天使の図書館ブログ

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手負いの獣-8-

2013-03-04 | 創作ノート
【オクトーバー・ゴールド】ジョン=アトキンソン=グリムショウ


 今回は、前回に引き続き、また鬼と呼ばれる看護師さんについて書いてみようかなって思います(^^;)

 いえ、正確には鬼というよりも……わたしが唯一「必要最低限以上、絶対に近づいてはいけない☆」と感じた看護師さんについて、というか

 その方を仮にYさんとしておこうと思うんですけど、Yさんはもともとは外来にいた看護師さんでした。

 にも関わらず、何故病棟に上がってきたかというと、お医者さんのひとりが「あの女だけは我慢できん。病棟にでも移してくれ」と言ったからだという噂でした。

 え~と、正直いって病院内の噂というか、こういうのってもしかしたら微妙なところで正確性を欠くのかもしれないので……本当にまったくそのとおりというよりは、看護師さんの休憩室でとりあえずわたしはそう聞いたという話だと思ってくださいね

 なんでもそのY看護師、お医者さんの横で診断などに口出ししてくるのだとか。そんでもって、わたし個人の感覚としては、看護師さんっていうのはお医者さんの指示に従うものだっていうイメージが強かったので、それだけでもちょっとびっくりしたというか。仮に心の中で「その判断、ちょっとどうよ?」とか「もう少し~~したらいいのに☆」と思っていても、口にまでは出さないといったように思ってたんですよね。
 
 でも、その温厚なI医師が「我慢できない」と言うくらいだから、よっぽどなんだろう……という噂が、病棟ナースの間では流れていたというか。。。

 そしてY看護師が病棟に上がってきて、少ししたある日の夜勤のこと。前回書いたP看護師が、「わたし、Yが大っキライなのよ。絶対に追い出してやるから、今に見てなさいよ!!」と休憩室で息巻いていたのです。

 しかも、その言い方が凄かったというか(^^;)もう不倶戴天の敵だとでもいうような、物凄い剣幕でした。

 正直、最初はわたしも「そこまで言わなくても」と思ったんですけど、のちになってI医師&P看護師の気持ちが、少しばかりわかる日がやってきたというか。。。

 勤務表みたいのを見ると、今日は△△看護師と20□号室~20◇号室を担当、みたいに書いてあるんですけど、のちにY看護師とだけは一緒に仕事したくないと、初めて思いました。何故といって、なんというかこう……人の心をチクッ☆と刺す物言いをする人だからなんですよ(^^;)

 でも、その部分だけを誰か人に話しても、「なんだ、そのくらいのこと」っていうような、ちょっとわかりずらいことなんですよね。

 たとえば、看護師さんが尿量をチェックしたあとに、尿バッグの尿を捨てた場合、その捨て口の留めるところがちゃんと留まってなかったとか、体位交換のあとに、胃瘻のキャップが外れていたとか、そんなよーな小言なんですけど……最初は「あれ、留めなかったっけ?いや、絶対ちゃんとキャップしたよな☆」とか思いつつ、素直にあやまってたのですが――何度かそれに類することが繰り返されたのち、「わかった!わたしも絶対この人イヤだ!!」と気づいたんですよね(^^;)

 で、他の人にもY看護師がそんなふうにするのはわたしだけなんだろーか……と聞いてみたところ、「いや、他の人にもみんな同じだよ☆」とのことだったので、もう必要最低限絶対近寄るまいと、心に固く決めたのでした。

 でも、Y看護師さんはその後、すぐに病院をお辞めになりました。というのも、P看護師が自分でそうと宣言していたとおり、ビシビシ当たりまくって追いだしたにも近かったというか(苦笑)

 いやあ、「あれ出来てない」とか「まだこれやってないの!?」だとか、怒鳴るのと同時にピシャーン!!とドア閉めてましたからねえ(^^;)

 看護師さん同士の人間関係の軋轢(?)っぽいのは、他にも二、三見なくもなかったんですけど、あれは本当に凄かったです

 病室のドアっていうのは、閉まる時に音がしないよう、ゴムで跳ね返るような作りになってますよね。でもそのドアが半分以上跳ね返って音がするくらいで、そのくらいの剣幕で怒鳴ってたというか。

