なまぬるい生活

エホバの証人 元二世のブログ

エホバの証人に一番足りないこと

2014年07月06日 09時38分39秒 | 一般記事

エホバの証人の方と話していて、なんでこんなに空しい気持ちになるのだろうといろいろ考えていたのですが、彼らが一番足りないことは「聴く力」だと思うんですよね。

僕が以前参加したセミナーでは「相手が話し終えるまで最後まで聞きましょう」という約束事がありましたが、意外にもそれができない人が多いように思いました。

エホバの証人もまさにそれで、相手がどういう思いで話しているのか、何に困っているのか、どうしたらこの人は幸せになるのか、というのは千差万別なのに相手の話をろくに聞かず「エホバの証人の型」に押し込もうとするからうまくいかないんですよね。

そもそも、相手の話をきちんと聞いて、問題を解決しようとするなら、エホバの証人と関わっちゃいけないんですけどね。


精神疾患を克服した理由

2012年09月09日 03時51分34秒 | 一般記事

完全に集会に行かなくなってから今年の8月で丸2年で、今では普段の生活で「僕がエホバの証人だった」ということを思い出すことはあまりなくなりました。

今ではエホバの証人に対して憎しみや悲しみと行った感情はそれほどなく、ただ「価値観の違う人たち」がそこにいて、「僕にとってはもう関係のない人たち」なんだ、と言い聞かせることにしています。

正直なところ、僕の人生を狂わせたエホバの証人という宗教団体が憎いです。できることなら親族には目を覚まして欲しいですし、ものみの塔の組織も崩壊して欲しいと思っています。

そんな無理なことを考えてもしょうがないですし、他人の人生に関わっていられるほど時間と気力がないんですね。

そんなわけで、このブログではエホバの証人だった頃の回顧録を気が向いたときに載せていきます。

今回のテーマは僕が抱えていた病気についてです。

現役の頃は、あまり自分のことを詳しく書いて特定されたら困るという気持ちがありましたが、現在は組織などどうでもいいことですので載せたいと思います。

逆に、僕のことをこのブログで特定できたという方は遠慮なくメールで連絡いただきたいです。「なまぬる君って○○さんでしょ?」ってね。

話が脱線しましたが、僕が初めに違和感を感じたのは中学生頃だったと思います。ある特定の場所で動悸がして汗が止まらなくなる症状でした。

最初は単なる緊張だろうと思っていましたが、高校に入り、電車やバスといった普通の人はなんとも思わない場所でその症状が起こり、エホバの証人の集会でも割り当てや代表の祈りでそのような状態のため、本当に悩みました。朗読の割り当てのときは途中でトイレに駆け込んだこともあります。

あるとき、このような症状は病気であり、薬などで治すことができると知って精神科に駆け込んだのが23歳の頃でした。

「パニック障害」だと思って受診したところ、「社会不安障害(社交不安障害)」と診断されました。

それから何年も病院に通い薬を飲み続ける生活を送りましたが、状況は何も変わりませんでした。

定期的に飲む薬、そして不安なときに飲む薬、と今から思えばかなりの薬漬けになっていたと思います。

軽度ではありましたが鬱状態も併発し、長年勤めていた仕事を辞め、気分転換にと巡回監督に勧められた会衆に移動してみたりもしました。巡回監督や長老のアドバイスや「励まし」は逆に症状を悪化させました。

薬の量を変えたり、カウンセリングを受けたり、漢方薬を試したりといろいろやりましたが当時は結局治ることはありませんでした。

そんな状況でしたが、僕がエホバの証人の教えを信じなくなり、奉仕や集会をさぼるようになり、仕事に没頭するようになってから不思議とこの症状は出なくなったんですね。

薬の量を徐々に減らし、完治したと診断されて薬を飲まなくなってからしばらく経ちますが今のところ一度も同じ症状は出ていません。

体を動かすようになったことや販売業に転職したことなども理由の一つかもしれないですが、宗教を信じなくなったことが病気を克服したことの大きな理由だと思います。

このようなわけでエホバの証人に戻ることは一生ないでしょうし、どこか他の宗教に属することもないでしょう。

エホバの証人の中では鬱病を初めとする精神的病に悩んでいる人が多いように思います。もしかしたらこの人たちもエホバの証人と関わるのを辞めれば克服するのかな、なんて思うこともありますが僕がそう思ったところでどうにかできる問題ではなく、もどかしく思っています。


