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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

回想: 祖母を送った日(1) 『その一年前』

2007年05月12日 22時56分28秒 | Weblog
[個人史]: 祖母、祖父母

亡くなった私の 祖母 は小柄な体躯であって、老年におよんでも若いとき同様に活動的で実によく働く人物であった。 たった一人を除いては 誰に対しても 悪口は言わず親切で、 人生最後まで正直に生き、皆から愛されるひとだった。

除かれた たった一人 とは 老齢となり農家仕事が出来なくなってリタイアした後の祖父 である。
祖母が 「夫婦になってからいままで、ただの一度も優しくされた事はなかった」 と、 老後になってから反撃に転じたという何処にもありがちな理由からだ。

<社長室に訪問者?>
社内全フロアの一斉レイアウト変更を控えた数日前、 社長には就業時間を終えると早々に帰って頂き、 私はたった一人 社長室で 配線や配置等をどのようにしたものか検討していたときだった。

ガラス戸の向こうの パーティも出来る広いテラスに 人の気配を感じる。
すでに暗くなった戸外、 誰かが私の様子を(外から)伺っているのか? と思い テラスの様子を見るのだが まちがいなく誰もいない。 私は作業に戻るが やはり誰か人の気配を感じるのである。

何度確かめても 部屋にもテラスにも 社長室のあるフロアには 私一人しかいない。
「まさか! おばけか?!」 私ジョージィは小心者なので オバケは苦手だ。 背中に悪寒が走るが 作業を止めるワケにも行かない。 全部の電気を付け大声で歌いながら一通りの調査を終えて、そそくさと自分の席に戻った。

<帰宅の途中に>
夜遅くまで全フロアでの作業手順を検討し、その夜は相当早めの21時過ぎには帰宅した。
東急・東横線の最寄り駅を降り、 真っ暗な夜道をトボトボ歩いているときだった。 ポケットの携帯電話(PHS)が鳴った。

「もしもし、あのね、おじいちゃん亡くなったよ」 祖父母が老後の身を寄せていた遠方に住む従姉妹からだった。
『何時に亡くなった?』 と問うと、その時間はちょうど私が社長室に居た時間だった。 得体の知れないオバケとは違い、 祖父の魂(たましい)なら別に怖くもない。 「なんだ最後に会いに来てくれたのか」 と、とりあえずはホッとして納得した。

祖父も寿命を全うした年齢だから、 その夜は 祖父と私の思い出を振り返って 懐かしく想った。

(続)

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05/28 回想: 祖母を送った日(2)『見舞い』
05/12 回想: 祖母を送った日(1) 『その一年前』 ・・・ 本記事
02/02 [個人史]実録!昔の子育て、ミルクの代わりに..

<公的年金、ボロボロ厚労省> 柳沢厚労相 年金返上の理由

2007年05月12日 01時42分25秒 | 格差社会と政治
[公的年金]: 厚生労働省、不正ネタ2題

(1) 特殊法人が団体運営 飲食費に (NHK) 5月12日 0時9分
【記事抜粋】 厚生労働省が所管していた旧年金資金運用基金などの特殊法人の幹部が「年金福祉研究会」という名称の別の任意団体を運営し、業務に関連する住宅ローンの融資申込書などの販売で得た収入の一部を、職員の飲食代などに使っていたということです。 ・・(中略)・・ 厚生労働省は、この研究会が、1年間で最大4000万円余りの収入を得ていたことを把握しており、実態の解明を急ぐ方針です。
[記事全文]

低賃金・長時間労働に あえぐ 労働者を尻目に、 官僚らの 年金管理・運用術は オイシク てたまらない。

(2) <社保庁改革法案>「実態は隠れ公務員」と民主追及 (毎日新聞) 5月11日18時36分配信
【記事抜粋】 民主党は11日の衆院厚生労働委員会で、社会保険庁を非公務員型の日本年金機構に改組する社保庁改革法案について「機構職員の実態は隠れ公務員で、天下りし放題となる」と追及した。同機構の人件費が全額税金で賄われながら、形式的には民間人の位置付けのため、国家公務員の再就職あっせんを禁止し、新人材バンクに一元化する公務員制度改革関連法案の規制対象から外れるためだ。 ・・(中略)・・ 柳沢伯夫厚生労働相は「機構は民間手法の人事となる。民間では出向、転籍、再就職も選択されており、そうしたことに倣って人事が行われることはあり得る」と答弁。税と保険料を使って従来同様の業務をするにもかかわらず、天下り規制の対象ではなくなることを認めざるを得なかった。
[記事全文]

柳沢厚労相の 突然の 年金返上発表 が 一ヶ月前。 これらはまだ序の口で、 参院選前にも 厚労相辞任とセットで もっと出てきそうだ。

記録する。

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[憲法改正] 天皇と日本国民はなぜ大本営発表に騙されたか?

2007年05月12日 00時32分21秒 | Weblog
[歴史考メモ]: 戦争、憲法改正、天皇、日本軍、大本営発表

戦中に青年時代を送った人々と話をしていると 不思議な現象に遭遇する。

戦時中、 実際の戦場を経験した人々は その戦争の過ちを話してくれるのだが、 技術者やその家族など 軍需品を製造はしたが 実戦を経験していない人々は 「好景気」 に浮かれる日本の姿を話してくれる。

私の出身は 地方 だから、 戦中を生きた祖父母や両親は 不安な日々や物不足で大変だったと悲壮な戦争を話してくれていたが、 逆に、 東京や横浜などに住んでいた 富裕層や軍需企業関係者からは 「戦争の最後の時期だけが 大変だったが、 東京空襲の時には 事前に情報を得ていたから大人も一緒にいなかに疎開していたので 爆撃の様子は知らない」 と話してくれる。

どうやら 東京空襲で犠牲になったのは 富裕層、軍首脳部関係者とは無縁な 一般庶民 だけであったらしい。
戦中の日本は、 軍部や富裕層が集まっている首都圏と 遠く離れた地方とでは明らかな 格差 社会が存在していたようだ。

地方の人々の生活は貧しく 兵隊 になる事が なにより安定した収入を得る為の選択であり、 逆に、 資材や金が集まる中央(首都)の 優雅な暮らし振りは、 日本軍は勝っている と、信じられる 証 であったに違いない。

国の政治を握る 日本の中心地(東京)に 平和願望 の芽生える日など やって来るはずもないままに 日本は終戦を迎えた ようだ。

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