のぶのぶの音楽雑記

演奏会のお知らせだけでなく、色々なことを書いていこうと思います。

東日本大震災の日、ではなく、協力し合う日

2015-03-11 18:38:14 | 日記
本日2015年3月11日は、東日本大震災から4年経ちました。

思うところは多々ありますが、今も苦しんでいる方々がいらっしゃいます。そんな中で政治家のしょうもないニュースがとても馬鹿馬鹿しく感じます。所詮他人事なのかもしれませんね。ちゃんとした人も少しはいるのかもしれませんが、愚かしい政治家が多い印象を受けます。そういった人たちのせいで、まともな人も悪い印象を持たれるのは不運ですね。

原発については政治的な意味でも処置が遅れたと思っています。私を含め、ほとんどの福島県民はそう思っているでしょうし、そう思われても仕方ないでしょう。

嘘か本当か知りませんが、アメリカからの申し出を断ったんだとか。結果がどう変わっていたかなんか分かりませんし、今さら興味もありませんが、もしかしたら少しはマシになっていたのでは?と思うと、悔やんでも悔やみきれません。どれだけの被害を被ったか。

放射能の被害でどれだけの人が苦しんでいるか。津波の被害を免れて、自分の家が無事なのにも関わらず、避難生活をしなければならない。

問題はこの先。
例えば、子供のことを考え、福島県には居られないと引っ越した家族。引っ越し先で、関係のない放射能でいじめられたりしていました。しかし、これは想定内でしょう。

想定外だったのは、避難生活をしている人たちです。家や仕事、何もかもを失って体のみで命からがら逃げて来た人だっています。そんな人たちは避難生活の中で賠償金などで生活しているわけです。

生活は困らないでしょうが、生活の中での生き甲斐や楽しみを見つけるのは難しいことでしょう。なんせ仕事すらないわけですから。目標だって立てられない。

しかし、外部からは、何もしないのにお金をもらって自由に生活していてとんでもない、という意見をよく聞くのです。
たしかに、そう思ってしまう気持ちが全くわからないわけでもありません。

でも、自分がその立場になったら、と考えると、そんなことを言うのもとんでもないことだと思うんです。先ほども言いましたが、そんな生活の中で生き甲斐や楽しみが見出だせるでしょうか。ただお金をもらって生きるために食べて…こんな生活が羨ましいというのでしょうか?

自分がそんな立場になったらそんなことは言えないはずです。家族がバラバラ、仮設住宅でパートナーが亡くなる。そんなことがあるなか、外部の不自由ない人に色々言われるのは心外だと思います。

かといって、個人レベルでやれることは限られてきます。むしろ、今は何を求められているのかもよくわかりません。募金ではないように思いますし。これからは本当に国がなんとかしなくてはならないところです。

国民の多くは期待出来ないと思っていることでしょう。残念ではありますが、こんな与党野党、傷の舐め合い状態では仕方がないところでしょう。何も出来ないというのは歯がゆいですね。

じゃバイバイ(^-^)/
コメント
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