天使の図書館ブログ

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Ray of light-1-

2014-01-01 | 創作ノート
【紅白梅図屏風】(白梅図)尾形光琳


 翼と唯のお話はなんとか年内に書き上がって良かったです♪(^^)

「Ray of light」のほうはそのかわり、すっかり連載が遅くなってしまいましたww

 え~とまあ、結局のところ、翼のほうの話を書いてるうちに、やっぱりまた医療関係の本などを読むことになり……お茶関係についてはあんまり調べられずに終わってしまったやうな

 やっぱり道具の取り合わせなどが難しいということもあり、適当に誤魔化して書いて終わりましたけども(汗)、掛け軸や禅語についてとか、また機会があったら調べてみたいな~と思ったりしてます

 なんにしても、このお話は「太陽と月に抱かれて」の番外編ということで、最後にどうなるのかは最初からわかってるわけなんですけど、本編のほうの欠けを補うような感じの短編かなって思います(^^;)

 まあ、なんていうかその……「太陽と月~」の要先生の男としての最低度が5段階評価で仮に4だったとすると、このお話は5段階評価で星5つなんじゃないかという気がします

 あとわたし、ニューヨークもメトロポリタン美術館も行ったことないです!!(威張るなよ・笑)

 特に死ぬまでに一度行ってみたいっていう憧れがあるというわけでもなく、ニューヨークと聞いてわたしが思い浮かべるのはとにかく、SATCとかGGとか、あのあたりのドラマの素敵さ加減だと思います

 そんなわけで、そのへんももしかしたら書いてることにおかしなとこがあるかも☆なんですけど、まあそのあたりもお茶の世界と同じく、書いてることはテキトーだってことでよろしくです

 あ、あとこれ、今年最初の記事ですか(笑)

 え~と、じゃあ一応、あけましておめでとうございます的な

 今年もよろしく的な感じでひとつよろしくお願いしますm(_ _)m

 それではまた~!!



       Ray of light-1-

 鹿沼玲子と時司要が初めて出会ったのは、ある雨の日のことだった。

 その時玲子は国際線のCAとして、東京-ニューヨーク間をフライトし、再び日本へ戻る便に搭乗する二日後まで、ニューヨークで過ごすことになっていた。

 ソレイユ航空のCAの仕事は基本的に四勤二休であり、到着した先の土地で玲子は宿泊することになっていた。つまり、玲子は東京へ戻る二日後までフリーの休日であり、華道と茶道の先生であるニューヨーク在住の叔母の家で過ごす予定だったのである。

 この叔母の家はメトロポリタン美術館の近くにあり(つまり、アッパー・イースト・サイド)、彼女は大手銀行に勤める夫を支える傍ら、アメリカで日本の<和>の文化を広げるという仕事に携わっていた。そして彼女は玲子に対しよくこう言ったものだった。

「日本の文化の素晴らしさはね、日本を出た時に初めてわかるものなのよ。9.11とか恐ろしいテロ事件が続いて……わたしも友人や知り合いの方を亡くしたし、あるいは家族を亡くして今もPTSDに苦しむ人がいたりね。その時につくづく思ったものよ。日本の宗教は断じて誰をも殺すことはないし、ユダヤ教ともキリスト教ともイスラム教とも仲良く出来るものでしょう?その<和>の心というものをね、わたしたちはもっと積極的に伝えていく必要があるんじゃないかって……」

 もちろん玲子は、叔母の言っていることが正しいこと、また自分もそのような役目を何がしかの形で表現できたらいいな、と漠然と思いはした。けれど、具体的に何をどうしていいかわからない以上――いつもただぼんやり頷くというだけで、それ以上何か意見を述べるというようなことはなかった。

 9.11という事件が起きた時、玲子は叔母夫婦の身の安全を何よりも真っ先に憂慮した。そしてふたりの無事が確認されると、何故こんな恐ろしいことが起きたのか、連日テレビの報道に釘付けになった。けれども、やはり玲子には多くの日本人と同じく、宗教に関係する<深い>ところがいまひとつよくわからないままだった。

