2日前に。寝込んでもいないぞ。
あちらでも4日間絶好調で、観光も十分に楽しんだ。
ほとんど眠れなくて、いつもの私ならフラフラになるはずなのに、がしがしと歩けた。
ロンドンは洗練されたとても居心地の良い街で、初海外の色んな心配事はすべて杞憂だった。
ただねー、英語の方は旅行で使うフレーズを練習したはずなのに一切口から出ず。
「Thank You」と「Hello」以外、呪われたように日本語しか出てこない。
相手が何を言っているかなんとなく分かった場合。
入国審査:「これ(パスポート)です。よろしくお願いします」「あ、そうです」「どうも」
パブでビール注文:「大きいのください!」
順番を譲るとき:「お先にどうぞ」…ま、その他いろいろと。
全然分からない場合は、ガイドさんや英語が堪能なツアー参加者の方の横で無の表情を浮かべる。
それが全く恥ずかしくない雰囲気がロンドンにはある。(いや、恥ずかしがれよ)
財布をレジに置き忘れても、二階建てバスの階段で激しく転んでも、それが全く恥ずかしくない…以下略。
よく考えたら古い街並みや神社仏閣、美術館が大好きな私にとってロンドンは宝石箱だ。
観光の翌日は、初バービカンで初ハムレット。いつものように緊張感で気持ちが悪い。
でも、何年も会えなかった懐かしい方々のお顔を見て少し楽になる。
さて始まったハムレット。私にとってたった一度の観劇。
時間の制約で台詞がかなり早く間がないことが残念。
例えば「あとは沈黙」を一気に素早く言うとかね。(もっとゆっくり死んでくれよ)
あの平さんでさえ焦っていらっしゃるのか、ガートルードに「レアティーズ」と呼びかける。
本人が一番びっくりしてらしたような。
それでも、それでもだ。ハムレットは素晴らしかった。
激しく狂おしい感情の渦に観客も巻き込まれてしまった前回。
その時と同じ言葉が語られているのに、怒りや憎しみは自身の内へ内へと向かう。
揺れる心に常に真実を問い続けるように聞こえる。
芝居が進むにつれ彼の独白は哀切を極め孤独は深くなる。
特に尼寺の場は繊細なお芝居で見事だったな~。
オフィーリアが自分の言葉で語ってはいないことにハッと気づき、驚き傷つく。
なので、その後の彼女を責めたてる言葉が(激しいのに聞いていると切なくなる)ストンと腑に落ちた。
と、書き出すときりがなく取り留めがなさすぎる。整理できずに申し訳ないです。
終わってすぐは喪失感で落ち込んだけど、今はとても晴れやかな気分になっている。
(カーテンコールの彼の表情のように)
険しい山を越えた彼は、きっとまた違う世界を見せてくれるに違いないから。
ひとつ、とても嬉しいことがあった。
私のアシスタントをして下さったロンドン在住の女性。芝居を観たことがなかったらしい。
あの街で芝居を観ずに過ごせるなんて、ちょっと驚き。
シェークスピアも興味がないが、評判がいいので思い切って観ようかな、と仰る。
「決して後悔はしませんよ」と私も勧め、当日券でご観劇。
芝居が終わり笑顔で近寄ってきた彼女が「シェークスピアってこんなに面白いんですね!」と。
「そうでしょう~♪(とばかりは言い切れんがね)」と答えたが、責任は持てない。
でも、芝居に無関心だったひとが興味を持つきっかけになるんだから、やっぱり蜷川さんは凄いね。
お疲れさまと言いながら、次の舞台は?とぼんやり考える。
ファンは貪欲。