 この事件が起きたのも姥捨て山病室でのことでしたが、あれが意識清明な患者さんの部屋で起きてたら、傍目には絶対P看護師が悪者っぽかったと思います

 でもわたし、そのことではP看護師に心から感謝したいくらいでした。OさんもPさんも厳しいかもしれないけど、目の前ではっきりズバッと物を言う看護師さんだったので、Y看護師みたいにネチネチしたところは一切なかったんですよね。

 Y看護師についてだけは、あのネチネチ感☆はどう表現したらいいんだろう……とすら思ってたので、もしかしたら誰か人がいなくなって嬉しいと感じたのは、それが初めてですらあったかもしれません(^^;)

 もちろん、Y看護師はP看護師に追い出されたというより、そういうことがなくても辞めていたんじゃないかという話でもありました。

 というのも、外来は夜勤がないので、そのあたりで折り合いがついてなかったらしく……「病棟に上がってきて夜勤しないだなんてありえない!」というのはPさんの言い種ですが、何より外来より病棟のほうが業務内容遥かに大変なので、そのあたりでY看護師は辞めたんじゃないかということでした。

 ほんと、病院とか老人福祉施設とかは、外から見ただけじゃわからないなって思います。内側で働いてる職員さんの本音を聞いて初めてわかるっていうことのほうが、もしかしたら多いのかもしれません。

 それではまた~!!



       手負いの獣-8-

 >>やあ、俺の可愛いサンサンサニーちゃんは元気かな?
 ところで、例の懸案についてだけど――ウィングの親友の色男が十二時にそっち行くから、あとのことはふたりで打ち合わせてくんなまし。
 それではヨロピク。


「ヨロピクって、結城先生……」

 横尾にわからぬよう、うまくパソコンのメールを使い、翼がそのようなメールを田中陽子宛てに送信したのは、実に十二時三分前のことだった。

 この時陽子は、そろそろお昼なので、給湯室でお茶の用意をしているところだった。今朝、事務員の金井美香子に、マグカップに茶渋がついているから漂白するようにと言われ、来客用の湯呑みに至るまで、すべて漂白したため――陽子は茶碗洗いをしている時に携帯が鳴り、ゴム手袋を脱ぐのに難儀していた。

 いずれにしても、十二時ぴったりにお茶は配られなければならない。陽子は真っ白くなったカップを八つお盆にのせると、事務長以下、七名の事務員たちの湯呑みを持って、急いで事務室まで歩いていった。

 給湯室も急いで片付けておかないと、「だらしないわね、田中さん。あなた、家でもいつもこうなの?」と、またお叱りを受けてしまうだろう。だが、医療図書室のカウンターにもなるべく早く戻らなければ、善意で来てくれるだろうイケメンのナイトをわたし如きが侮辱することになる……そう思い、陽子の体の動きはなんとも忙しなくなった。

 とりあえず、漂白しておいたカップはすべて洗っておいた。これをまだ布巾で拭く作業が残っているが、もし何か言われた時には、ある程度乾いてから拭こうと思ったと、言い訳することが可能だろう。こういう時、何故自分はこんな無意味に思えることでいちいち悩まねばならないのかと、陽子は腹立たしくなるが、大好きな本の仕事と編集作業のことを思えば、金井美香子のいびりなど屁でもないと、そう胸を張ることが出来る。

「あ、もしかして君かな。翼……じゃなくて、名前だすとまずいからウィングにしとけって言われたんだけど、まあ、どうでもいいよね。結城先生の紹介で来た、時司要です。僕も何も考えなしに来ちゃったけど、よく考えたらお昼時ですよね。たぶん先生方もそうだろうし……田中さんはお昼ってどうされるんですか?」

(な、なな、なんていう、びっ美形ーーーーーーーっ!!!!!)

 陽子は後ろによろめくと、背後の壁に奇妙な格好で張りつく形になった。黒とも茶色ともつかない微妙な色合いの髪に、切れ長の瞳、色白の肌……彼こそは全日本女子が夢にまで見る、少女漫画の世界から抜け出てきた貴公子だった。

「あ、あの……わたし如きの私事にお出向き願いまして、大変恐縮です。あ、あの……時司要さんって、あの画家の時司さんですよね?」

 苗字の珍しさからいって、まず間違いなくそうだと確信しつつ、陽子はあえて訊ねる。というより、病院の絵のいくつかを気鋭の画家のそれと掛け替えるといった話は聞いていたものの、まさかその相手が長くファンである時司要であるだなどとは、陽子は思いもしなかった。

