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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

<竹中平蔵前総務相>福井日銀総裁の後任に..?

2007年07月03日 22時55分30秒 | 格差社会と政治
[現代日本史]: 構造改革 官から民 郵政事業民営化

福井日銀総裁の後任になること「絶対にない」=竹中氏 (ロイター) 7月3日16時24分配信
【記事抜粋】 竹中平蔵前総務相は3日、日銀の福井俊彦総裁の後任になることはない、と述べた。福井総裁は来年3月に任期満了となる。 ◆ 同氏はシンガポールでロイターのインタビューに対し「私が総裁になることはない。絶対にありえない」と述べた。
[記事全文]

<みんな待ってる>
一度は 政治家として歩む 志を持ち、 国民大合唱(ブーイング)の中で 「郵政事業民営化」 も成立させた。 これから 力量発揮 と思いきや さっさと 政界を退いて、 いまも目立たぬところから 政官財界への エールを送る

国会での郵政民営化法審議中の約束をことごとく破り、 郵便局・ATM が必要な地方から早々に切り捨ててきた。

総務大臣在任中の成果は 「やらせタウンミーティング」 を 始め、 自分自身や身内への 血税バラ巻き政治。

郵便局業務の 組織移行の10月まで あと僅か、 参院選も迫る中で もう一度 国民の前に 姿を現して欲しいものだ。

HEIZO! COME BACK!! ( 戻って来てネ )

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<久間(元)防衛相>「核廃絶」 明言無しのまま 辞任表明

2007年07月03日 13時41分32秒 | 格差社会と政治
【現代日本史】: 戦争犯罪を反省しない日本 防衛省大臣 原爆容認発言

13時20分過ぎのニュースによると、 久間防衛大臣は安倍首相に 辞任 を表明し、 安倍首相は 了承 したとの久間氏の直接コメントを報道した。

<この期に及んでも..>
何が問題なのかを理解しておらず、この期におよんでも 『発言の真意が正しく国民に伝わらなかった』 と弁明する久間氏。

被爆者と国民をコケにしているのだろうか!? 原爆投下容認発言後の弁明を聞いても 一度たりとも 『核に反対』 の言葉は聞こえてきていない。 それでも 国民は誤解している と言うのだろうか!?

<安倍首相の責任、再び>
久間氏は 防衛大臣 を辞任したから 「もう許してやってくれ」 と、云うだろうか?。

与党(自民党・公明党)による強行採決で「国民投票法」が成立した。
目的は 政権与党(自民党・公明党)による 『 憲法九条 』 の改正である。

世界唯一の被爆国である日本が 『 核 』 に対するの明確な 日本の意志 を安倍首相は 日本国民と世界に向けて 明言しなければならない。

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<久間防衛相;安倍首相>長崎市長には 「核廃絶」 を明約するのか?

2007年07月03日 12時10分49秒 | 格差社会と政治
【現代日本史】: 戦争犯罪を反省しない日本 防衛省大臣 原爆容認発言

久間防衛大臣の 「原爆投下容認発言」 に対して、 長崎市長がその真意を問う為に 安倍首相との 直接対面 を待っている。

”久間防衛相の 訂正・謝罪 発言” および ”安倍首相らの説明” の中には、 原爆投下容認 について 否定するわけでもなく 久間防衛相の個性や話題の 説明に留まっている。

<安倍首相の名言責任>
国民が 安倍首相に要求しているのは 久間防衛大臣 に対する 「許してやってくれ」 発言ではない。

与党強行で「国民投票法が成立」し、 政権与党(自民党・公明党)による 『 憲法九条 』 が改正されようとしている中、 世界唯一の被爆国である日本(のリーダー)が 『 核 』 に対して 絶対拒否 として、 非核3原則 を堅持・遂行する気持ちがあるのか 、 あるいは (北朝鮮同様に )核兵器の自国開発・保有・使用 ならびに 他国への売却 を行う気持ちがあるのか等々、 いまこそ国民の前に 明確にするべき だろう。

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回想: 祖母を送った日(4) 『祖母の記憶』

2007年07月03日 03時19分12秒 | Weblog
[個人史]: 祖母、祖父母
※ 防衛大臣発言で 政府・与党(自民党・公明党)の動きも慌ただしいので さっさと 個人史記録を 稼いでおこう。

<訃報>
年明けの連休終盤の深夜に 突然襲った 身体中に走る激烈な痛み の中で、 祖母に 『 楽になれ 』 と勧めた翌々朝、 早朝に看護士が見回った時には 「すでに事切れていた」 と 横浜にも連絡が来た。

前年は、どうしても仕事を休めず 祖父の葬儀 には参列出来なかった。 今回の祖母の葬儀には間違いなく駆けつけるのである。 移動中の交通機関の中では 不思議と平安な安堵感に包まれていた。

叔父(長男)の自宅、仏間に寝かされた躯(むくろ)には 苦痛の表情もなく、 まるで ぽっかりと開いた口から 魂(Spirit) が抜け出ていったような様相だった。

戦前・戦中 と 貧困地方に対する国策で たくさん産んだ息子・娘(すなわち私の 叔父・叔母) が遺体に取りすがって 別れを惜しんでいたが、 私は横から 「もう、ここ(遺体)にはいないから!」 と、 叔母たちを笑わせていた。

<祖母の記憶>
いくら記憶をたどっても、 ゆっくり休む時があったのだろうか? と、思うほど 小さな体躯で 早朝から深夜までよく働いていた 祖母 だった。 皆で食卓についているときも ずっと台所で動き回り、 皆の食事が終わったあと ひとり オヒツ に残った米ツブをこそぎ落として食べていた。 学問があったわけでもなく忙しい中をヒマを見つけては 文字を書く練習をしていたようだ。(幼いときの記憶がある)

祖父は一族の長男として 教育は受けられたようだが、 人間的にまっとうな判断は 祖母のほうが格段に優れていた。

他人に媚びへつらうわけでもなく 生き方としてはむしろ 下手 なほうかも知れない。 だが いつどんな時にも決して 相手に対して 傲慢・不遜 に振る舞うことがなく、 毅然とした意思表示の中にも 親切(思いやり)がにじみ出る言動だから 皆から 敬愛 を受けるに相応しい 祖母 であったと思う。

 (続)

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