白身の魚、イクラ、胡瓜、沢庵等、好きなものを賽の目に切り、食材の色取りを楽しみ、混ぜて、口のなかで渾然一体となった味を楽しむ寿司ですが、大胆な構図、美しい色彩、緻密な技、偏執的とも言える完成度、これら全てが調和して押し寄せて来る、そんな味がするのです。
さらに、その味わいの中で、画家の描いていて楽しくてたまらん、という気持ちが伝わってきます。

しかし、美しい色彩の掛け軸より、私の心を捉えて離さなくなったのは、墨で描かれた作品でした。
緻密な線や点で仕上げる技術や根気(根気は才能のうち)もすごいけれど、一気に引かれた線の、その味わい、特に花鳥人物図屏風の人物のアウトラインの美しさには深いものがありました。
この線一本で、侘びもさびも、この人物の心の豊かさ、旅(と勝手に決めています)の寂しさ、楽しさ、みんな表しているような気さえします。
勿論、鶴図屏風の鶴の身体のなめらかな線も忘れることが出来ません。
うちのジイサンはこれが一番気に入ったようでした。
そして、たくさんある中でプライスさんが、ひとつあげるよと言って下さるのでしたら、私は鯉魚図をいただきます。(笑)
この、モダンな構図、たまりません。

雑誌の記事に「今やっと日本が若冲と恋におちる」というくだりがありましたが、私もその一億分のひとりに加わりました。
あっ、うちのジイサンも、家へ帰ってきてからも「まだアタマがぼーっとする」と言ったくらいだったので、もう一人追加です。

 

・・・というわけで興奮のるつぼにありましたので、思わず買っちゃいました・・・。
一体、いつ、どこで着る・・・?
しかも若冲の素晴らしさに比べてこんな写真ですみません。


新潟だより 9

2006-08-26 22:17:36 | Weblog

最終日は晴れ渡り、遠く粟島が見えるくらいでした。
この日は終戦祈念日、小泉首相は雨の中の参拝をしました。
東京は雨。でも新潟はこんなにいい天気だったのです。
日頃注意して見ていると、太平洋側(関東)がいい天気の時は日本海側(新潟)はお日様が拝めないことが多いようです。特に冬は。
まだ、真冬の新潟を訪れたことがありません。
寒いところへは、寒いときに行くと深い味わいがあるといいます。
また、計画を練る楽しみが出来ました。

信濃川河口。
同じ水でも、そこまでは「信濃川」、あそこからが「日本海」

 

新潟だより、これでおしまいです。
今度行けるのは何時かなあ・・・。


新潟だより 8

2006-08-25 20:58:43 | Weblog

たった2泊の新潟だったので、最終日は夜明けから起きて出かけようと思い、カーテンを開けたまま寝ました。
何かの気配で目覚めると、窓の外がほのかに明るい・・・。
思わず飛び起きて見ると、ちょうど山の端から朝日が登るところでした。
日没から約9時間、再び太陽が顔を出しました。
当たり前のことですが、こうやってみると有り難いものだなあと改めて感じました。

 

生まれたての光がまどの形に切り取られています。


新潟だより 7

2006-08-24 20:26:27 | Weblog

キャンプファイヤーの時に「遠き山に陽はおちて・・」という歌を唄いますね。
あれは太平洋側のはなしで、日本海側の太陽は海に沈む・・。
空気が澄んでいる日には、海にジュッ!と音をたてそうなくらいの日没が見られるそうです。今回は2回、海で日没を迎えましたが、空気の層の向こうに沈んでゆきました。

近所の人が日暮れになると日没を見に出てきます。


新潟だより 6

2006-08-23 23:07:32 | Weblog

普通、番地は地元の役所に近いほうから番地が始まるものですが、新潟市ではこの白山神社から番地が始まります。
ここから柾谷小路までを上町、柾谷小路から先を下町と呼んでいます。
広い新潟県はそれぞれの場所で言葉が違いますが、市内でも上町と下町では少し違う言葉を使っているようです。

新潟弁はなかなか味わいのある言葉で、私も習得すべく頑張っているのですが、一番好きなのは「おおばらこくたい」という言葉です。
新潟弁は比較的、意味を予想出来るほうだと思いますが、この「おおばらこくたい」は単体で聞いただけでは全くなんのことやら・・・?
「あそこんちはおおばら(こくたい)らっけね。」という風に使う(らしい)のです。
つまり、散らかってわやくちゃ(おっと、これはどこの言葉だっけ?)な状態をいうわけです。
随分調べたのですが、なにかがなまってそうなったか、または比喩か、当てはまる漢字があるのか、なにひとつ判りませんでした。


