フジテレビで4夜連続オムニバスドラマ『卒うた』というのをやってました。
卒うたというからてっきり卒業関連の話かと思ったら、ほとんどの話は卒業とは関係なくて拍子抜けしたので、代わりと言っちゃァ何ですが、今日は私事で恐縮ながら、自分の卒業関連のお話です。
幼稚園
正確には「卒園」ですね。
3歳より前の記憶から豊富に取り揃えている私ですが、残念ながら卒園式の記憶はほとんどありません。
唯一覚えているのは、式のために来てくれた我が母と祖母(@キメキメ)を見て、「やっぱ浮いてるなぁ」と思った事くらいです。
当時のモードな服装といえば昨今ようやくひと巡りして戻って来たスーパーショルダー(例:全盛期のマドンナ)で、私の家族がキメキメと言ったらもちろん、その辺の流行はガッチリおさえているわけです。
つまり、場所がデスコ(当時)なら大いに結構ですが今市市(当時)の一般市民用の幼稚園では浮いています。
そんな事を他人事のように言っている私自身、ろくな格好をしていたはずがありません。
何しろ私の私服はみなメゾピアノ(※今日のFKDで売っているような大人しい代物を想像してはいけません)やシャーリーテンプル謹製のコスプレのような物ばかりで、そのあまりの壮絶さに、私が教室に引き蘢ってお絵描きとか読書ばかりしているのは、親から服を汚すなと命じられているせいだと思い込まれていたほどです。
そんな派手な服装とは裏腹に、当人は至ってヲタクな幼稚園児だったんですけどね。
私が卒園式の事より鮮明に覚えているのは、卒園文集の私に関する記述に、著しい改竄が行われていた事です。
まぁ、この改竄の内容については語りだすと長くなりますので、別の機会に譲りましょう。
小学校
上部にあるのは、実を言えば小学校の卒業式の写真です。
なにゆえハンドサインがOK牧場なのかは若干理解に苦しむところです。
ウチの小学校は、中学の制服じゃなくて好きな格好で卒業式に出られたんですね。
着ているのはインゲボルグのジャケットです。
もちろん、そんな気の利いた物を私が選ぶわけはなく、マミちゃんの勧められるままにコレと黒のプリーツスカートを着ました。
マミちゃん本人は卒業式のために一人で新宿の京王デパートに行き、シャーベットのようなオレンジのドレスと白いタイツとエナメルの靴をセルフコーディネイトして買ったというのですから、この違いは何なのでしょう。
まぁそれはともかく、幼稚園の事はよく覚えていませんが、小学校の卒業式では先生も児童も皆さんやたら泣いていたのが私の印象に強く残りました。
「卒業式で泣くこと」と、「新婦友人が結婚式で泣くこと」は、私にとっての二大ミステリーです。後者に関しては、もしかして大事な友達が(こんな)男に盗られるのが悲しいのかなと思っています。
泣くのは不思議ですが、私にも学校への愛着はあったため、卒業後も小学校には何度か訪れました。
あと、小学校の卒業式って、「仰げば尊し」じゃなくてスピッツの歌とか歌ったんですよね。随分ナウいことするよなぁ、と感心した記憶があります。ってかナウいって。
中学校
歴代卒業式の中で一番嬉しかったのが、中学の卒業式でした。
なにせ私は、ここを卒業したら地元を(というより地元の同窓生から)離れ、宇都宮の高校に行くことが決まっていたのですから。
高校は県内各地から集まるマンモス校で25クラスもあるので、同窓生と同じクラスになる確率はほぼゼロ。これを機に私は、中学までの自己顕示の激しい生き方から「卒業」し、高校では黄門様のような隠居生活を送ろうと、固く決心していたのです。
中学時代の私は非常に暑苦しいキャラで、お昼の放送に出たり、授業中に発言しまくったりしており、それは好き好んでやっていたのですが、そういう生き方は大変なストレスも伴うため、ほとほと嫌気がさしていたのです。
特に中学は、好き勝手な生き方をしている人間を放っておいてくれる環境ではなかったものですから。
幼稚園から小学校、中学校に至るまで異様に目立って(というか浮いて)いたため、今更そういうラムセスキャラを返上するわけにもいかず、返上したところで周囲の皆様が私の存在を忘れてくれるわけではないので、やり直すためにはもう誰も私のことを知らない場所に行くしかなかったんですね。
そんなわけで、とにかく嬉しくて楽しくてしょうがなく、カナダ人の英語の先生が回すビデオカメラに手を振り、晴れやかに歌を歌い、踊りながら学校横の桜並木を歩き(そういうコトするから奇人扱いされんだって)、それ以来二度とあの中学の門は潜っていません。
高校
隠居したかった高校なのに、あんのじょうそれは不可能でした(笑)。
しかし私はめげずに好き勝手なことをしており、丁度卒業の頃はアラビア語にハマっていたので、卒業式で使う楽譜のプリントの端にアラビア文字を書いて、卒業式の予行(何だかやたら何度もやった)の間じゅうそれを暗唱し、脳内で文字と読み方の一致をテストし、おかげで母音の補助記号(漢字のルビみたいなもの)さえあればすべての文字が読めるようになりました。
あと、この高校は将来プロを目指す人の本格的な音楽科があったため、卒業式の生演奏BGMが感動的に高レベルだったのが記憶に鮮やかです。
高校には卒業後一度遊びに行きました。一度しか行ってないのは、そのあと東京の大学に行ったり家業に身を投じたりするようになったためで、機会があればまた行きたいです。
幸い、私立高校なので当時お世話になった先生方がまだ何人もいらっしゃるようですしね。そこは私立高校の嬉しいところですね。
あ、大学の話を書くのを忘れるところでした。
でも大学の話はリアルタイムで書いていて、すでにそれをお読みになった方の耳にタコができてしまうといけないので、ここでは割愛します(笑)。
こうして並べると、奇人ぶりがこんなとこにまで表出していてお恥ずかしいかぎりですが、もしかしたらインドのドレスで総代をやった大学の卒業式こそ、一番奇人の本領を発揮していたかもしれません。前日の予行ではカエルのベルトをしていたしね(笑)。
そういう奇人を奇人のまま好きにやらせてくれていたところが、東京女子大の懐の深さなのでしょう。