結局、家族だけで行ってきました。
青蓮院までじゃなく、車で行ける大日堂庭園・展望台ライトアップ
うちの長女、大日堂の尼さんにの名前をつけてもらったんですよね。
10数年ぶりにこの場所に来てみると、
夜と昼との違いはあるけど、なんとなく記憶に残ってる。
今はもうその尼さんはいらっしゃらなかったけどね。
大日堂の本尊は石で出来た胎臓界大日如来像。
雨露にさらされていた時代が長かったのか相当摩滅してる。
大日如来さんの前の石仏は阿弥陀如来さん。
お地蔵様みたいに小さくて可愛かったです(不謹慎な)
本尊を参拝し、500円を払い庭園に入ります。
所々ライトアップしてあり幽玄な雰囲気。
桜の時期や紅葉の時期はさぞかしキレイやろうね~
今回も藤を狙って行ったけど、まだ蕾でした~
将軍塚の夜景って有名ですよね。
私もパパとつき合いだした当初、連れて行ってもらいました。
パパは憶えてないらしい。私だけじゃないって事やな(笑)
でも一般に知られている将軍塚の夜景ってほんの少し。
ホンマの将軍塚の夜景はまさにこの庭園にある展望台からの眺めでしょう。
展望台は二つあって、
庭の奥にある北側の展望台(一番上の画像)と
将軍塚の真横に鉄骨丸出しの西側の展望台。
西側展望台に登ってるパパと子供たちが「すご~い」と叫んでる。
京都市内が一望できるらしく、すばらしい夜景だそうな・・・
ホント、前も後も360度全貌できるそうな・・・
ここであることに気付いた。
去年やったか、ねねちんが紅葉の季節に立ち寄った展望台。
あれって、もしかしてここじゃないの?!
カメラに納まり切れないほどの眺めやったし、今度行こう!と。
うん、行こう行こうと乗り気やったな。
やけど・・・・・・アカンわ
私、めっちゃ高所恐怖症やし・・・
この日も結局、登れず観れず終いやった。
階段残り10段ほどのところでギブアップ
お尻はムズムズするし、背筋もゾクゾクするし、
耳鳴りしてくるし、頭の天辺から糸で引っ張られてる感覚に襲われる。
もちろん頭もグルグルしてくる・・・
歩道橋を克服出来たけど展望台はアカン
京都タワーは建物の中やし大丈夫やのよ。
囲むものがない場所はダメですわ・・・
ま、観れなかったけどネットを探すと出てくるもんです。
瀬戸の夜景さんのページに載ってました。
このサイト、夜景が満載ですよ~
ここを観て、私も観た気分になっておきます。
~将軍塚の由来~
桓武天皇が都を奈良から長岡に移したとき、
怨霊のせいかどうかはわからんけど、いろんな事故や不幸が続いた。
和気清麻呂が狩に行きましょうと天皇をこの山に誘い、
京都盆地を見下ろしながら、次の都にふさわしいと進言したらしい。
桓武天皇はその勧めに従い、794年に大規模な都の建設に着手した。
天皇は、京都盆地は三方を山に囲まれ、帯のように川も流れ
自然に城のような地形をしているから山背の国を山城の国と定め、
都を平安京と呼ぶように決めたらしい。
また、長くこの都を護るようにとの祈りをこめて、
高さ2.5メートルほどの武将像を土で作り、
これに鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ、太刀を帯びさせ
ここに埋めるように命じた。この塚を将軍塚という。
また出たよ・・・桓武天皇。
桓武天皇もその昔、夜景かどうかは知らんが
ここから京都盆地を見下ろしたんやな・・・
将軍塚跡。
殆ど真っ暗に近い状態で撮影したから・・・
ライトアップされて不気味になってしもた
うらめしや~っぽいよね(笑)
塚っていうし、もともとはお墓かなって思ってた。
でも周りには大谷廟があったり、霊場があったりで
山全体がお墓じゃないの?京都の空には魑魅魍魎がうようよしてるし…
大日堂に行く道も、なんか・・・ね。
ファミリー向きというよりはアベック向きのスポットかも。
穴場のわりに人はチラホラいらしてましたよ~