「サ、サイン……じゃない。イチゴみるくの写真……でもない。えっと、この場合のわたしがなすべき、最優先事項は……」

 陽子はダッシュで一般図書コーナーまで走っていくと、そこから要の画集を一冊持ってきて、彼に差し出した。

「あの、わたし、時司さんの大ファンなんです。東京まで個展を見にいったこと、何回もあります。それと、デコラデパートの一階にある時司さんの絵が飾ってあるカフェに行ったりとか……結城先生も一言、わたしに言ってくださればよかったのに。そしたらこんなご足労をおかけすることもなかったのに……」

(翼が気に入ったと言ってるだけあって、確かにリアクションの面白い子だな)

 そんなふうに要は思いながら、陽子から差しだされた画集をぱらぱらと捲って見る。

「それにしても、医療図書室って聞いたから、医学関係の難しい本ばかり置いてあるのかなって思ったけど……そうでもないんだね。ベストセラーの本とか、意外に種類が豊富っていうか」

「そうでもないです。七割は完全にあたしが読んでもちんぷんかんぷんの医学書で占められてますから。ただ、『医学書ばかり読んでると、医者はますます馬鹿になる。そういう医者の頭がよくなるような本も置くべきだ』と高畑院長が提案なさって……三割くらい、普通の一般図書も置くようになったと聞いています」

「そっか。なるほど……ところで、僕に構わないでお昼にしてください。どうせお医者さんたちがごはん食べてここへふらっとやって来るとしたら、どう考えてももう少しありますよね。僕は向こうの本棚のほうをぶらつきながら、時々カウンターのほうを見て、こっちに戻って来ますから」

「あ、あのっ……時司さんは結城先生からどうお聞きになってるんですか?わたし、いつもカウンターでお弁当を食べるだけなんですけど、具体的に一体何をどうしたらいいのか……結城先生はメールで、時司さんと打ち合わせろなんて書いてらしたけど……」

「まあ、簡単ですよ。とりあえず、ごはんを食べてください。あとのことはそのあと話すとしましょう」

 自分が近くにいては、食事がしずらいだろうと配慮してか、要は陽子がお弁当を片付け、お茶をすするようになるまでの間、まるで一切気配を消したように、本棚の奥にいた。というのも、要が普段見慣れないような専門書が多く並んでおり、詳しい内容はわからないながらも、要はそれらの本の装幀などに心惹かれるものがあったせいである。

 それでも要は、陽子がお弁当をパンダ模様の包みにしまいこむのとほぼ同時、まるでずっとこちらを見ていたかのように、すぐカウンターまで戻ってきていた。

「さて、我々の話はスパイに聞かれていると聞いています」

 要はカウンターに腰をかがめると、そう陽子の耳元に囁いた。何気ない行為であるにも関わらず、陽子はそれだけで、それこそ耳まで真っ赤になりそうだった。

「なので、ここに入ってくるドクターのうち、あの人だというのを、目で合図してください。そしたら僕のほうが適当に話しかけますので、陽子さんも適当に言葉を返してくれればそれでオッケーです。翼の話によると、それが何より一番効果のある方法なんだそうですよ」

「わ、わかりますっ。最初結城先生に話を聞いた時は、あまりピンと来なかったけど……そのくらいの破壊力が、時司さんには確かに備わってると思いますっ」

 どこか中性的な微笑みを浮かべて、「そうかな」と要に返されると、陽子としてはもう、心の中で(そうです、そうです、そうに決まってます!!)と、振り子人形のように首を振ることしか出来なかった。

 ネクタイはしてないものの、薄いブルーのシャツを中に着、少し丈が短めのグレイのベストを着た要は、まるで学会帰りの医者か何かのようだった。カフリンクスは鷲とライオンが描かれた純銀製で、着ているズボンもベストと同じく、高級品のようにしか見えない風合いだった。

 やがて、ひとりふたりと白衣姿の医師がふらりとやってくるようになり、三人のドクターが本を返却したり借りたりといった出入りのあったあと――白衣の中にクリーム色のワイシャツを着、律儀に紺のネクタイを締めた、背の高い男が現れた。

