こんにちわ~^0^
またまたぷち旅記録~長崎編の続き行きま~す!
ダイナミックな雲仙を堪能し、宿泊先の小浜(おばま)を目指します。
雲仙から国道57号に沿って走ると、右手に大仏さんが見えてきました。
奈良でも鎌倉でもないのに、イッタイなぁに? と、立ち寄る事に。
”雲仙大仏いのりの里”なのだそうですが・・
な~んかいっぱい。。ありますょ( ̄∀ ̄*)イヒッ
太陽がぼちぼち沈もうかとしていた頃だったので、
大仏様の後光が・・・って感じでした^^
そして、その隣には、
石の壁が立っており、その壁には鳥が羽を広げた様に双翼が画かれています。(逆光で写ってませんが^^;;;)
中央には丸い穴が開いており、一体 なんなんざんしょ。。
カメラを向けると、あらあら^^*
丁度、夕日が開いた穴にすっぽりと入ってしまいました
『FENICE』と書かれたプレートが横に有り、なるほど^^
フェニックスを模しているのですね^^
沈む夕日に今日の日を思い、また明日昇る太陽に幸せの訪れを祈る。
自らの身体を燃やして命が絶たれても再生し永遠に生きる超生命体・不死鳥をイメージしているのだそうです。
まだまだありますよ~!
今度は何!?
厩戸皇子(うまやどのみこ)
彼↑こそがあの聖徳太子であります。
私達の知っている聖徳太子は昔の一万円札のヒゲを生やして烏帽子を着けたおじちゃん。。なんですけれど^^;
そもそも、聖徳太子という名前は彼の没後に呼ばれた名前だったので、生前は厩戸皇子(うまやどのみこ)という名前だったの。
馬小屋のぼっちゃま。。なんて、変な名前ね。
な~んかさ、キリストの生誕の時も馬小屋だったよね、なんかかぶっちゃうわ^^;(ぼそっ)偉大なる人には馬小屋エピソードは欠かせないってか?←あくまで独り言だからねー!
厩戸皇子は、西暦574年2月7日生まれ 622年4月8日没 (享年48歳)
推古天皇の即位後、バックアップ(摂政)として、当時随一の豪族・蘇我馬子をスポンサー(協力者)にして政治を行った人物として、知られています。
推古天皇にとっては甥にあたり、推古天皇の皇太子という地位(関係)だそうです。
聖徳太子は大王(天皇)中心の政治をめざし,遣隋使派遣,冠位十二階や十七条憲法を制定したり、四天王寺・法隆寺などを建立しました。
飛鳥時代は渡来人が活躍した時代でもあったため、その渡来人たちが伝えた仏教は日本に大きな影響を与えました。
大和王権の有力な豪族の蘇我氏の他に物部氏が居ましたが、蘇我氏は渡来人の東漢氏(やまとのあやうじ)や西文氏(かわちのふみうじ)とつながり大陸の文化を多く取り入れようとしたり、仏教を崇拝し自宅に仏像を置いたりしました。
かたや物部氏は石上神宮を氏神とし,中臣氏や忌部氏とともに排仏を主張(仏教反対)した事から、蘇我氏と物部氏の対立が激しくなっていく一方、この動乱の中で廐戸皇子が大王を中心とした争いのない国づくりを目指したとされています。
あ~~~>< またウンチクが長くなってしまった;;;
とにかく、伝説上の人物や神様・仏様がココには大集合していたんです^^;
例えば、こんなの↓とか。。も^^;
七福神
池にカッパの親子?
天狗!?
え? サブちゃん!?
↑龍の置物。サブちゃんちにもある。(らしい)
これらの関連性がイマイチ理解できなかったが・・・
おぉぉぉ~! コレ↓は~~~っ!!!
マッタケ♪
助さんが、掘ってみるか? と、ニヤリ( ̄w ̄*)
いいけど、助さんに全部あげるよ~^^
笑って笑ってハラ抱えてゴキゲンサンで(あの世に)逝けるで~( ̄∀ ̄*)イヒッイヒッ
※きのこを気安く採って食べてはいけないょ。(チッチッチッゞ( ̄∇ ̄ )
海の向こうに見える山が長崎市、その向こうにうっすら見えている山は、五島列島です。
日が沈みます~急がねばっ!!!
