こんにちわ~^0^
今日は先にお祝いから~
千葉のG様、お誕生日おめでとうございます!
G様にとって素晴らしい一年になりますようにヾ(*´∀`)ノ
さて、ここからは、今日の日記です。
今日で阪神大震災から17年経ちました。
今や震災の傷跡は殆ど見られない程、神戸の復興は成されましたけれど、
人々の心の復興は未だに終わってないのだろうなって思います。
思えば、あの大震災前日の日曜日、ホイミは神戸のすぐ側の淡路島へ友人達と出かけておりました。 震源近くの淡路島北淡町、そこにも立ち寄っておりました。
そして、淡路島から当時、建設中だった明石大橋が早く開通したら良いのに・・・と、
神戸の街を高台から眺め、せっかくだからフェリーに乗って神戸に住む友人宅へみんなで行ってお泊りさせてもらっちゃおうか^w^ と、話していたのです。
しかし、あいにく、次の日は平日だったので、バイトやお仕事を休めないわよね^^;と神戸を目前にしながら帰ってきました。(ちょいと、電話をかけて明日休みますー!と言えば良いだけだったのかもしれないけれど・・なぜか、みんな電話をかける気にはなれず、仲間達と神戸行きを断念しました。)
そしてホイミ達が淡路島を後にして約9時間後の明け方、震災が起きたのでした。
神戸の友人宅は、崩れ被災しました。
友人は、命からがら逃げ出す事が出来たらしいのですが、
近辺でも大規模な土砂崩れがあり、たくさんの方が亡くなったとの事。
もし、前日の夜、私達がお邪魔していたなら、夜遅くまでワイワイ騒ぎ、
朝方眠って、震災時には逃げ出すことなど出来なかったと思います。
当時一緒だった友人達と
『ほんまに危なかった。。紙一重だった。。もし船に乗っていたら。。よく思いとどまったもんだ。。』
と、胸を撫で下ろしていました。
実際、神戸から離れた徳島でもかなり長い時間揺れておりましたので、
あの時の恐怖と、慌てて点けたTVに神戸の街が火の海になっているのを見た時の衝撃は忘れられません。
そして、昨年の東日本の震災。
大きな地震と更に大きな津波、流される家屋や車、映像で見ながらも阪神の悪夢が蘇り、
たくさんの人達の悲しみや心の痛みが更に心をえぐり取られる思いでした。
東日本大震災で復興が進まない中、亡くなられた人の遺族の方は、まだまだ長い心の戦いが続くのだと思うと、非常に心が痛みます。
大震災で亡くなられた方のご冥福を心からお祈り致します。
また、今後起こりうる震災に備え、いざと言う時はうろたえずに対応出来るように準備をしておかねばと思います。
これ以上の悲しい出来事が起きませんようにと祈らずにはいられません。
私たち日本人は大きな震災の度に強くなり対応力を高めてきました。
しかし、その度に自然はもっと大きな災害をもたらして来る。
人間は自然に対しては無力なのかもしれない、
それでもまた人は何度も立ち上がるのだろう。
小学校の時の担任が、『七転八起』という言葉を卒業の時にくださいました。
『長い人生のうちには、あなたがたには何度も辛い出来事がある。
あなたがたは、失敗しようとくじけることなく心を奮い立たせて立ち上がり前を向いてがんばって歩んで行きなさい。』
うむ。。転んだ以上に多く立ち上がれば良いのだな。。
コケる度に賢くなって更に大きな一歩を踏み出せば良いのだな。
と、子供心に理解し、その言葉はいつしか自身を励ます言葉となりました。
大切な人を失った悲しみは簡単に癒えないけれど、
生きている者は、亡くなった人の分の人生を背負って
生命を全うしなければならないように感じています。
どうか一人でも多くの傷ついた心が癒されますようにと、祈ります。
今日は先にお祝いから~
G様にとって素晴らしい一年になりますようにヾ(*´∀`)ノ
さて、ここからは、今日の日記です。
今日で阪神大震災から17年経ちました。
今や震災の傷跡は殆ど見られない程、神戸の復興は成されましたけれど、
人々の心の復興は未だに終わってないのだろうなって思います。
思えば、あの大震災前日の日曜日、ホイミは神戸のすぐ側の淡路島へ友人達と出かけておりました。 震源近くの淡路島北淡町、そこにも立ち寄っておりました。
そして、淡路島から当時、建設中だった明石大橋が早く開通したら良いのに・・・と、
神戸の街を高台から眺め、せっかくだからフェリーに乗って神戸に住む友人宅へみんなで行ってお泊りさせてもらっちゃおうか^w^ と、話していたのです。
しかし、あいにく、次の日は平日だったので、バイトやお仕事を休めないわよね^^;と神戸を目前にしながら帰ってきました。(ちょいと、電話をかけて明日休みますー!と言えば良いだけだったのかもしれないけれど・・なぜか、みんな電話をかける気にはなれず、仲間達と神戸行きを断念しました。)
そしてホイミ達が淡路島を後にして約9時間後の明け方、震災が起きたのでした。
神戸の友人宅は、崩れ被災しました。
友人は、命からがら逃げ出す事が出来たらしいのですが、
近辺でも大規模な土砂崩れがあり、たくさんの方が亡くなったとの事。
もし、前日の夜、私達がお邪魔していたなら、夜遅くまでワイワイ騒ぎ、
朝方眠って、震災時には逃げ出すことなど出来なかったと思います。
当時一緒だった友人達と
『ほんまに危なかった。。紙一重だった。。もし船に乗っていたら。。よく思いとどまったもんだ。。』
と、胸を撫で下ろしていました。
実際、神戸から離れた徳島でもかなり長い時間揺れておりましたので、
あの時の恐怖と、慌てて点けたTVに神戸の街が火の海になっているのを見た時の衝撃は忘れられません。
そして、昨年の東日本の震災。
大きな地震と更に大きな津波、流される家屋や車、映像で見ながらも阪神の悪夢が蘇り、
たくさんの人達の悲しみや心の痛みが更に心をえぐり取られる思いでした。
東日本大震災で復興が進まない中、亡くなられた人の遺族の方は、まだまだ長い心の戦いが続くのだと思うと、非常に心が痛みます。
大震災で亡くなられた方のご冥福を心からお祈り致します。
また、今後起こりうる震災に備え、いざと言う時はうろたえずに対応出来るように準備をしておかねばと思います。
これ以上の悲しい出来事が起きませんようにと祈らずにはいられません。
私たち日本人は大きな震災の度に強くなり対応力を高めてきました。
しかし、その度に自然はもっと大きな災害をもたらして来る。
人間は自然に対しては無力なのかもしれない、
それでもまた人は何度も立ち上がるのだろう。
小学校の時の担任が、『七転八起』という言葉を卒業の時にくださいました。
『長い人生のうちには、あなたがたには何度も辛い出来事がある。
あなたがたは、失敗しようとくじけることなく心を奮い立たせて立ち上がり前を向いてがんばって歩んで行きなさい。』
うむ。。転んだ以上に多く立ち上がれば良いのだな。。
コケる度に賢くなって更に大きな一歩を踏み出せば良いのだな。
と、子供心に理解し、その言葉はいつしか自身を励ます言葉となりました。
大切な人を失った悲しみは簡単に癒えないけれど、
生きている者は、亡くなった人の分の人生を背負って
生命を全うしなければならないように感じています。
どうか一人でも多くの傷ついた心が癒されますようにと、祈ります。