 眼鏡をしており、見るからに「ミスター堅実」といった顔をした三十代と思しきその男性は、カウンターに見慣れない男が肘をついている姿を横目に見て通りすぎる。

 要が男――精神科医の溝口篤に目をやり、陽子のほうを再び振り返ると、彼女はどこか困った顔をして、こくりと大きく頷いていた。

「最近の陽子さんお勧めの本って、何かある?」

「わたし、海外のミステリーものが好きで、スカーペッタ・シリーズを最近読んではまりました。時司さんは普段、どういったものをお読みになるんですか?」

「ああ、僕は結構雑食系だから……その時の気分で、古典から三文小説と呼ばれるものまで、結構なんでも読む感じ。スカーペッタ・シリーズは僕も何冊か読んだかな。科学捜査でここまでのことがわかるっていうところが面白いけど、同時にアメリカはちょっと怖い国だと思ったりもするな。特にストーカー犯罪とか」

 要の声音はとても自然で落ち着いていた。特段誰かに聞かせようという意図はまったく感じられないが、図書室の静謐な空気に流れこんで、聞き耳を立てているだろう人物の元まで忍びこんでいく。

「怖いですよね、猟奇犯罪とか……そういうのに比べたら、日本はずっと平和で良かったな、なんて時々思っちゃいます」

「うーん。でも陽子さんも夜道では気をつけないと。男がその気になったら、あっという間だからね。もし何かあったら、すぐ僕に電話すること。わかった?」

 ここで要が左目でウィンクする。

「は、はい!!あの、いつも要さんにはご迷惑ばかりお掛けして……」

「迷惑、か。こんなにしょっちゅう会ってるんだし、第一僕と陽子って、そんなに堅い仲だったっけ?」

「えっと、それは……」

「まあ、いいけどね」

 ここで要は、彼特有のなんともいえないような、軽やかで快い声で笑う。

「それより、映画にいく約束してただろう?陽子が見たいの、最近何か来てないかな」

「わたし、タルコフスキー監督の、リバイバル上映が見たくて……」

 ――こんな調子で要と陽子の会話は続いていき、五分ほどですぐ図書室を出ていった精神科医の溝口に続き、耳鼻咽頭科の半分頭の禿げ上がった四十代の医師、高野公造のことも撃退していた。

「ざっと、こんなところで良かったのかな」

 時刻が一時四十五分となり、図書室は再び無人となった。要は小声で少しばかり心配になった点について、陽子に確認をとっておく。

「でも、こんなことしたらかえって相手の思いが募るってパターンもなくはないから……そのあたり、本当に大丈夫?」

「その点は、大丈夫だと思います」

 陽子はちらと様子を探るように、図書室の入口のほうを見ながら、小声で囁く。

「結局その……先生たちっていうのは、基本的に弱腰なんです。『僕のこの繊細でデリケートな気持ち、君ならわかってくれると思って話すんだけど』っていう前置きが常にちらついてる感じっていうか。でもわたし、そういう先生たちの気持ちもすごくわかるんですよ。なんでかっていうと、わたしも同じように恋に対して臆病だから……傷つかない範囲で誰かに癒しを求めたいっていう気持ちは、すごくわかるような気がするんです。だからあんまり強い態度にも出られなくて、それで困ってたんです」

 でもこれで安心だ、といったように陽子がにっこり微笑む姿を見て、要は初めて陽子のことを<女>として見たかもしれない。

(なるほど。確かに翼が気に入るのもわかるっていうタイプの、可愛い子だな)――そんなふうに少しばかり感心しながら、要もまた陽子に対し微笑み返す。

「時司さん、今日はわたし如きのためにありがとうございました。絵のお仕事で来られたっていうことは、またこちらへいらっしゃいますか?もしそうなら、是非お礼をしたいのですが……」

「いや、そういうことは特段いいよ。なんでかっていうと、僕も翼と同じく脛にたくさん傷のある身だからね。その内のひとつを善行によって消しとけみたいに翼に言われたんだ。あいつも今、脛を打ってその痛みに耐えながらぼた餅の落ちてくる日を待ってるみたいだから……僕のことより、もし院内で何かあったら、あいつに協力してやって欲しい。もちろん、陽子さんの出来る範囲で構わないんだけど」

「ええ、もちろん。要さんのことをご紹介くださったのは、結城先生なわけですし……でも、わたしは結局しがない司書に過ぎないので、どの程度結城先生のお役に立てるかはわかりませんけど……でも、わたしに出来ることがあるなら、どんなことでもって思います。あと、要さんも院内のことでわからないことがあったら、遠慮なくなんでも聞いてください。病院の一階から十三階に至るまで――建物の構造についてや、どこに何があるかといったことは、ほとんどわたし、熟知してますから」