SAKURAさんへ

2012年03月29日 01時24分55秒 | 一般記事

前回のブログ 2012年エホバの証人の「主の記念式」でSAKURAさんからコメントをいただいたのですが、ちょっと長くなりそうですので新規投稿で返信します。

聖書研究をしている段階ということでまだそんなに言われてないかもしれませんが、この組織は外部からの情報を遮断しようとします。

といっても物理的に遮断するわけではなく、「背教的な内容」つまり組織に少しでも批判的な内容はすべて避けるように警告するんですね。

エホバの証人だけが唯一エホバ神によって導かれている組織であり、今が終わりの日の最終部分なので、悪魔サタンが吠えるライオンのようにエホバの証人の思いを腐敗させようとやっきになっている、なんて教えられます。特に最近では大会や雑誌などで盛んにインターネットの情報に気をつけるように言われてますよね。

なので、こういうブログを見てしまったあなた、もう背教者の仲間入りです。

なんて冗談ですがさまざまな情報に触れ、バランスの取れた見方をすることが大切だと思います。

この組織に染まってしまうと、おっしゃるとおり 良いことがあると「エホバのおかげ」、都合の悪いことはすべて「サタンのせい」という二極化になってしまいます。

この組織こそ真の生き方であるため、これに反対するご主人のことをサタン呼ばわりするわけです。

そもそも、聖書研究を始めたきっかけはなんでしたか?

子供の教育のことで悩んでいるとか、なにか心にスキマがあったのではないでしょうか?

家庭聖書研究で「聖書」のことをよく理解できていますか?書いてあることをそのままオウム返しするだけで学んだ気になっていませんか?

教えられていることが本当に心に到達するような内容であれば、「信じるということの意味」なんて考えなくても信じることができるはずです。

ご主人のことを愛していますよね?ご主人もあなたのことを愛しているはずです。

家で待っているご主人の気持ちを考えたことありますか?あなたがエホバの証人になったら、子どもが学校で直面する問題について考えたことがありますか?

この組織に染まってしまうと、思考が停止してしまい物事を考えるということができなくなります。大げさに言っているのではありません。マインドコントロールというのはそういうことなんです。

「時々、??と思うこと」、そう思うことがあるということはまだ正常な思考回路がある証拠です。その感覚を大切になさってください。

僕自身がとてもつらい思いをしており、失った時間をとても残念に思っているわけですが、このように子どもを抱える方が犠牲になりかけているのを見ると黙っているわけにはいかず、このような記事を載せてしまいました。  

これ以上犠牲者が増えて欲しくない、そんな気持ちを分かってもらえたらうれしいです。


2012年エホバの証人の「主の記念式」

2012年03月22日 23時20分31秒 | 一般記事

2012年主の記念式

去年も載せましたが、今年も主の記念式がありますね。

2012年は4月5日の木曜日に行われます。

野外でビラを配り、そして普段集会に来ない「未信者」も呼んでとにかく出席者数を増やすよう「励まされている」んじゃないでしょうか。

この、JWがよく使う「○○するよう励まされている」という言葉、すごく嫌いです。誰がそんなことを言っているのでしょうか。

エホバ?統治体?日常的に主語が省かれていることが嫌いなんです。

ま、そんなことはどうでもいいのですが、数を増やすことにどういう意義があるのでしょうか。

そして、そういう誘いに応じる未信者の気持ちもよく分かりません。

暇つぶしに、とか「なにか御利益があるかもしれない」とか「関心はないけど妻が喜ぶので」みたいな感じでしょうか。

記念式と言えば、イエスの死を静かに記念するというよりは、祭りにでも来ているかのような服を着る人がいるんでしょうね。

そんな彼らを見てみたい方は、お近くの王国会館へお越しください。皆さんのおいでを歓迎します。


2011年 エホバの証人の総計

2012年01月06日 23時57分56秒 | 一般記事

2011年 総計

毎年恒例の、「全世界の記念式で表象物にあずかった人の数」を取り上げたいと思います。

実家に行ってこっそり年鑑をスキャンしてこようかと思っていましたが、「世界的な組織を持つ エホバの証人」に年鑑が載っているではありませんか。

この「世界的な…」のタイトル、なんか変な日本語だといつも思うのですが直訳じゃなきゃだめなんでしょうか。

で、今回は去年に比べて 622人増加の 11,824人だそうです。  リストとグラフ

以前、現役信者の親に 減るはずの「油注がれた残りの者」がなぜ増えているのか聞いたことがありますが「終わりの日が近く、期待が高まるにつれて勘違いしている人が増えているのでは?」と意に介さない様子でした。

こんな都合良く解釈してくれる信者がいるおかげで今後も組織は安泰でしょうか…

信者の数は伸び悩んでいるようですけどね。


2012年 今年もよろしくお願いします。

2012年01月01日 00時00分00秒 | 一般記事

新年あけましておめでとうございます。

(元日に掲載しそびれたので、投稿日時を1月1日にして載せています)

