さて、ハパ・ハオレです。
ハパ・ハオレというのは基本的に英語詞の曲およびそれに合わせて踊るフラのことです。
これまた人によって定義が違いますが、私は取り敢えずハパ・ハオレを「英語で・白人の立場から書かれた作品」と考えて話を進めました。
つまり、有名なところでは「ブルーハワイ」や「ラブリーフラハンズ」、「パーリー・シェルズ(真珠貝の歌)」などですね。
ハパ・ハオレは一見アウアナと同じようですし、むしろ英語な分ハワイ語より分かりやすくていいなあ、というのが大方の印象ではないでしょうか。
しかし、ことはそう簡単ではないのです。
先ず第一に、これらの曲はハワイアンのフリをしていますが、ハワイの伝統には即していないという批判がしばしばなされます。
たとえば、ハパ・ハオレによくみられるストーリーとして、「ハワイにやって来た白人男性が現地人のあたたかいもてなしを受け、美しい自然や青い空と海に癒され、エキゾチックなハワイ美女と恋をする」などというものがありますが、こんな情景は本当のハワイ文化にはないのです。
ここで描かれている自然もロマンスも傍観者たる白人にとってのそれであり、自然に対する畏敬の念はまったく含まれていませんし、恋愛もハワイアンの価値観とはだいぶ違う様式です。
しかも、これを作っているのが白人であるということが、もうひとつの問題点です。
ハパ・ハオレ音楽全盛期当時、ハワイ文化の当事者であるべきハワイアンは白人たちによって過酷な運命にさらされていました。相次ぐリゾート開発で地価が高騰したため、家を追われるハワイアンも多かったそうです。その一方で白人たちは、サトウキビ農場や観光業から巨万の富を獲ていたという訳です。
したがって、ハパ・ハオレが歌っているような「楽園ハワイ」の住人は白人富裕層だけでした。そのうえ彼らはハパ・ハオレを世界中でヒットさせて「楽園」のイメージを喧伝することによって、さらなる財産を築いていたのです。
こんな経緯をきくと、思わずハパ・ハオレが嫌いになりそうですよね。
でもちょっと待ってください。誕生の事情はどうあれ、ハパ・ハオレにもいいところがあるんです
ということで、ここから先が私の主張です。
まず、ハパ・ハオレブームの頃、ハワイアン音楽やフラは冬の時代だったことを考える必要があります。そんな時代にもハパ・ハオレという「需要」があったために多くのハワイアンがフラを踊り続け、彼女達はのちに有名なクムフラとなっていきました。
そう考えると、ハパ・ハオレもフラの歴史の一端を担っており、今日のフラに欠かせない要素の一つであるといえるのです。
次に、ハパ・ハオレには確かに怪しい歌詞のものもありますが、もっとハワイ文化やフラを真摯にとらえた白人による作品も多いのです。
(例として本文では「ラブリーフラハンズ」と「ワイキキ」を挙げています。)
そして、ハワイ語を全く知らない人にもたらす効果も期待できます。
フラを知らない人や初心者にとって、ハワイ語は全くわけがわからない言語であり、「歌詞の意味を動きで表現している」と聞いてもピンと来ないと思うのです。
でも、ハパ・ハオレの英語に合わせて踊ればそのことがよく理解できるし、初心者もどの動きが何をあらわすのか覚えやすくなります。
そんなわけで、むしろ真剣にフラやハワイ文化を学びたいと思う人こそ、ハパ・ハオレ音楽やフラをその歴史とともに学んでおくべきであると主張して、第2章が終わります。
っああああ~~~終わったぁ
ううう、でもまだ肝心の「第3章:考察」がある....
いましばらくお付き合いくださいませ。
ハパ・ハオレというのは基本的に英語詞の曲およびそれに合わせて踊るフラのことです。
これまた人によって定義が違いますが、私は取り敢えずハパ・ハオレを「英語で・白人の立場から書かれた作品」と考えて話を進めました。
つまり、有名なところでは「ブルーハワイ」や「ラブリーフラハンズ」、「パーリー・シェルズ(真珠貝の歌)」などですね。
ハパ・ハオレは一見アウアナと同じようですし、むしろ英語な分ハワイ語より分かりやすくていいなあ、というのが大方の印象ではないでしょうか。
しかし、ことはそう簡単ではないのです。
先ず第一に、これらの曲はハワイアンのフリをしていますが、ハワイの伝統には即していないという批判がしばしばなされます。
たとえば、ハパ・ハオレによくみられるストーリーとして、「ハワイにやって来た白人男性が現地人のあたたかいもてなしを受け、美しい自然や青い空と海に癒され、エキゾチックなハワイ美女と恋をする」などというものがありますが、こんな情景は本当のハワイ文化にはないのです。
ここで描かれている自然もロマンスも傍観者たる白人にとってのそれであり、自然に対する畏敬の念はまったく含まれていませんし、恋愛もハワイアンの価値観とはだいぶ違う様式です。
しかも、これを作っているのが白人であるということが、もうひとつの問題点です。
ハパ・ハオレ音楽全盛期当時、ハワイ文化の当事者であるべきハワイアンは白人たちによって過酷な運命にさらされていました。相次ぐリゾート開発で地価が高騰したため、家を追われるハワイアンも多かったそうです。その一方で白人たちは、サトウキビ農場や観光業から巨万の富を獲ていたという訳です。
したがって、ハパ・ハオレが歌っているような「楽園ハワイ」の住人は白人富裕層だけでした。そのうえ彼らはハパ・ハオレを世界中でヒットさせて「楽園」のイメージを喧伝することによって、さらなる財産を築いていたのです。
こんな経緯をきくと、思わずハパ・ハオレが嫌いになりそうですよね。
でもちょっと待ってください。誕生の事情はどうあれ、ハパ・ハオレにもいいところがあるんです
ということで、ここから先が私の主張です。
まず、ハパ・ハオレブームの頃、ハワイアン音楽やフラは冬の時代だったことを考える必要があります。そんな時代にもハパ・ハオレという「需要」があったために多くのハワイアンがフラを踊り続け、彼女達はのちに有名なクムフラとなっていきました。
そう考えると、ハパ・ハオレもフラの歴史の一端を担っており、今日のフラに欠かせない要素の一つであるといえるのです。
次に、ハパ・ハオレには確かに怪しい歌詞のものもありますが、もっとハワイ文化やフラを真摯にとらえた白人による作品も多いのです。
(例として本文では「ラブリーフラハンズ」と「ワイキキ」を挙げています。)
そして、ハワイ語を全く知らない人にもたらす効果も期待できます。
フラを知らない人や初心者にとって、ハワイ語は全くわけがわからない言語であり、「歌詞の意味を動きで表現している」と聞いてもピンと来ないと思うのです。
でも、ハパ・ハオレの英語に合わせて踊ればそのことがよく理解できるし、初心者もどの動きが何をあらわすのか覚えやすくなります。
そんなわけで、むしろ真剣にフラやハワイ文化を学びたいと思う人こそ、ハパ・ハオレ音楽やフラをその歴史とともに学んでおくべきであると主張して、第2章が終わります。
っああああ~~~終わったぁ
ううう、でもまだ肝心の「第3章:考察」がある....
いましばらくお付き合いくださいませ。