日本白砂青松百選に選ばれた千々石海岸(ちぢわかいがん)へ向かいます。
小浜(おばま)市に入り、しばらく走っていると、パトカーが何台もけたたましくサイレンを鳴らしながら渋滞の列を追い抜いて行き、何やら騒がしかったのですが、お陰でめっちゃ渋滞><
一体 何が有ったのでしょうか。。事故とかそういうのじゃなくて、なんか事件の様な雰囲気が漂っておりましたが・・ニュースを見てみましたが、わからないままでした^^;
さて、千々石海岸に やっと辿り着いたと思ったら、
あちゃー><
太陽が丁度沈んでしまったじょ~
タッチの差で沈んでしまいました。(残念)
仕方ないな。。
そうだっ
奥の手を使いますにょ(・`3´・)ゝ
時間を巻き戻すのですょ^^
(ぐるぐるぐる。。そろそろ10分ぐらい巻き戻ったかな?)
ふっふっふっ~~ヽ(´ー`)ノ
ご覧下さい~ 美しい夕日ですよ~!
↓↓↓
にゃはは^^
こんな事もあろうかと、先に美しいショットを頂いておきましたの~ん♪
(千々石海岸の少し手前ですにょ^^)
宿泊先に辿り着く手前で、昭和ドーナツという旗が目に入ったので、
ドーナツ屋さんがあると思って店に入ってみると、、
ドーナツ屋ではなく、ケーキ屋さんでした。
昭和ドーナツをちょこっと買ったけど、他に目についた地元をアピールしたスイーツを買いまくってしまいました^^;
小浜フロマージュとか雲仙チーズケーキとか雲仙シュークリームとか・・地域の名前が付いたものを全種類買って来ちゃいましたヽ(´ー`)ノ
夕飯はどうしようか。。。と言いながら、
宿泊先にチェックインはしたものの、疲れすぎて助さん珍しくダウン。
ホイミは眠気を押さえるコイツ↓のお陰でちっとも眠くない~。。。
スイーツを一人で淋しく食うはめに^^;(夕飯はなしだ・・・ガクッ!)
え?一人で全部食ったのか?って?
((((((≧∇≦))))))
後で助さんをムリヤリ起こして、半分食わせましたとも( ̄▽ ̄;)ゞぽりぽり
(一人で食っても良かったんですがね、恨まれますでしょ?スイーツ大好きな助さんに^^)
昭和ドーナツは昔よく食べた懐かしい食感でしたが、やっぱミスドのが好き~(ナイショネ)
旅は まだまだ 続くぅ~~~~!
またまたぷち旅記録~長崎編の続き行きま~す!
ダイナミックな雲仙を堪能し、宿泊先の小浜(おばま)を目指します。
雲仙から国道57号に沿って走ると、右手に大仏さんが見えてきました。
奈良でも鎌倉でもないのに、イッタイなぁに? と、立ち寄る事に。
”雲仙大仏いのりの里”なのだそうですが・・
な~んかいっぱい。。ありますょ( ̄∀ ̄*)イヒッ
太陽がぼちぼち沈もうかとしていた頃だったので、
大仏様の後光が・・・って感じでした^^
そして、その隣には、
石の壁が立っており、その壁には鳥が羽を広げた様に双翼が画かれています。(逆光で写ってませんが^^;;;)
中央には丸い穴が開いており、一体 なんなんざんしょ。。
カメラを向けると、あらあら^^*
丁度、夕日が開いた穴にすっぽりと入ってしまいました
『FENICE』と書かれたプレートが横に有り、なるほど^^
フェニックスを模しているのですね^^
沈む夕日に今日の日を思い、また明日昇る太陽に幸せの訪れを祈る。
自らの身体を燃やして命が絶たれても再生し永遠に生きる超生命体・不死鳥をイメージしているのだそうです。
まだまだありますよ~!
今度は何!?
厩戸皇子(うまやどのみこ)
彼↑こそがあの聖徳太子であります。
私達の知っている聖徳太子は昔の一万円札のヒゲを生やして烏帽子を着けたおじちゃん。。なんですけれど^^;
そもそも、聖徳太子という名前は彼の没後に呼ばれた名前だったので、生前は厩戸皇子(うまやどのみこ)という名前だったの。
馬小屋のぼっちゃま。。なんて、変な名前ね。
な~んかさ、キリストの生誕の時も馬小屋だったよね、なんかかぶっちゃうわ^^;(ぼそっ)偉大なる人には馬小屋エピソードは欠かせないってか?←あくまで独り言だからねー!