2011年は仕事で始まり、仕事で終わった、ただそれだけで過ぎてしまったような、そんな普通の 1年でした。

なかなか世に溶け込めず、かといってJWに戻る気は全くなく、なまぬるい生活をいまだに続けています。

でも、今年こそはプライベートも充実したいなぁ、と切実に思っていますので、少しでも前に進められるよう、というより始められるよう、努力します。

2011年はあまりブログを更新できなかったので、今まで触れなかった僕の生い立ちや経験を載せたいと思っています。

そんなわけで、今年もよろしくお願いします。


顕正会の方からコメントが来ました

2011年07月22日 03時55分17秒 | 一般記事

以前、顕正会の方から電話が来たことをブログに載せたのですが、そのときに顕正会の方からコメントをいただいたので、今さらながら突っ込んでみたいと思います。


その記事は、しつこい勧誘はやめて欲しいこと、一方的に遣り込めるような話し方は不愉快であることといった内容です。
そして、不安を煽って信者を獲得する方法はエホバの証人と一緒だとまとめています。


このような内容や他の人のコメントはスルーして、その方によると「安心して良い団体」なんだそうです。
安心して良い団体が、強引な勧誘をするでしょうか?傷害や監禁で逮捕される信者がいる団体が安心なのでしょうか?

その前のブログのコメントに載せましたが、信者は「事件をでっちあげたり、イメージを悪くする策略」を行っているのが創価学会の仕業である、と刷り込まれているようです。

エホバの証人は良いことがあれば「エホバのおかげ」と考え、何か悪いことがあるたびに「終わりの日のしるし」「サタンの仕業」と考えることがありますがそれと似た傾向でしょうか。


ブログを見てみたら、自販機の下から100円が出てきたことを功徳だとか(功徳ではなくネコババでしょ)、安くリフォームできたことが功徳だとか(単なるクレーマーにしか見えない)、火事にならずに済んだことが功徳だとか(あまりにも電気の知識がなさすぎる)、結局何でもありなんだなぁとある意味で感心してしまいました。

自分たちのことは棚に上げて、真言宗が邪教な理由なんて書いているのも、エホバの証人が自分たちのことを「真のキリスト教」、キリスト教会のことを「偽りの宗教」と批難しているのと似ていますね。

こういう人って、こちらが何を言っても分からないでしょうね。
エホバの証人もそうですけど、マインドコントロールされている人は何かのきっかけがないと目を覚ますことは難しいでしょう。

こちらにコメントを書いてくれたお礼に、あちらのブログにもコメントを残そうと思ったのですが、残念ながらコメント欄がありませんでした。
やはり一方的に話をするのが好きなんですね。


JWのオフ会に参加してきました。

2011年07月19日 04時21分51秒 | 一般記事

以前のブログで参加表明していた、JWオフ会に行ってきました。

以前、ある兄弟と東京で食事をしたことがありましたが、大規模なオフ会に参加するのは初めてでちょっと緊張していました。

2008年から laodicea(ラオデキア)というハンドルでこのブログを始めていますが、途中から「なまぬるさん」や「なまぬる君」と呼ばれるようになり、メールや一部のページTwitter では「なまぬる君」と名乗っておりました。

今回オフ会に参加するにあたり「なまぬる君」で申し込んだのですが、受付の女性に「なまぬる君です」と名乗るときやそう呼ばれたときはなんだか恥ずかしかったです。

ブログを何年もやってるんだし、読んでくれている人も多いだろうし、今さら僕のことは話さなくても分かるだろうな、なんて勝手に思っていたのですが、50名近く集まった中でこのブログを見たことがある人は数名でした。

数名ではありましたが見たことがある人と直接お会いでき、中にはあの記事がおもしろかったと具体的に感想を言ってくれた人がいてうれしかったです。

知らない人がいたのでここで説明しますと、このブログや Twitter で使っているアイコン「俺らこの世さ行ぐだ」は「俺ら東京さ行ぐだ」のパロディーで、IKUZOのリミックスが大好きであることから勝手に使用しております。最近のお気に入りは「ミスター IKZO」や「今夜はブギーバック」です。関連動画も観てみてください。

皆さんとは初めて会ったにもかかわらず、昔から知っているかのようにごく自然に会話することができました。

「このまま集会にいても全く違和感ないな」というエホバの証人っぽい雰囲気の方や「この格好で大会にいたらすごく浮くだろうな」という方までいろいろなタイプの人たちが集まっていましたが、話してみるとみんないい人たちばかりで、エホバの証人が抱く「背教者」というマイナスイメージは微塵のかけらも見られませんでした。

