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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

<久間防衛相> 勇退が示す 日本政府の原爆投下容認

2007年07月04日 20時54分40秒 | 格差社会と政治
【現代日本史】: 戦争犯罪を反省しない日本 防衛省大臣 原爆容認発言 日米同盟

久間防衛相の辞任に伴い、 新たな防衛大臣として 小池氏 が就任した。

<納得できない勇退姿>
久間防衛大臣の退任に関わる 防衛省 関連の報道映像を見ていると 非常に腹立たしくなる。 英雄気分で退任挨拶をしていたようだ。

安倍首相が 現職閣僚による 原爆投下容認発言 に対して、 『罷免』 との強い意思表示をしないものだから 自主的退任(辞任) として、 戦後日本の 初代防衛相としての 栄誉を携えたまま 省職員の見送り(歓送) を受けながら 防衛省 を去った。

その報道映像は 一国民として見ていても 非常に腹立たしくなる。

全然 反省になっていない。 これで 退職金も出るならば もっと!もっと! 腹立たしい限りだ。

記録する。

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07/04 <活きている日米同盟>米特使、久間前防衛相発言を追認

<活きている日米同盟>米特使、久間前防衛相発言を追認

2007年07月04日 14時10分13秒 | 格差社会と政治
【現代日本史】: 戦争犯罪を反省しない日本 防衛省大臣 原爆容認発言 日米同盟

米特使“原爆で命を救った” (NHK) 7月4日 11時40分
【記事抜粋】前の(米国)国務次官で現在は核不拡散の特使を務めるジョゼフ氏が、3日、アメリカ国務省で行った記者会見で述べたものです。 この中で、ジョゼフ特使は、アメリカによる広島と長崎への原爆投下について「さらに何百万人もの日本人の命を奪うところだった戦争を終結させることができたというのは、ほとんどの歴史家が同意するところだ」と述べて、原爆投下によって結果的に多くの日本人の命を救ったという認識を示しました。 ◆ 原爆投下について日本とアメリカの認識の違いをあらためて際立たせる形となっています。 ◆ 長崎の被爆者で原水爆禁止日本国民会議の川野浩一副議長は「無理やり理由を付けて原爆投下を正当化しようとするもので、許せない発言だ。 こうして原爆投下を正当化するかぎり、ほかの国には核兵器を持たせない一方で、アメリカは『正義の核兵器だ』として持ち続けることになり、わたしたちが求めている核兵器の廃絶は実現できない」と話しています。
[記事全文]

<”敵”に攻撃されて朋友がピ~ンチ!>
久間氏発言に 日本国民は怒って立ち上がった。 ドロ沼化する 安倍政権・閣僚への(日本国民からの)風当たり。 日米同盟を結ぶ 米国は さっそく 日本政府・閣僚の 敵である 国民 を打ち倒すべく 米特使 が援護射撃をしている。

と、 いった風だ。

<政府・与党の ”敵” は国民?>
何の事はない 政府・与党(自民党・公明党)にとっては 日本国民自体が 自分たちの敵 であるようだ。

違うというなら、 安倍首相は早々に 米特使発言に 徹底反論 するだろう。
だが、 久間前防衛相が辞任を表明した昨日から 安倍首相の発言報道を見ていないようだが..。  首相ならびに 閣僚・与党(自民党・公明党)は いったいどういうつもりなのか?!

記録する。

回想: 祖母を送った日(5) 『告白』

2007年07月04日 03時13分38秒 | Weblog
[個人史]: 祖母、祖父母
※ 初代防衛大臣の辞任で、 庁から省に昇格早々 すっかりケチがついた 防衛省。 「終わりよければ全て良し」 の言葉もあるが 終わるどころか始まったばかりだ。 これからもつぎつぎ起こる 騒動 の連続。 さっさと個人史記事を増やしておこう。

祖父の遺影が飾られた仏間に その身を横たえている 祖母 の姿であるが、不思議と 哀愁 がない。 (最近NHKが放送した インカのミイラ 同様に 祖母の遺体は 死んでも尚 嫌忌(けんき)を感じさせないのだ)

<告白>
第一話で記した 祖母が老齢になって 唯一反撃に転じた相手が祖父 であるが、 実は 最後に祖母と会った時 のこと、 ”死んだ後の話” を聞いて すっかり安心した祖母は、 自分の息子・娘(すなわち私の叔父・叔母)が 場を外したとき、 私にこっそり告白した。

病院のベッドが隣り合っていた 祖父母だが、 若いときからの悔しさで 祖父の事は 相手にしていなかった祖母だ。 なのに、 いよいよ祖父も寿命を迎える頃 隣のベッドから 祖母に向かって 「ばあさん、愛してるよ」 と声をかけたのだと 嬉しそうに話したのだ。

<祖父の死にぎわ..>
むろん実の息子・娘(私の 叔父・叔母)は 夢でも見たのだろう と取り合わない。 だが、私は最初から祖母の話は信じた。
昔気質の 祖父 であり、 農業からリタイアし老齢に至って 妻から冷たくされる中 様々な事を振り返り 若かった時の事を思い出したに違いない。 なんとか自分の気持ちを伝えたかったが 気恥ずかしくてなかなか伝える機会がない。

祖父がいよいよ 自分の寿命を感じたとき、言いそびれて死ぬわけにいかない。 人生の一世一代の勇気を振り絞って 「愛してる」 と告白したのだろう。 と、私は考えている。

 (続)

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