特にカップルがね
青蓮院までじゃなく、車で行ける大日堂庭園・展望台ライトアップ
うちの長女、大日堂の尼さんにの名前をつけてもらったんですよね。
10数年ぶりにこの場所に来てみると、
夜と昼との違いはあるけど、なんとなく記憶に残ってる。
今はもうその尼さんはいらっしゃらなかったけどね。
大日堂の本尊は石で出来た胎臓界大日如来像。
雨露にさらされていた時代が長かったのか相当摩滅してる。
大日如来さんの前の石仏は阿弥陀如来さん。
お地蔵様みたいに小さくて可愛かったです(不謹慎な)
本尊を参拝し、500円を払い庭園に入ります。
所々ライトアップしてあり幽玄な雰囲気。
桜の時期や紅葉の時期はさぞかしキレイやろうね~
今回も藤を狙って行ったけど、まだ蕾でした~
将軍塚の夜景って有名ですよね。
私もパパとつき合いだした当初、連れて行ってもらいました。
パパは憶えてないらしい。私だけじゃないって事やな(笑)
でも一般に知られている将軍塚の夜景ってほんの少し。
ホンマの将軍塚の夜景はまさにこの庭園にある展望台からの眺めでしょう。
展望台は二つあって、
庭の奥にある北側の展望台(一番上の画像)と
将軍塚の真横に鉄骨丸出しの西側の展望台。
西側展望台に登ってるパパと子供たちが「すご~い」と叫んでる。
京都市内が一望できるらしく、すばらしい夜景だそうな・・・
ホント、前も後も360度全貌できるそうな・・・
ここであることに気付いた。
去年やったか、ねねちんが紅葉の季節に立ち寄った展望台。
あれって、もしかしてここじゃないの?!
カメラに納まり切れないほどの眺めやったし、今度行こう!と。
うん、行こう行こうと乗り気やったな。
やけど・・・・・・アカンわ
私、めっちゃ高所恐怖症やし・・・
この日も結局、登れず観れず終いやった。
階段残り10段ほどのところでギブアップ
お尻はムズムズするし、背筋もゾクゾクするし、
耳鳴りしてくるし、頭の天辺から糸で引っ張られてる感覚に襲われる。
もちろん頭もグルグルしてくる・・・
歩道橋を克服出来たけど展望台はアカン
京都タワーは建物の中やし大丈夫やのよ。
囲むものがない場所はダメですわ・・・
ま、観れなかったけどネットを探すと出てくるもんです。
瀬戸の夜景さんのページに載ってました。
このサイト、夜景が満載ですよ~
ここを観て、私も観た気分になっておきます。
~将軍塚の由来~
桓武天皇が都を奈良から長岡に移したとき、
怨霊のせいかどうかはわからんけど、いろんな事故や不幸が続いた。
和気清麻呂が狩に行きましょうと天皇をこの山に誘い、
京都盆地を見下ろしながら、次の都にふさわしいと進言したらしい。
桓武天皇はその勧めに従い、794年に大規模な都の建設に着手した。
天皇は、京都盆地は三方を山に囲まれ、帯のように川も流れ
自然に城のような地形をしているから山背の国を山城の国と定め、
都を平安京と呼ぶように決めたらしい。
また、長くこの都を護るようにとの祈りをこめて、
高さ2.5メートルほどの武将像を土で作り、
これに鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ、太刀を帯びさせ
ここに埋めるように命じた。この塚を将軍塚という。
また出たよ・・・桓武天皇。
桓武天皇もその昔、夜景かどうかは知らんが
ここから京都盆地を見下ろしたんやな・・・
将軍塚跡。
殆ど真っ暗に近い状態で撮影したから・・・
ライトアップされて不気味になってしもた
うらめしや~っぽいよね(笑)
塚っていうし、もともとはお墓かなって思ってた。
でも周りには大谷廟があったり、霊場があったりで
山全体がお墓じゃないの?京都の空には魑魅魍魎がうようよしてるし…
大日堂に行く道も、なんか・・・ね。
ファミリー向きというよりはアベック向きのスポットかも。
穴場のわりに人はチラホラいらしてましたよ~
特にカップルがね