「ああ。もし何かあったらよろしく頼むよ。じゃあ、僕はそろそろ院長室に行こうかな。この場合、院長先生及びこの病院全体は僕にとって大切なクライエントだから、お待たせするのはマナーに反すると思うし」

「はい。では、御案内致します」

 そう言って陽子がカウンターから出、廊下を要の先に立って歩いていくと――事務室の入口のところで、金井美香子がサッと扉の陰に姿を隠すのが見えた。

 これはあくまで、陽子が推察して思うにということなのだが、画家の時司要は美丈夫というだけでなく、声のほうまでハンサムだった。金井美香子はおそらく、そのせいで相手が一体どんな容貌の男なのだろうと、前のめりになるような格好でこちらを窺っていたに違いない。

 実をいうと事務員・金井の机の中敷きには、ジャニーズ系の美少年の写真がたくさん挟んであることを、陽子はよく知っている。最近は韓国ドラマにハマっているらしく、同じように韓ドラに傾倒している総師長と、時々廊下で声も高らかに「チャン・グンソクがどうこう」といった話をしているのを、陽子はよく耳にしている。二年前から院内でイケメンドクターコンテストが開催されるようになった時――彼女はそちらの動向についても、とても気になる様子だった。それでも、「金井さんも投票しませんか?」と声をかけた時、彼女は極めてクールに「先生たちの間でもし、美人ナースコンテストなんていうのがあったら、みなさんとても気を悪くされるでしょうね」と皮肉で返すのみだったのである。

(馬鹿ねえ。もしわたしがここへやって来た四年前から、普通並程度に仲良くさえしてたら、『画家の時司要さんって、噂に違わず超格好いい!!』とでもミーハーに騒いで、互いに手を打ち合わせてたかもしれないのに)

 でも、こちらが同僚として普通に仲良くしようとしたのに、それを100%裏切ったのはあなたなのよ、金井さん――などと思いつつ、時々ちらと後ろを振り返りながら、陽子は看護師長室・副院長室・院長室と順に並ぶ廊下で、要が外の景色に心を奪われているのに気づいた。

「ここから見える病院の裏庭や林のあたりは、景観が最高だね。こんなに美しい紅葉の風景を見て、潮の香りを胸いっぱいに吸いこんでたら、病気が治る効果が増しそうな気さえする」

「ええ。わたしもここからの眺めが大好きなんです。毎朝、院長室・副院長室・看護師長室の順にお茶をお持ちするんですけど……そういう時に裏庭の林を何気に眺めてると、本当に幸せな気持ちになります。夏場とか、窓を開け放しにしておくので、その日の風向きによっては潮の香りが強く漂ってくることこともあるんですよ。秋って、一年の中で空気が一番美味しい季節でしょう?木々の吐息が空気に溶ける濃度が一番濃くって、枯れ葉を絨毯のように敷き詰めた朽葉色の道を歩いてると、寒さなんか全然気になりません。母はよく、『これから寒くなると思うと、気が重くなる』って溜息を着くんですけど……」

 自分が余計なことをしゃべりすぎたと思ったのだろう、陽子はハッとすると、現実に引き戻されたように、微かに頬を赤らめていた。

「ごめんなさい、わたしったら。時司さんはアーティストでいらっしゃるから、紅葉のグラデーションの中にも、芸術の魂みたいなものを感受性豊かに感じられるんでしょうね」

「いや、多少はそれもあるけど、僕が考えてたのはもう少し別のことかな。確かにここから眺める自然の景観は美しいけれど、そちらのほうの土地もすべて病院のものだとしたら――何か少し効率が悪いような気がしてね。なんとも夢のない言い方だけど、そちらの林をすべて重機で薙ぎ払って、有効活用しようっていうふうに、普通の企業であれば考えるような気がして」

「あ、時司さん。いい勘してますよ」

 副院長室の前に差しかかったあたりで、陽子はまた少しばかり小声になる。

「今、時司さんが言ったみたいに、裏の林を一度更地にして、老人福祉施設や訪問看護ステーションなどを建設する話があるんです。実際にはそこらへんのことがどうなってるのか、詳しいことまではわかりませんけど……巷では五年以内に建物の建設に着手するんじゃないかって言われてます。まあ、わたしとしてはこの裏庭には、自然の景観美をずっと保っていて欲しいんですけど……事務長が言うには、老人福祉施設や訪問看護ステーションといった施設と連携して、総括的に運営していったほうが、病院の採算の見通しは明るいということでした」