新潟だより 5

2006-08-22 23:34:21 | Weblog

地獄極楽小路の左側に見えた粋な黒塀は新潟市で一番古い料亭で「行形亭」(いきなりや)といいます。
最初、「ここ、いきなりやっていう料亭だよ。宝くじが当ったら招待するね」と教えられたのですが、「いきなりや!?なんてトートツな名前なんだろう!」と驚きました。

なんで「いきなりや」というのか調べてみたら(もちろん行く勇気もお金もありませんから行ってません)、ある時代の当主が忠臣蔵の大星由良之助(歌舞伎での大石内蔵助のこと)のように粋であるということから「いきなり」とあだ名をつけられたものを、そのまま店の名前にしたとのことです。
「粋也」を字を変えて「行形」にしたのでしょうか。

ご当主の苗字も「行形」さんだそうで、知り合いがご子息の同級生でした。
「じゃあ、イキナリ君、次、読んで。とかなっちゃうんだ」「そーだね」
「さぞかし、いじめられたんじゃ・・・」と心配したら、イキナリ君はドラエモンのデキスギ君のように良く出来たお子さんだったそうで、そんなことはなかった、出来ればお嫁さんにいきたかった、と知り合いはのたもうたのでした。
残念!そしたら宝くじに当たらなくても行けたのに~。

さすが、行形亭の蔵、豪華な装飾です。


新潟だより 4

2006-08-21 20:31:47 | Weblog

前回、いくつか素敵な小路の名前を挙げましたが、この「地獄極楽小路」こそが極めつけでしょう。
この粋な黒塀が囲む左側は、新潟で指折りの高級料亭であり、右側に残る煉瓦塀はかつての監獄のものでした。
この世の地獄と極楽が隣り合う、その狭間を通る道なので「地獄極楽小路」というのです。
いいですねえ。だから、好きになっちゃうよ、新潟。


新潟だより 3

2006-08-20 22:52:23 | Weblog

新潟市は信濃川と分水に囲まれている地域が市の中心地となっており、そこを新潟島といいます。
そして、信濃川に平行に走っている道を主に○○通り、それに交わっている道を○○小路と呼び、小路には、「新津屋小路」「坂内(ばんない)小路」「鍛冶小路」などなにやらゆかしい名前がついています。
写真の道は「柾谷(まさや)小路」といい、新潟駅から万代橋をとおり繁華街へ入る市のメインストリートなのですが(正しくは途中までは名前が違う)、片側3車線の通りであるにもかかわらす「小路」であるのがちょっと嬉しい。

ところで、このデコラティブ(一説にはイカをかたどったというが・・?)な建物はNEXT21といい、中心地のランドマークとなっています。
これが、東京からやってきて車の窓や新幹線の中から見えたとき、「ああ、また新潟に来れた」と嬉しさが湧いて来るのを感じます。
初めて新潟へ来て山が見えたとき、舅が「ほら、あれが弥彦だよ」と本当に嬉しそうに言ったのを忘れることが出来ません。
すっかり弱くなって遠出が出来なくなった舅のかわりに、私がNEXT21を見て嬉しさを感じる・・・。新潟を懐かしいと思う気持ちは私が受け継ぎました。


新潟だより 2

2006-08-18 22:04:47 | Weblog

かつて信濃川にかかる橋で日本海に一番近いのはかの有名な万代橋でしたが、私が新潟を訪れるようになった頃、さらにその下に「りゅうと大橋」というのが架かりました。
最初「りゅうと」の音に、勝手に「龍吐」の文字をあてはめて、荒れ狂う日本海に向かって龍が信濃川を吐き出しているイメージを抱いていたのですが、のちに「柳都」だと知りました。
新潟市には昔たくさんの掘割があり、それに沿って柳の木が風に揺れていたそうです。
柳が優しい色で春の訪れを告げるとき、「ああ、ようやく春がきたんだなあ」と、この雪国の人々は長い冬が終わった喜びを感じたのでしょうか。
新潟の人が、この一番新しい橋に「柳都」の名を付け、昔の町の姿を偲ぶよすがにしているのを知ったとき、わたしはなお一層この街とこの街に暮らす人々が好きになりました。