厩戸皇子は、西暦574年2月7日生まれ 622年4月8日没 (享年48歳)
推古天皇の即位後、バックアップ(摂政)として、当時随一の豪族・蘇我馬子をスポンサー(協力者)にして政治を行った人物として、知られています。
推古天皇にとっては甥にあたり、推古天皇の皇太子という地位(関係)だそうです。
聖徳太子は大王(天皇)中心の政治をめざし,遣隋使派遣,冠位十二階や十七条憲法を制定したり、四天王寺・法隆寺などを建立しました。
飛鳥時代は渡来人が活躍した時代でもあったため、その渡来人たちが伝えた仏教は日本に大きな影響を与えました。
大和王権の有力な豪族の蘇我氏の他に物部氏が居ましたが、蘇我氏は渡来人の東漢氏(やまとのあやうじ)や西文氏(かわちのふみうじ)とつながり大陸の文化を多く取り入れようとしたり、仏教を崇拝し自宅に仏像を置いたりしました。
かたや物部氏は石上神宮を氏神とし,中臣氏や忌部氏とともに排仏を主張(仏教反対)した事から、蘇我氏と物部氏の対立が激しくなっていく一方、この動乱の中で廐戸皇子が大王を中心とした争いのない国づくりを目指したとされています。
あ~~~>< またウンチクが長くなってしまった;;;
とにかく、伝説上の人物や神様・仏様がココには大集合していたんです^^;
例えば、こんなの↓とか。。も^^;
七福神
池にカッパの親子?
天狗!?
え? サブちゃん!?
↑龍の置物。サブちゃんちにもある。(らしい)
これらの関連性がイマイチ理解できなかったが・・・
おぉぉぉ~! コレ↓は~~~っ!!!
マッタケ♪
助さんが、掘ってみるか? と、ニヤリ( ̄w ̄*)
いいけど、助さんに全部あげるよ~^^
笑って笑ってハラ抱えてゴキゲンサンで(あの世に)逝けるで~( ̄∀ ̄*)イヒッイヒッ
※きのこを気安く採って食べてはいけないょ。(チッチッチッゞ( ̄∇ ̄ )
海の向こうに見える山が長崎市、その向こうにうっすら見えている山は、五島列島です。
日が沈みます~急がねばっ!!!
日本白砂青松百選に選ばれた千々石海岸(ちぢわかいがん)へ向かいます。
小浜(おばま)市に入り、しばらく走っていると、パトカーが何台もけたたましくサイレンを鳴らしながら渋滞の列を追い抜いて行き、何やら騒がしかったのですが、お陰でめっちゃ渋滞><
一体 何が有ったのでしょうか。。事故とかそういうのじゃなくて、なんか事件の様な雰囲気が漂っておりましたが・・ニュースを見てみましたが、わからないままでした^^;
さて、千々石海岸に やっと辿り着いたと思ったら、
あちゃー><
太陽が丁度沈んでしまったじょ~
タッチの差で沈んでしまいました。(残念)
仕方ないな。。
そうだっ
奥の手を使いますにょ(・`3´・)ゝ
時間を巻き戻すのですょ^^
(ぐるぐるぐる。。そろそろ10分ぐらい巻き戻ったかな?)
ふっふっふっ~~ヽ(´ー`)ノ
ご覧下さい~ 美しい夕日ですよ~!
↓↓↓
にゃはは^^
こんな事もあろうかと、先に美しいショットを頂いておきましたの~ん♪
(千々石海岸の少し手前ですにょ^^)
宿泊先に辿り着く手前で、昭和ドーナツという旗が目に入ったので、
ドーナツ屋さんがあると思って店に入ってみると、、
ドーナツ屋ではなく、ケーキ屋さんでした。
昭和ドーナツをちょこっと買ったけど、他に目についた地元をアピールしたスイーツを買いまくってしまいました^^;
小浜フロマージュとか雲仙チーズケーキとか雲仙シュークリームとか・・地域の名前が付いたものを全種類買って来ちゃいましたヽ(´ー`)ノ
夕飯はどうしようか。。。と言いながら、
宿泊先にチェックインはしたものの、疲れすぎて助さん珍しくダウン。
ホイミは眠気を押さえるコイツ↓のお陰でちっとも眠くない~。。。
スイーツを一人で淋しく食うはめに^^;(夕飯はなしだ・・・ガクッ!)
え?一人で全部食ったのか?って?
((((((≧∇≦))))))
後で助さんをムリヤリ起こして、半分食わせましたとも( ̄▽ ̄;)ゞぽりぽり
(一人で食っても良かったんですがね、恨まれますでしょ?スイーツ大好きな助さんに^^)
昭和ドーナツは昔よく食べた懐かしい食感でしたが、やっぱミスドのが好き~(ナイショネ)
旅は まだまだ 続くぅ~~~~!
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