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中村良一とマカカ・ルーサーズ・バンド

Macaca Rhesus'es Band.(赤毛猿バンド)
トラディショナルなジャズを広めたジャズマンを紹介します。

A Sweet Beginning Like This.

2014年11月25日 22時50分50秒 | 曲の紹介
★曲の紹介★

楽曲こちら⇒ A Sweet Beginning Like This.

<演奏>
Cor:中村良一, Tb:内田光昭, Cl:熊倉未佐子,
Pf:後藤沙紀, Tub:宮沢辰秋, Ds:前田健次,





end.

Joe Sullivan.

2014年11月25日 19時55分22秒 | ジャズマン紹介
Joe Sullivan.(ジョー・サリバン).ピアニスト.

音源こちら⇒ Little Rock Getaway.

1906年.シカゴに生まれた。
シカゴ音楽学院でクラシックの基礎を学び、のちジャズに転向した。
1923年.に自分のトリオ・バンドを結成し、1925年.頃にコマーシャル・バンドで働いた。

その後、一流ミュージシャンのプレイを学んだり、「オースチン・ハイスクール」の連中と、
ジャム・セッションを行った。
1928年.ニューヨークに出て、レコーディングを行った。

その後、結婚し、ハリウッドに定住したので、ラジオや映画の仕事をした。
1939年.「ボブ・クロスビー楽団」を経て、「エディ・コンドン」のバンドに加わり、
後に、自分のディキシー・バンドを結成して大活躍した。
1971年10月.サン・フランシスコで亡くなった。



end.

Jess Stacy.

2014年11月24日 19時27分54秒 | ジャズマン紹介
Jess Stacy.(ジェス・ステイシー)ピアニスト.

音源こちら⇒ Avalon.

音源こちら⇒ Muskrat Ramble

1904年ミズーリに生まれた。
ジェスはアール・ハインズ流の簡潔なスウィング・ピアニストである。
1944年と1945年に「エディ・コンドン・オールスターズ」でレコーディングした。

1950年代は「ボブ・キャッツ・バンド」で活躍し、レコーディングした。
また、ジェスは数多くのソロのレコーディングを行い好評を得た。

ジェスがベニーグッドマン楽団に在籍中、第一人者の「テディ・ウィルソン」が、
ベニー・グッドマン楽団に入った時は、バンド・ピアニストの座は譲らなかった。

タウン・ホール・コンサートの当時はボーカリストの「リー・ワイリー」と夫婦だった。
1995年 1月に亡くなりました。



end.



Jelly Roll Morton.

2014年11月23日 11時39分13秒 | ジャズマン紹介
Jelly Roll Morton.(ジェリー・ロール・モートン).ピアニスト

音源こちら⇒ Finger Breaker.

1890年、ニューオリンズに生まれた。
本名は「 Ferdinand Joseph Lamothe. 」
ジャズ誕生の草分けの一人で、ニューオリンズ・スタイルのピアノ奏法を開拓した。

彼については、すでに数多くの人々が書いており、彼の生涯は伝説化されている。
たとえば、彼は非常に多くの職業を渡り歩いた。
ある時は「賭博師」、ある時は「玉突きの名手」、ある時は「女たらし」、
また、ある時は「クラブの経営者」、「ギャングのボス」と人生の裏街道に精通していた。

幼い頃は、ミシシッピー河のショー・ボートで過ごし、
やがてニューオリンズやメンフィスあたりで「ラグ・タイム・ピアノ」を演奏した。
その後、シカゴやニューヨークなどを巡業した。

1917年~1922年「ウエスト・コースト」で活躍した。
1923年~1930年が彼の最盛期で、その頃にレコーディングを行った。
1941年7月ロサンゼルスで亡くなった。



end.

James P. Johnson.

2014年11月21日 21時55分25秒 | ジャズマン紹介
James P. Johnson.(ジェームス・P・ジョンソン)ピアニスト.

音源こちら⇒ Keep Off the Grass

1894年.ニュージャーシー州に生まれた。
本名は「James Price Johnson」
ジャズ・ピアニストの草分けの一人であり、彼の影響を受けたジャズメンは多い。

幼い頃からピアノを習い、1904年.学校の夏休みにプロとして出発した。
活躍したのは、主に1910年~1920年代でありヨーロッパへも渡って演奏した。
しかし、1930年代になると、ほとんど作曲の仕事ばかりで、1932年に完成した
「シンフォニー・ハーレム」は彼の代表作である。

その後、バレエ音楽を書いたりしたが、1940年に脳卒中を起こし、以来.健康がすぐれず、
それが因で、1955年11月.ニューヨークで亡くなりました。



end.

Earl Hines.

2014年11月20日 23時04分02秒 | ジャズマン紹介

Earl Hines.(アール・ハインズ)ピアニスト.

音源こちら⇒ Squeeze Me.

1905年ペンシルベニア州に生まれた。(生年は1903年の説もある)
ジャズ史上、著名なピアニストの一人である。
1922年シカゴに出て「キャロル・ディッカーソン」のバンドに加わり、
1927年「エイペックス・クラブ」の「ジミー・ヌーン」のバンドで活躍した。

その頃、「ルイ・アームストロング」とも一緒に仕事をした。
また「ジミー・ヌーン」や「ルイ」との共演によるレコーディングも多く、
後にスウィング派のジャズメンに影響を与えた。

1928年「グランド・テラス」で自分のバンドを持ち、後にニューヨークに移り、
1948年までバンド・リーダーとして活躍した。
そのバンドには「ガレスピー」や「パーカー」などのモダン派がいた。

1948年~1951年は、ふたたび「ルイ・アームストロング」のバンドで働いた。
1972年に来日し、「SOLO WALK IN TOKYO」 EARL " FATHA " HINES.をレコーディングした。
1983年4月、カリフォルニアで亡くなった。





end.