 イスラム教について書かれた本なども読み、今の世界情勢がどうなっているのかを調べてはみるものの――それらはあくまで<理屈>としてある程度まで理解できるにしても、その根底にある深い思想性についてまではよく掴めなかったし、そうこうするうちに日常のあれやこれやに追われ、玲子は再びテロやイスラム教といった事柄についてはよく考えない世界へ引き戻されていった。

 時折テレビのニュースでテロ事件が報道されると、「ああ、またか」と思うという、そこから先に広がる断崖については、玲子はほとんど考えなくなっていたといっていい。

 そしてのちになって、<偽装イスラムテロ事件>と世間から呼ばれる事件の犠牲者になってみて初めて――こう思った。その時に一度立ち止まってよく考えるということを自分が放棄したから、『その痛みは自分の魂の一部でもある』という受け止めを拒絶したから、もしかしたら自分は最後、乾涸びた砂漠にひとり取り残されるような、惨めな思いをすることになったのではないかと……。


 * * * * * * * * * * * * * * *
 

 一度時間は、玲子が画家の時司要とメトロポリタン美術館の玄関口で出会った時のことに戻る。その時玲子は、この広い美術館が数多く収蔵する作品の中で、日本の美術コレクションを一通り見てまわっていた。日本の画家の作品――雪村周継の猿候図、狩野山雪の老梅図、尾形光琳の波濤図……といった作品を集中的に見て歩くと、自然と心が静まり、お茶を点てたり花を活けたりする時にも似た、とても澄んだ心持ちになれる。

 もちろん彼女の他の同僚たちは、もっとお洒落で過激な場所へ出入りすることのほうを好んだし、そうした場所へ一緒に行こうと誘われることもしばしばだった。特に仲の良いCAである三笠瑶子などは、海外ドラマにはまるあまり、ニューヨークでドラマの撮影場所となったカフェを訪ね歩くのを趣味としており、瑶子のブログを見るとそうした彼女の楽しい日常生活を垣間見ることが出来る。

 けれど、玲子はそうしたところからいつも少し離れたところにいた。休日には美術館や博物館、あるいはクラシックバレエやオペラを観て過ごすことが好きだったし、彼女がニューヨークという街を歩きまわるのは、それ以外ではおもに人づきあいに関係している場合が多い。たとえば瑶子につきあって『SATC』の撮影場所となったカフェやレストラン、バーなどを一緒に歩く、またCA仲間とショッピングに出かけたりといったことがそれに当たった。

 その休みの日も、玲子はブルーミングデールで同じCAの友人と買い物をする約束をしていた。けれど、彼女は出会ってしまったのだ。これそこそがきっと運命の出会いに違いないという、まるで映画のワンシーンでもあるかのような素晴らしい瞬間に……。

 メトロポリタン美術館を出ると、玲子は外が雨であることを知った。叔母の邸宅を出る時、彼女から「玲ちゃん、傘を忘れずにね」と言われていたのに、玲子はうっかり傘を持たずに出てきてしまった。

(参ったなあ)と、玲子は天に手のひらを翳しながら思った。同僚が宿泊先としているホテルまでは、十五分くらいの距離がある。(タクシーを使うしかないかしら)……そう決断しかねていると、横からスッと傘を差しだす男の姿があった。

「よかったらそれ、使ってください」

「えっ!?あ、あの……」

 咄嗟のことだったので、玲子は思わず彼の差し出す傘を手に取ってしまったが――これはそれだけ、要の差し出し方がさり気なかったせいでもある――自分の手にした握りが銀製の犬であることがわかるなり、すぐ男にそれを返そうと思った。

 だが相手の男はといえば、スーツを頭から被るようにして駆けていったあとであり、踵の高いパンプスを履いていた玲子としては、追いかけようにもすでに無理なくらい距離の開きがあった。

「どうしよう、これ……」

 玲子は傘がイギリスの有名傘メーカー、フォックス・アンブレラのものであることがわかると、なおのこと胸が痛んだ。

(ここの傘、とても高いのよね)