エホバの証人は自分たちを中心に世界が回っており、「自然消滅した人=霊的に弱い人(ときに精神病扱いも)」、「断絶した人・罪を犯した人=危険な背教者」という図式ですから、この組織を「卒業」という考えは一切ないんですよね。組織を卒業した人たちがこんなに生き生き人生を歩んでいる様子を現役のエホバの証人に知ってもらいたいです。

2次会では、「エホバの証人の子どもたち」の著者、秋本さんとお話しすることができました。知らずに前の席に座り、話してたら著者だと知り「買いました!すごく読みやすかったです!」って妙にテンション上がってしまいました。このブログでは 1度だけ引用したことがありますが、この本はエホバの証人の子どもがどういうことを考えているのかをありのままを綴った、とても読みやすい本です。エホバの証人の親にぜひ読んでもらいたい 1冊です。

時間に限りがあり、全員とお話しすることはできませんでしたが、とても有意義な時間を過ごすことができました。

またこのような機会があればぜひ参加したいと思います。


まもなく 2011年 夏の地域大会です

2011年07月12日 14時06分12秒 | 一般記事
2011年 地域大会 招待ビラ表 2011年 地域大会 招待ビラ裏

今年の夏も毎年恒例、エホバの証人の地域大会が開催されます。

そして毎年恒例の、招待ビラを配るキャンペーンも行われているようで、そのビラによると今年のテーマは「神の王国が来ますように!」だそうです。

招待ビラの内容からすると、地球はこのままでは滅んでしまう、だけどエホバの証人になればまもなく訪れるパラダイスで生活できるといったプログラムが主体だと思います。

特に今年は大震災が発生したので、これぞ世の終わりのしるしだ、まもなく楽園が訪れる、といつも以上に世の中の不安につけ込んだ内容になるはずです。

招待ビラにこんなメッセージが書かれています。
エホバの証人の地域大会が今年も3日間にわたって開催されます。
「神の王国が来ますように!」というのが大会全体のテーマです。
日曜日午前には,上の問いに答える講演がなされます。
地球全体はまもなくパラダイスへと変えられます。
あなたやご家族がそこで生活するにはどうすればよいでしょうか。

この内容によると「地球全体はまもなくパラダイスへと」変えられるそうです。

niseingさんのブログ「まもなく」をもう使うなの記事でも取り上げられていますが、「まもなく」という言葉をどういう意味で使っているのでしょうか。

goo辞書によると「時間がさしてたたないさま。」という意味で、その使い方を見ても「まもなくパラダイスが来る」と何十年も前から言い続けている組織は相当な嘘つきだということになりますね。

そもそも、「その日と時刻についてはだれも知(らない)」のですから、「まもなく」とあたかもすぐに「その日」が来るかのような表現は適切ではありません。

いつ来るのかわからない先のことや、何十年経っても実現しないことを「まもなく」というのであれば、エホバの証人の訪問にも「まもなく」という言葉で返してあげましょう。
インターホン越しに話しかけられたら、「まもなく玄関のドアを開けますので待っててください」と言ってずっと待たせてみてはいかがでしょうか。


ちなみに、大会のスケジュールは公式ページ世界的な組織を持つ エホバの証人の「検索」から確認することができます。

法定速度を守らないエホバの証人

2011年07月08日 01時48分57秒 | 一般記事
以前の記事に引き続き、現役時代に疑問に思っていたことを書きます。

これもまたエホバの証人Q&A「法を守る善良な市民だって?」に僕が言いたいことがそのまま載っていますのでそちらを読んでいただきたいのですが、僕の回りの人間も法定速度を大幅に超えるスピードで運転する人が多かったように思います。

中にはレーダー探知機を設置する人もいるほどです。
うちの会衆でも奉仕の僕や開拓者という、模範的な行動をするべき立場の人たちが取り付けていました。

一般の運転手で法定速度を守っている人がほとんどいないのは確かですが、交通法規がある以上、法を守ると豪語するエホバの証人が平気でスピードを出すのはいかがなものでしょうか。
しかもレーダー探知機を設置するというのは、自ら「スピード違反をしますが捕まりたくはありません」と言っているようなもんだと思います。

こういう人たちって、長老や巡回監督を乗せたときだけ安全運転なんですよね。
結局エホバ神が見ているかどうかなんて関係なく、捕まらなければそれでいい、長老に注意されなければそれでいい、そんな考えなんだと思います。

法を守る必要があると思っているのか、守らなくてもいい法律があると思っているのか、どういう基準なのか聞いてみたいもんです。