年が明けた元亀三年の元旦、にわかに浅井方は大軍で横山城を取り囲んだ。
横山城の守備隊長は竹中半兵衛重治である。
半兵衛は美濃国菩提一万石の小領主の家の惣領で、早くから信長に属していた。
信長は、横山城の守備を木下藤吉郎に命ずるときに、その参謀長格として、この竹中半兵衛をつけたのである。
「知謀、神のごとし」と、いわれた人物である。
白皙、痩身、無口で同じ美濃出身の明智光秀と同じように、この当時珍しい読書人である。ただ、病弱で、たちの悪い咳をときどきする。
その生涯は三十六歳。自らの手で敵を倒したこ武功は一度もないが、大軍の駆け引きに於いては、天才軍師といわれた。
その半兵衛が、伊右衛門らの隊長代理になっていた。
この夜、夜半、横山城の周りがにわかに松明の火の海のようになった。
藤吉郎留守中の敵襲である。
伊右衛門は自分の持ち場の櫓の上から城外の敵の火を見、流石に体が震えた。
「殿、城をうって出ましょう。我らの手で敵将の首を獲るのじゃ」
吉兵衛が伊右衛門をはげました。
(なるほで、長政の首か)
千代がいつも言っているとおり、人は最大の目標に直進すべきものだ。
「されば、抜き駆けをするか」
悲壮な決意だ。この雲霞の大軍に伊右衛門主従だけで突き入ろうというのだ。
櫓から駆け下り、まっしぐらに大手門へ向かって走った。
すると、大手門の内側に十個ばかりのかがり火をたかせ、その中央で、しんと静まっている人の群れがある。
中央にいるのは、竹中半兵衛重治である。
「おお、先着は山内殿か」
半兵衛ほどの人物が山内伊右衛門の名前を覚えていてくれた。
「山内伊右衛門一豊でござりまする」
「存じあげている」
半兵衛はクスッと笑い、
「ときどき、お内儀から面白いお手紙を頂戴している」
「えっ」
千代は、半兵衛にまで出しているのか。
「雀が、ころがったそうですな」
「これはまた」
伊右衛門は恐縮した。そんなことまで書き送っているとは、どういう事だ。
「山内殿、夜明けを待って大手門を開く。全軍突出する。しかし、引き鉦とともに退く。その進退をお誤りあるな」
半兵衛はいかにも好意的である。千代の手紙で、伊右衛門を他人のようには思えぬのであろう。
「はっ」
半兵衛はにこにこして、
「一番槍をおつけなさい。この門の内側にぴたりと体をつけておいて」
「はっ」
伊右衛門主従は、門の傍まで駆けた。
やがて城内の武者は大手門の内側に続々と集まってきた。
開門と同時に半兵衛は、城内の鉄砲足軽を全員突出させて、敵に一斉射撃をあびせ、次に弓組を出し、さらに鉄砲組を出し、四段目で武者達の一斉突撃を命じた。
伊右衛門は先頭を駆けている。
敵の弾丸が左右をかすめて飛ぶ。
見方がばたばたと倒れた。
敵の矢が飛んでくる。
伊右衛門は敵の足軽隊に突入し、さらに駆けた。
最初の敵が伊右衛門の前にあらわれた。
「織田弾正忠の家来山内伊右衛門一豊」
と、伊右衛門が名乗りをあげると、敵は、
「草野河内守義仲」
と言いながら悠々と手綱をさばいている。
六尺近い大兵の男で、たくましい馬に乗り、金色燦然たる鯛の前立て打ったカブトをかぶり、黒具足に白い陣羽織を着ている。
どう見ても、万石取りの侍大将だ。
その前後に多数の騎士が群れている。
これでは、近づけぬと思ったとき、城壁の上で総指揮官竹中半兵衛が打たせる攻め太鼓が急調子になってきた。
織田方は、どっと押してきて、伊右衛門の周りに見方の騎馬が増え乱戦になった。
が、敵の人数は多く、しだいに押され気味になった。
そのとき、背後に半兵衛の鳴らす退き鉦が響き渡った。
伊右衛門等は逸散に城門へ逃げ帰った。
ついで半兵衛は、追ってきた敵に対して、すかさず鉄砲足軽を推進させて射撃させ、更に弓組といった具合に隙間なく射ち、その硝煙の消えぬうちに、騎兵突撃を命じた。
しかし、多勢に無勢、織田方の名有る武者が次々に討たれてゆく。
「知謀、神のごとし」と、いわれた竹中半兵衛もさすがに、手が出ないといった格好だ。
が、半兵衛は動じない。
「これで、いいのだ」
と、一見、虚しく見えるような防御戦を繰り返しては、損害を重ねている。
半兵衛のこの戦法には裏がある。
実のところ、半兵衛は浅井方が出陣、という気配が見えた瞬間、岐阜へ騎馬を飛ばし、藤吉郎に岐阜で大軍を集めさせ、急行して戦場後方へ出現させ、挟み撃ちにして、一挙に浅井軍を殲滅しようという作戦を立てた。
藤吉郎の軍が到着するまで、敵にこの作戦を気付かせてはならない。
その為、必死に抵抗している素振りを見せているのだ。
翌朝、半兵衛の計算通りに、藤吉郎の兵二千が戦場の南方にあらわれた。
つづく