 玲子は帰りの道すがら、彼は一体誰だったのだろうと、そのことばかりを考えて、叔母の邸宅まで戻っていった。本当は同僚のいるホテルで落ち合う約束だったにも関わらず――彼女は家に戻ってからそのことを思いだし、慌てて携帯で「ごめんね。ちょっと体の調子が悪くなって」などと、嘘の電話を掛けたのである。

(とても、素敵な人だったな……)

 ヴィクトリア朝様式の家具類に囲まれたゲストルームで、玲子は床が雨で濡れるのも構わず、黒の高級傘を広げていた。

(もしもう一度出会えるものなら、何か小さなお礼の品と一緒に、この傘をお返しするのだけれど……)

 玲子は翌日の朝一番で、ケネディ国際空港へ向かわねばならない。そこで彼女は短い手紙を書いた――もちろん、もう二度と会うはずもなかったが、傘のお礼と出来れば自分とおつきあいしてほしいといったような、そんな内容の手紙を……。

 玲子は恋愛に対して臆病な質であり、何かとお節介な叔母が「いい縁談があるのよ、玲ちゃん」などと言うたび、適当に聞き流してきた。けれど、この日彼女が書いた手紙は内容としてなかなか大胆だったといえる。もちろん、渡す当てのない手紙であればこそ、少しばかり過激なことを書けたのであって、いうなれば玲子はそうした当てのない自分の気持ちを文章に書き表すことで、名前もわからぬ男のことを忘れようとしたのかもしれない。

「本当に馬鹿だわ、こんなことをして……中学生じゃあるまいし」

 手紙を読み返してみるなり、玲子は赤面したが、その翌日、その手紙をバッグにしまいこみ、雨など降ってもいないのに傘を手にして国際空港へ向かった。

(もしもう一度あの人に出会えたら……勇気をだして話しかけてみよう。傘のお礼と、それを返すのにどうしたらいいかってことと……あとはえっと、出来たらデートしてもらえないかっていうことと……)

 もちろん玲子は、男がかなりのハンサムであったため、当然そのような相手がいるに違いないとは思った。けれど、もし万が一フリーであったとしたら、自分にもチャンスがあるかもしれないではないか。

 玲子はプリ・ブリーフィングとクルー・ブリーフィングの間、メトロポリタン美術館の前で出会った男のことは一時的に忘れていたが、飛行機に搭乗する前であるとか、その他仕事の合間合間に彼のことを時折考えてはいた。彼の着ていた仕立てのいいライトグレイのスーツのことや、高級そうなネクタイ、よく磨かれた革靴のことなど……それはおもに後ろ姿を目で追う過程で玲子が視覚的情報として得たものだったが、今の彼女にはそれらすべて、ひとつひとつまでもが愛おしい残像だった。

 ニューヨーク-東京間のこのフライトで、玲子はギャレー担当だったので忙しく立ち働いたが、客たちが降機する際、本当に偶然にも見かけてしまったのである――エルメスのボストンバッグを手にして、ファーストクラスの客室から出てくる時司要の姿を。

「あ、あの、すみません。お客さま、か、傘をお忘れではございませんか?」

 ファーストクラス付きのCAだった南祥子が、見るからに怪訝そうな顔をして玲子のことを見返した。もしかしたら彼があまりに格好いいので、なんでもいいから話しかける口実が欲しかったのだと、周囲の人には誤解されたかもしれない。

「傘?」

 一瞬要は、なんのことだかさっぱりわからないという顔をしていた。玲子の目から見ても、彼が自分のことなどすっかり忘れているのがわかった。けれど、ここで引くわけにはいかないと、彼女は瞬時に固く決意していた。

