私は考えます。
人という字は二本の足で大地に足をつき直立する姿の象形文字だと。
金八先生の言う「共に支えあう形」には反対です。
それは「人」ではなく「入る」です。
互いに依存しあう形です。
SEXの肉体面だけでなく、借金する金銭面、居候などのプライバシーまで侵害する生活面、常に人に頼って責任転嫁する精神面などがあります。
どこかで耳にしたことですが、人の先祖の猿はとても臆病でずる賢かったそうです。
生き残るために高い木に登ったりしました。
一部は大きな川辺に暮らし、敵が来たら川に逃げ込みました。
浮力で顔だけ出して立っていたことから立って歩けるようになり、手が自由に使えるようになり、道具を発明したのが始まりだと聞きました。
その象形文字が「人」なのではないでしょうか?
複数の人間が同じ道を歩むとき、まず、自立ありき!だと思います。
臆病でもいい。
ずる賢くってもいい。
元々そうだったんですから。
どんな手を使ってもいい、とにかく二本の足で自立しましょう。
それで初めて一緒になって一の力が二にも三にもなり、出来そうもないことが達成できるんだと思います。
人という字は二本の足で大地に足をつき直立する姿の象形文字だと。
金八先生の言う「共に支えあう形」には反対です。
それは「人」ではなく「入る」です。
互いに依存しあう形です。
SEXの肉体面だけでなく、借金する金銭面、居候などのプライバシーまで侵害する生活面、常に人に頼って責任転嫁する精神面などがあります。
どこかで耳にしたことですが、人の先祖の猿はとても臆病でずる賢かったそうです。
生き残るために高い木に登ったりしました。
一部は大きな川辺に暮らし、敵が来たら川に逃げ込みました。
浮力で顔だけ出して立っていたことから立って歩けるようになり、手が自由に使えるようになり、道具を発明したのが始まりだと聞きました。
その象形文字が「人」なのではないでしょうか?
複数の人間が同じ道を歩むとき、まず、自立ありき!だと思います。
臆病でもいい。
ずる賢くってもいい。
元々そうだったんですから。
どんな手を使ってもいい、とにかく二本の足で自立しましょう。
それで初めて一緒になって一の力が二にも三にもなり、出来そうもないことが達成できるんだと思います。
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