信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

『農家民泊』─中学生がやってきた(4)

2011年07月29日 10時11分31秒 | Weblog

2011.07.29(金) 記


あれ、1ヶ月も更新していなかったのですね。中学生からの礼状を紹介してそれっきり…。どうもスイマセン。

昨日に引き続き、今日も雨。今月中になんとかリンゴの摘果を終わらせたいのですが。でないと来春、花が咲かなくなってしまうので、本当に限界。タイムリミットです。
それにしても今年で完全無農薬4年目なのによく結実してくれています。食酢、木酢液、乳酸菌、納豆菌なども一切散布していないのでいろんな病気が出ています。従ってまだまだリンゴは食べるまでにはいきませんが、無農薬にすると通常数年間は花も咲かない(当然実も成らない)といわれているのに、花が咲き、実も数多く成っています。それにハダニの害は散見するものの害虫がほとんど見えない。
何がいいのでしょう。雑草を一切刈らないから、か? それとも、7年間続けている無肥料のおかげ、でしょうか?



さて今日は前回の続き。少々間が伸びていますが。

一泊して翌朝、彼らを迎えに行った同じ『M健康スポーツセンター』へ送り届けました。ここでの別れの様子はこれまた皆さんにお知らせしたい別れの様子があちこちで見られました。

「この夏休みには帰っておいで、待ってるからね」と、ぎこちないけれどハグをしながら別れを惜しむ、中学生の娘(孫?)と長野のお母さん(おばあちゃん)。
「今度来る時は、ここにお嫁入りの格好で戻ってくるんやで」「うん。わかった」と応える子ども。
手を握り合いながらなみだ目になっている子。
これらはみんな女の子。

我が家に泊まった3人のうちの一人は、別れ際にはあまり目を合わさなかったけれど、バスが動き出した途端、窓越に私の顔を見つめて手を小さく振ってくれた。
二人きりになったとき「一度ゆっくり、お母さんと二人でおいで」と言ってあげた彼だった。


たった一泊しただけなのに、中学生の心に、そして受け入れた私達の心に何が生まれたのだろう。今言えることは、単なる「お客さま」ではないことは確かだ。

振り返って私自身のこと、私の子ども達のことを考えると、中学生時代は精神的に一番悲惨な時代だった、と記憶している。それは今の子どももあまり変わっていないと思う。
そんな不安定な時期にその身を置いている彼らに、こころ安らかにと、自分自身を大切にするようにと、種が芽を出し成長し花が咲いて実を結び、そして自然と枯れていく植物のようにと、ただただ念仏する。



彼らが去ってすぐ、次の宿泊予定の中学生3人の「自己紹介カード」が届けられた。

「好きな食べ物」「何をしたいか」等々、5~6項目ある自己紹介の欄にまったく同じ内容を書く男子3人。「これはこれは。次はちょっと今回とは様子が違うぞ」との思い。クセがありそうだ。ま、中学生にはよくあることだけれど。


こうしてこのシーズンは6~7回、中学生を受け入れる予定だったのですが、大阪の実家に緊急の所用ができたため残念ながら、また事務局の方には誠に申し訳なかったけれど、以降のすべてを辞退しました。
この新たな3人には気の毒だったけれど、急遽別の家で受け入れていただくことにしました。

1回きりだったけれど、『農家民泊』やって良かった。いい経験をした。来季もできるものならやりたいと思っている。

じゃ、また。

あ、そうそう、なぜ3人か? だって?
それは簡単。ウチには軽トラックと軽乗用車しかないから。ほれ、運転手を除けば3人しか乗れないっしょ。
もしこちらに遊びにくるなら大歓迎ですが、その積もりで、ね。

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