「あの、先日メトロポリタン美術館の前で、傘を貸していただいた者です。その、傘のほうは今貨物室のほうにありまして、すぐにお持ちするわけにはいかないのですけど……」

「ああ、べつにいいですよ。あんなものは燃えないゴミの日にでも捨てていただければ。また別の新しいのを買おうと思いますから」

 そこまで言うと、要はまるでなんでもないことのように踵を返そうとした。

「ま、待ってくださいっ。あの、これっ!!」

 玲子は制服の内ポケットにしまっておいた手紙を、要に対して差し出した。もちろん、彼と会うことを想定してそのような場所にしまっていたわけではない。ただ、休憩時間に読み返しては、もう一度彼と会う方法はないものかと夢想していたというそれだけだった。

「ああ、それじゃあとで連絡しますね。電話番号とか、書いてありますか?」

「い、いえっ……」

(なんて馬鹿なことをしてるんだろう)――そう思いながら、玲子はポケットから急いでメモを取りだし、そこに携帯の番号を走り書きした。震える指を叱りつけるのに、一苦労する。

「じゃあ、またあとで」

 要はそう言ってにっこりと魅惑的に微笑むと、その場に爽やかな風だけを残し、ボーディングブリッジのほうへ歩み去っていく。玲子は歓喜のあまり、その場に卒倒しそうなほどだった。

「こんなこと、前代未聞ですよ、鹿沼さん!!」

 玲子が尊敬する、また将来は自分も彼女のようになりたいと夢想するチーフパーサー、榊原冴子が目を吊り上げて言った。口は笑っているのに目はまるで笑っていない――普段はそれがCAの部下に彼女が「鬼」と呼ばれる一番の所以だった。

「まあ、今回のことはあなたの普段の真面目な勤務態度から察して、大目に見るとしましょう。でも二度目は絶対にないということを、よく覚えておきなさいね」

「は、はいっ!!申し訳、ございませんでしたっ!!」

 このあと玲子は同僚たちから「いいなあ、玲子。あんな格好いい人と」だの、「あの人画家なのよ。しかも我が時司グループの御曹司」、「えーっ、じゃあ将来は玉の輿ってこと!?」だのとさんざん揶揄された。けれど玲子にとっては本当に、要が画家であるとか、ソレイユ航空創設者の息子であるとか、そんな額縁や背景はどうでもいいことだった。

 この時玲子が魅惑されていたのは、何よりも時司要という男の<声>だった。きのう会った時にも、素敵な声だとは思った。けれどほんの短い間会話を交わしてみただけで――玲子は彼とこのまま永遠にでも話していたいと感じた。こんなことはあまり深い交際経験のない玲子にとって、初めてのことだったといえる。

 玲子はキャリーバッグや他の荷物が自分の手元まで戻ってくると、その中から急いで黒い傘を取りだし、頬ずりしたいくらいだった。仕事を終えて自宅のマンションまで戻ると、ひたすら携帯の前で彼から電話がかかってくるのを待つ。

 本当は次のフライトに備え、時差の関係から体調を整えておかなければならないものの、玲子は風呂の外にまで携帯を持ちこんですぐ出られるようにし、さらには睡魔に打ち勝てず眠る寸前に、音量のほうも最大にしておいた。これでついうっかり出忘れるということもないだろう。

 もちろん、玲子は色々なことがとても心配だった。あんなふうにほんの一瞬親切にしてもらっただけで――一目惚れしただのなんだのいう手紙を受け取ったのでは、どん引きしないほうがおかしいだろうとも思った。けれど玲子は信じていた。彼は必ず社交辞令からでも電話をかけて寄こし、「申し訳ないけど、君の気持ちには応えられない」と、あの独特の優しい声で戸惑いがちに話すに違いないと……。

 そして電話がかかってきたのは、夜の十一時過ぎのことだった。彼は「女性に電話するのに不適切な時間」であることを詫びたのち、手紙に書いてあったとおり、本当に自分のことが好きなのかどうかと聞いてきた。

「あの、もちろんわたしわかってますっ!!ご親切にも傘を貸してくださっただけなのに、こんなふうに言われるだなんて……ちょっと怖いですよね。わたしが時司さんでもそう思うと思います。でも本当にわたし、こんなことするのなんて初めてで……」