「そうか。じゃあ裏庭の景色を一度、どこかから眺めて一枚くらい描いておこうかな。いつかなくなってしまう景観なら、その景色を描いて病院のホールのどこかに飾るのも悪くない気がするし。陽子さん、景観的には裏の林はどこから眺めるのが一番お勧めなんだろう?」

「えっと、わたし個人の一番のビュー・ポイントは……」

 などと、陽子がしゃべりまくっていると、院長室のドアが不意にガチャリと内側から開いた。

「これはこれは、時司先生。本日はどうも、お忙しい中、ご足労いただきまして」

「いえ、高畑院長のほうこそ、わたしなどよりよほどお忙しいのではありませんか?にも関わらずお時間をとっていただいて、こちらこそ大変恐縮です」

 高畑院長と画家の時司要が院長室に消えるのを見送ると、陽子は少しばかり早足になって給湯室へ向かった。言うまでもなく、院長室まで真心のこもったお茶を持っていくためである。

 陽子は給湯室に足を踏み入れた瞬間、とても驚いた――何故といって、そこには事務員・金井美香子がマグカップや湯呑みなどを拭く姿があったからである。

 この時陽子は、『よくこんなにもだらしなく、山のように茶碗を放置しておいたもんだわね』といった金井の小言を覚悟したが、内心では時司要効果により、かなりのところ舞い上がっていたため――そのくらいの税金は喜んで払ってやろうと瞬時に思っていた。ところが、次に金井美香子の口から発された言葉に、陽子は心底驚いてしまう。

「あの方、とても素敵な方ね。一体田中さんとはどういった御関係なの?」

 金井美香子の声にも表情にも、嫌味なところはまるでなく、そこにはただ、昔からファンのアイドルの素顔を知りたいといったような、気さくな微笑すら垣間見えている。

「えっと、時司さんは結城先生のお友達だそうです。あ、でもこれ、一応内緒にしておいてくださいね。友人の絵描きさんが今日院長を訊ねにくるから、院内を色々案内してほしいって、わたしは頼まれただけなものですから」

「ふう~ん……」

 金井はいかにも腑に落ちないといった顔で給湯室を出ていったが、それも無理からぬことと陽子は思う。何故といって自分と時司要の会話を盗み聞いていただろう彼女にとっては――今の陽子の説明では辻褄が合わないと感じただろうからである。

 それでも金井はとりあえず、納得しないわけにいかなかったのだろう。陽子が先ほど放置しておいた茶碗類すべてを所定の場所に片付けると、布巾を置いて給湯室から出ていった。 

(わたし、金井さんに何か手伝ってもらったのなんか、これが初めてだわ。風邪で休んだ時なんか、次の日に出勤してくるなり『あなたがいないとわたしがあなたの分の仕事までしなきゃならないってわかってる?』って、怒鳴るくらいなのに……というより、これも<恐るべし、時司要効果>とでも呼んだほうがいいのかしら)

 給湯室でひとりきりになると、陽子は要と話した何気ない会話のすべてを胸の中で反芻し、暫くの間はにまにま笑いが止まらないほどだった。しかも、病院の裏庭の絶景ビューポイントを教えるという、重要な使命すら自分には与えられている……陽子はそのことを思うと、まさに天まで昇る心地だった。

 そして、医療図書室のカウンターへ戻ってからは、いつ金井美香子が顔を見せてもいいよう、膝掛けの下に携帯を隠しながら、結城医師と瑞島藍子に一通ずつメールを送った。翼に対しては当然、ハートマークのついたお礼メールを、そして瑞島藍子には「最強のイチゴみるく男子発見!!」というタイトルの、テンションの高いメールを送信した。

 翼はその陽子からのメールを見た時、(やっぱりうまくいったか)と自分の作戦が狙い通りにいったことに対し、にんまりほくそ笑んでいたのだが――ただひとつ、翼は自分がどれほど罪深いことをしたのかについては、ついぞ悟ることはなかったといって良い。

 何故といって、これまで片想いと妄想恋愛で人生の大半を過ごしてきた陽子にとって、画家の時司要との出会いというのは――彼女のそうした傾向をさらに強化する方向へ繋がることだったからである。



 >>続く……。





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