大好きがいっぱい

女・四十代半ば。残りの人生「大好き」で満たされたいもんだ

偉大なロッカーの死について思う事

2009年05月05日 | 主婦の生活
忌野清志郎が亡くなった。

テレビのニュースを見ていたら、ふいに涙が溢れて来た。

なぜだろう?

彼のファンではなかったはずだ。

知っている曲だって、ほんの数曲だけなのに。

それでも、私の中の何かが失われた感覚があった。

彼の歌声が、耳に焼き付いて離れない。


彼のライブは一度だけ。

もう20年以上も前に武道館で行われた複数のバンドが参加するライブに、
清志郎はチャーと一緒に登場した。

初めて見る清志郎はカッコ良かった。

こっそりバッグに忍ばせていたウォークマンで録音したライブテープを
何度も繰り返して聞いた記憶がある。

でも、それ以上のことはなかった。

なぜだろう?

当時20歳前の私にとって、
清志郎は果てしなく遠い存在だったのかもしれない。

そのライブのお目当ては、まだそれほどメジャーでないBOOWYだったから、
もう少し身近なバンドを求めていたのかも。


それから20数年。

清志郎はテレビに登場するたびに、柔らかいイメージになって現れた。

自然体でいることの強さと、滲み出てくる優しさ、
イイ感じに年を重ね、
イイ感じに成熟していくロッカーの生き方がすごくカッコ良かった。


私は彼の事を何も知らない。

知らないのに、なぜか惹かれる自分がいる。

彼の死を悲しく思う自分がいる。

私は、何を失ったのだろう?







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