 自分の声の必死さが伝わったのだろうか、玲子が一目惚れした男はちょっとの沈黙ののち、「次の休日にでも会おうか」と言ってくれた。玲子はといえば、本当にその場で喜びのあまり、体が床から三十センチばかりも宙に浮きそうになった。

「国際線のCAさんって大変なんでしょう?いくら四勤二休とはいえ、そのうちの一日は時差ボケとか、体調を整えるのに使って、もう一日休んだらまたすぐ出勤みたいな感じだって聞いたので……出来る限り僕のほうで都合を合わせたいと思います」

「そんな……ありがとうございます。本当に、なんて言ったらいいか、わたし……」

 ここで玲子は思わずぐすっと鼻を鳴らして泣きはじめた。まさか、いつかこんなふうに自分から誰かに告白することがあろうとは、いつも受身に物事を対処する彼女としては、本当になんとも言えないことだった。

「いえ、その……こんなことを言ってはなんですが、僕はもしかしたら鹿沼さんが思っているような人間じゃないかもしれませんし、最後には貴女のことをがっかりさせて終わる男かもしれません。これは、それでもいいならっていうことなんです」

「えっと、そうですよねっ。あの、そうじゃなくて、そういう意味じゃなくて、時司さんががっかりするような人だってことじゃなくて……わたしだって時司さんががっかりするような人間かもしれませんしっ。その際にはどうか、お気遣いなく切って捨てていただければと思うんですっ!!」

「切って捨てるって……」

 ここで要は、なんとも表現しがたい魅惑的な声音で「はははっ」と笑った。(笑うと少年みたいなんだわ、この人)と、玲子はあらためてそう思う。

「いえ、なんにしても会ってみないことには何もはじまりませんよね。というか、お互いのことをもっと深く知り合わないと……じゃあ、玲子さんの次のお休みは木曜と金曜なんですよね?そのうち、どちらのほうが都合がいいですか?」

「ど、どっちでも、要さんの都合のいいほうでお願いしますっ!!」

「じゃあ、金曜の午後なんてどうですか?もしそれでよければ昼からの時間をあけておきたいと思いますから」

「は、はいっ!!じゃあ、それでお願いしますっ!!」

「なんだか、歯医者の予約みたいですね」

 そう言って要は笑っていたが、玲子のほうはそれどころではなく、至って真面目、真剣そのものだった。

「は、はあ……」

「じゃあ、うちの場所をお伝えしようと思うんですけど、逆に適当なところまで僕が迎えにいったほうがいいのかな。ええと……」

 そのあと色々と電話でやりとりしたのち、要がアトリエを構える場所が玲子が地理的によく知る住宅街でもあって――というより、すぐ近くに実家があるのだ――彼女は彼から番地だけ聞き出すと、「わからなくなったらすぐ連絡してください」と言う要にまたも、「よろしくお願いしますっ!!」と微妙にずれた返事をして電話を切っていた。

「ふう。来週の金曜日の午後一時だって……えへへっ」

 玲子は携帯を切って口許に当てると、ベッドの上に再び大の字で寝転がった。そして「やったあ!!」と叫ぶと、要のことを思いながら再び眠りに落ちていった。電話で彼の声を聞いているうちに、玲子はあることを思いだしていた――それは彼の衣服から微かに雨の匂いがしていたということだった。これは玲子の気のせいではなく、何か要の体、衣服からは確かに、水色の雨を連想させるような香りがしていたのである。

(もしかして、香水かしら?でも、なんだか彼にぴったりの、とてもいい香りだったわ)

 もし他の男がそれが軽いものであれ、香水などというものをつけていたら、玲子はそんな男とはつきあいたいとすら思わなかっただろう。けれど、時司要という男の場合は何かが違った。本当に微かなので、それが香水であるとも気づかないほどではあるにしても――彼がいなくなったあと、その香りは何がしかの感覚を人に呼び起こした。

 そして玲子は少しあとになってから、こう思ったのだった。それはたくさんの女性の心を泣かせてきた涙が、結晶化した香りだったに違いないと……。



 >>続く。





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