天使の図書館ブログ

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探偵LのSweet☆シリーズ。

2011-08-19 | 創作ノート
(サンドロ・ボッティチェッリ【柘榴の聖母】1487年、ウフィツィ美術館所蔵)


 探偵Lのノートのほうに、Sweet☆シリーズの【25】、白百合の聖母をアップしました(^^)

 向こうは長らく放置状態が続いてますけれども、だからといってわたしのLに対する愛情が弱まったとか、これはそういうことではまったくありませんww

 ただ、完結篇を書くのはわたしとしても作業的に結構大変なので……まあ、わたしの中のLたんと相談しつつ、ゆっくり細部を詰めていこうと思っています♪

 そして今回の白百合の聖母はですね、Lたんがラケルと息子のシオンの不在中に寂しくなり、ふたりの聖母子の絵を描いてその寂しさをちょっとの間紛らわす、といった一場面があったり(^^;)

 前に何かでイギリスの画家で名を残している人は、徹底した写実主義者だけだ、という一文を読んだことがあるんですけど――Lたんはいわゆる「人間カメラ」を内蔵してると思うので、それでやっぱり絵を描く時も写実的なんじゃないかと思います。

 あと、Lファイルで美術館に行ってましたよね、L(笑)

 あの時見ていた絵の傾向からすると、実は結構抽象画なども好きなんだろうな~なんてww

 わたし、基本的に小説中に自分で書いたことって片っ端から忘れていくので(もちろん大筋については覚えてるんですけどね^^;)、今回もまた「え~っと、ここってこれで間違いなかったよね??」という箇所があって、アイスランド篇の最後のほうを軽く読み返したりしました。

 というか、このお話もすでに、自分以外の誰かが書いたとしか思えなかったり(^^;)

 なんていうか、もし今書いたら「こういう書き方はしないだろうな~」とか、「なんでこの時はこういう書き方をしたんだろう」とか、結構理解できない箇所があったりするんですよね

 まあ、探偵Lに関しては、始めた以上は絶対にLが幸せになるというところで終わらせなければならない……っていう絶対の信念がわたしにはあったので、アイスランド篇については特に、もっとSF小説とか色々読んでから書きたかったな~と思いつつ、そういう未熟さについては自覚しつつも、なんとか着地点に到達させたっていう部分が大きいというか。

 そしてレディ・ゴダイヴァの記事のところで、ジョン・コリアが描いたリリスの絵を見ていて思いだしたのが――やっぱり、このアイスランド篇に出てくるマザーコンピューターのリリス(笑)

 探偵Lの完結篇って、メロがこの時持って帰ったリリスのICチップを持ってLたんがブルーノ・ガンツさんと対面するという、そういうお話になる予定だったり。

 ガンツさんも結局、ロシアの裏の総主教であるとか、イギリスのウィリアム・オースティンであるとか、そういったリヴァイアサンの幹部たちを抑えきれなくなっているので……まあ、最終的にLと話し合いのテーブルに着くことになる、というか。

 ロシアの裏の総主教であるとか、イギリスのオースティンが考えてるのはまあ、聖書の黙示録にあるのと同じことを<人為的>に行なって自分たちが神になろうとするっていう、そういう計画なんですよね(^^;)

 前もって核シェルターを作っておき、そこに自分たちの選んだいわゆる「選民」だけを匿った上で、実際に核戦争を起こす……それを止めようとするのが我らがLたんなわけですけど(笑)、このお話は正直、書かないままで終わるかもな~と思ったりしてましたww

 でも、福島の原発のことがあってから、やっぱり<核>ということについては、それがどのくらい恐ろしいものなのか、あらためて子供から大人までわかりやすいように物語として書く必要があるんじゃないか、と思うようにもなったり。。。

 まあ、間違いなく時間はかかると思うんですけど――とりあえず急ぐ必要はないので、これも気長~にやっていこうと思っている計画のひとつです(笑)

 なんにしても、本編から外れてるSweet☆シリーズは、わたしにとっての分類ジャンルは純愛ラブファンタジーといったところでしょうかww

 ええ、Lとラケルの関係っていうのは、わたしにとってファンタジー以外の何ものでもありません(笑)

 でも、原作Lの存在自体がかなりのところ「嘘っぽいのにリアル☆」っていうのがあるので――毎回書くたびに「彼らはこれでいいんだww」というノリで(25)までやってきた……といった感じでしょうか。

 最初はネタ☆としてあったのって、大体十話くらいだったと思うんですけど、まさか自分でもその時の倍以上もこのシリーズを続けることになるとは、まったく思ってもみませんでした(^^;)

 ついでに、これだけ飽きっぽいわたしが、よく今もこれだけLが好きだよな~と、自分自身に対しても驚くかぎりです(笑)

 ええと、こちらのブログではLの記事をするのってたぶん初めてな気がするので……まあ、次回は「デスノ☆再考」(最高!!)的な記事でも一度書いてみようかなと思います。

 それではまた~!!




(サンドロ・ボッティチェッリ【マニフィカトの聖母】1483-85年、ウフィツィ美術館所蔵)

 今回は、Sweet(25)の白百合の聖母というタイトルにちなんで(?)、ボッティチェッリの描いた聖母子の絵を2枚選んでみました。
 ちなみに、マニフィカトのマニフィカトとは、ラテン語で「あがめる」を意味し、ルカによる福音書、第1章46~55節のマリアさまの祈りから来ています。
 このマリアさまの賛歌は、わたしが時々見ていて思うに……どうも口語訳で掲示されている場合が多い模様。
 でもそれだとやっぱり普通の方にはわかりにくいと思うので、わかりやすい現代語訳の文章をここには写しておきたいと思います。


(イエスさまを聖霊によって胎内に宿した時、マリアさまが喜び歌ったといわれる賛歌)
「わがたましいは主をあがめ、
 わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
 主はこの卑しいはしために
 目を留めてくださったからです。
 ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、
 私をしあわせ者と思うでしょう。
 力ある方が、
 私に大きなことをしてくださいました。
 その御名はきよく、
 そのあわれみは、主をおそれかしこむ者に、
 代々にわたって及びます。
 主は、御腕を持って力強いわざをなし、
 心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
 権力ある者を王位から引き降ろされます。
 低い者を高く引き上げ、
 飢えた者を良いもので満ち足らせ、
 富む者を何も持たせないで追い返されました。
 主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、
 そのしもべイスラエルをお助けになりました。
 私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に
 語られたとおりです」


(ちなみに、こちらがウィキより引用した文語訳☆一応、参考までに^^;)
 わがこころ主をあがめ、
 わが霊はわが救い主なる神を喜びまつる。
 その婢女(はしため)の卑しきをも顧み給えばなり。
 視(み)よ、今よりのち万世(よろずよ)の人われをさいわいとせん。
 全能者われに大いなる事を為したまえばなり。
 その御名は聖なり、
 そのあわれみは代々、
 かしこみ恐るる者に臨むなり。
 神は御腕にて権力(ちから)をあらわし、
 心の念(おもい)に高ぶる者を散し、
 権勢(いきおい)ある者を座位(くらい)より下ろし、
 いやしき者を高うし、
 飢えたる者を善き物に飽かせ、
 富める者を空しく去らせ給う。
 また我らの先祖に告げ給いし如く、
 アブラハムとその裔(すえ)とに対する
 あわれみを永遠(とこしえ)に忘れじとて、
 僕(しもべ)イスラエルを助けたまえり。





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