千代の気配りは、戦場の竹中半兵衛にまで届いていた。
横山城の守備隊長は竹中半兵衛重治である。
半兵衛は美濃国菩提一万石の小領主の家の惣領で、早くから信長に属していた。
信長は、横山城の守備を木下藤吉郎に命ずるときに、その参謀長格として、この竹中半兵衛をつけたのである。
「知謀、神のごとし」と、いわれた人物である。
白皙、痩身、無口で同じ美濃出身の明智光秀と同じように、この当時珍しい読書人である。ただ、病弱で、たちの悪い咳をときどきする。
その生涯は三十六歳。自らの手で敵を倒したこ武功は一度もないが、大軍の駆け引きに於いては、天才軍師といわれた。
その半兵衛が、伊右衛門らの隊長代理になっていた。
この夜、夜半、横山城の周りがにわかに松明の火の海のようになった。
藤吉郎留守中の敵襲である。
伊右衛門は自分の持ち場の櫓の上から城外の敵の火を見、流石に体が震えた。
「殿、城をうって出ましょう。我らの手で敵将の首を獲るのじゃ」
吉兵衛が伊右衛門をはげました。
(なるほで、長政の首か)
千代がいつも言っているとおり、人は最大の目標に直進すべきものだ。
「されば、抜き駆けをするか」
悲壮な決意だ。この雲霞の大軍に伊右衛門主従だけで突き入ろうというのだ。
櫓から駆け下り、まっしぐらに大手門へ向かって走った。
すると、大手門の内側に十個ばかりのかがり火をたかせ、その中央で、しんと静まっている人の群れがある。
中央にいるのは、竹中半兵衛重治である。
「おお、先着は山内殿か」
半兵衛ほどの人物が山内伊右衛門の名前を覚えていてくれた。
「山内伊右衛門一豊でござりまする」
「存じあげている」
半兵衛はクスッと笑い、
「ときどき、お内儀から面白いお手紙を頂戴している」
「えっ」
千代は、半兵衛にまで出しているのか。
「雀が、ころがったそうですな」
「これはまた」
伊右衛門は恐縮した。そんなことまで書き送っているとは、どういう事だ。
「山内殿、夜明けを待って大手門を開く。全軍突出する。しかし、引き鉦とともに退く。その進退をお誤りあるな」
半兵衛はいかにも好意的である。千代の手紙で、伊右衛門を他人のようには思えぬのであろう。
「はっ」
半兵衛はにこにこして、
「一番槍をおつけなさい。この門の内側にぴたりと体をつけておいて」
「はっ」
伊右衛門主従は、門の傍まで駆けた。
やがて城内の武者は大手門の内側に続々と集まってきた。
開門と同時に半兵衛は、城内の鉄砲足軽を全員突出させて、敵に一斉射撃をあびせ、次に弓組を出し、さらに鉄砲組を出し、四段目で武者達の一斉突撃を命じた。
伊右衛門は先頭を駆けている。
敵の弾丸が左右をかすめて飛ぶ。
見方がばたばたと倒れた。
敵の矢が飛んでくる。
伊右衛門は敵の足軽隊に突入し、さらに駆けた。
最初の敵が伊右衛門の前にあらわれた。
「織田弾正忠の家来山内伊右衛門一豊」
と、伊右衛門が名乗りをあげると、敵は、
「草野河内守義仲」
と言いながら悠々と手綱をさばいている。
六尺近い大兵の男で、たくましい馬に乗り、金色燦然たる鯛の前立て打ったカブトをかぶり、黒具足に白い陣羽織を着ている。
どう見ても、万石取りの侍大将だ。
その前後に多数の騎士が群れている。
これでは、近づけぬと思ったとき、城壁の上で総指揮官竹中半兵衛が打たせる攻め太鼓が急調子になってきた。
織田方は、どっと押してきて、伊右衛門の周りに見方の騎馬が増え乱戦になった。
が、敵の人数は多く、しだいに押され気味になった。
そのとき、背後に半兵衛の鳴らす退き鉦が響き渡った。
伊右衛門等は逸散に城門へ逃げ帰った。
ついで半兵衛は、追ってきた敵に対して、すかさず鉄砲足軽を推進させて射撃させ、更に弓組といった具合に隙間なく射ち、その硝煙の消えぬうちに、騎兵突撃を命じた。
しかし、多勢に無勢、織田方の名有る武者が次々に討たれてゆく。
「知謀、神のごとし」と、いわれた竹中半兵衛もさすがに、手が出ないといった格好だ。
が、半兵衛は動じない。
「これで、いいのだ」
と、一見、虚しく見えるような防御戦を繰り返しては、損害を重ねている。
半兵衛のこの戦法には裏がある。
実のところ、半兵衛は浅井方が出陣、という気配が見えた瞬間、岐阜へ騎馬を飛ばし、藤吉郎に岐阜で大軍を集めさせ、急行して戦場後方へ出現させ、挟み撃ちにして、一挙に浅井軍を殲滅しようという作戦を立てた。
藤吉郎の軍が到着するまで、敵にこの作戦を気付かせてはならない。
その為、必死に抵抗している素振りを見せているのだ。
翌朝、半兵衛の計算通りに、藤吉郎の兵二千が戦場の南方にあらわれた。
つづく
千代の気配りは、戦場の竹中半兵衛にまで届いていた。