誠海好DIARY~海を愛し、山に惹かれ、多趣味で人生HAPPY☆

"青き海底へ潜る"、"緑き山頂へ登る"に感動し過ぎた日記なぅ📷 他に"旅行"、"鑑賞"などの多趣やワガママヒトコトも😁

伊是名島~尚円王

2015-12-21 | 沖縄近海へ潜る、行く
昨日伊是名島から帰って~今日からツラい現実だけど、今月の現実はたった4日なんで前向きに頑張ろう(笑) では~伊是名島観光記の特別編で尚円王の話題(沢山画像撮影)を~。
まず尚円王を簡単に説明するね 尚円王…明治12年の琉球処分まで19代 410年も続いた第二尚氏の始祖(王様)であり、伊是名島諸見の百姓の出で、若い頃の愛称は北(ニシ)の松金



伊是名島の中心として公園を開園し、建立された若しき松金(尚円王)の乗馬像(彼女を見送る姿?)。松金の乗馬を真似た誠海好の姿はなんか韓国の江南スタイルみたい(笑)


伊是名島の松金伝説で有名となった逆田(さかた)。 松金は働き者であり(モテ期)、耕作している水田は毎年よく稲が実っていた(凶作でも)。それが村の青年たちに妬まれる結果に…。


沖縄本島を指差す若き日の松金銅像がある尚円王御庭公園。松金の生誕地でもあり、へその緒を埋められた「みほそ所」【上の画像】が島の聖地となっている。公園がキレイ。

沖縄本島へ渡った松金は国頭村→名護市→沖縄市を経て那覇にある首里に到着し、尚泰久(後に王様になる)に仕えたが才能を認めて(松金は天才だった)もらい下役となる。
その後重用され、頭角を表し、黄冠に上り詰めた。昇格、左遷(追放)などの波乱の人生の後に56歳で即位し、第二尚氏王統を410年間の基礎が確立した有名な伝説でした

豊臣秀吉の伝説と同じですね。でも徳川幕府より長い王朝を築いた第二尚氏王統は凄いな。お墓は首里城の中ですが、生誕地であることを伊是名島はアピールしていますね。
それに負けずに第一尚氏王統の始祖(首里生まれ)の父親と祖父が伊平屋島生まれであることを伊平屋島も負けずに(伊是名島をライバル視)アピールしているのがオモロい。