オーストラリア ヒロシのリタイヤ日記

1994年からメルボルン在住のヒロシです。留学後に現地で就職、国際結婚、2020年、55歳からリタイヤ生活。

ホームステイ先でのトラブル アドバイス3(最終回)

2023年07月20日 18時43分06秒 | 留学

今日も、ホームステイの話になりますが、、、最後ですので、ご辛抱下さい。

今回は具体的なアドバイスです。

トラブルになりがちなのが、、、お風呂。こちらでは、お風呂がある家でも実際には使わない事が多く、シャワーを使います。

お風呂は使わない方が無難です。というのは、、、理由が幾つもあって、、、

1.こちらは深夜電気温水器やガスなどで湯をタンクにお湯を貯める方式が多いです。なので、お風呂にお湯を一杯入れてしまうとタンクのお湯が無くなる可能性があるからです。なので、ホストファミリーとしても、お風呂は使って欲しくないと思っているでしょう。

2.  お風呂のフタがなく、追い炊き機能が無い。その理由は、皆が同じお風呂・お湯を使うという習慣がないからです。なので、お風呂に入っている内に、お湯がぬるくなってくるのです。仕方がないから、お湯を入れることになるので、ドンドン水面が高くなってしまいます。湯舟からお湯があふれてしまうと困るので、お風呂の栓を抜いて、ぬるくなったお湯を流すことになります。そうしているうちに、タンクのお湯には限りがあるので、蛇口から出ているお湯もだんだんぬるくなってきます。

3.  日本のお風呂のバスタブの横は洗い場になっていて、そこでまず、体にかけ湯をして汚れを落としてから、湯舟に入りますよね。こちらでは、バスタブの横は洗い場ではなく、排水溝も備わってはいないのです。それでお風呂を使うことになったら、、、くれぐれも、バスタブの横でかけ湯をしないで下さい。一応タイル張りにはなっていますが、お湯や水で濡らすことはお風呂場を痛めることになるので厳禁です。

4,バスタブの形状も日本の様な、肩まで浸かれる深い風呂ではなく、、、どちらかと言えば、寝そべって入るものです。なので、お腹ぐらいまでしか、水に浸かれません。これでは、温まることは出来ません。水の体積に対して表面積が大きいので、直ぐにぬるくなるのです。

この様に、オーストラリアのお風呂は使い勝手が非常に悪いため、、、使われることは殆どありません。

5, また、シャワーを使う時も、5分以内で済ますことが大切です。それは、瞬間湯沸かし器ではなく、タンク式が多い為、使えば使う程、お湯がなくなり、ぬるくなっていくからです。

よく聞く苦情なのですが、、、ホームステイに来た日本人が早朝から30分もシャワーをして、お湯がなくなってしまい、家族は水のシャワーをすることになったという、ことは良く聞きます。オーストラリアでも日本と同様に光熱費が高騰しているので、くれぐれも5分以内、出来れば3分迄の、短いシャワーを心掛けましょう。

6,  シャワーから出た後ですが、、、家族一人一人に専用のバスタオルが用意されていると思うのですが、、、使った後に洗濯機に放り込むことはしないで下さい。代わりに、服を乾かすところに掛けて、乾燥させ、何度も(多分一週間ぐらい)同じバスタオルを使うのが普通です。

日本では、水はタダ同然だと認識されていますが、最も乾燥した大陸であるオーストラリアでは、水は大変貴重なのです。その為、毎日洗濯する家庭は希で、大抵の家庭では、週に1度か2度、まとめて洗濯することが普通です。

その為、下着類は毎日着替えても、服やズボンなどの上着は毎日着替えることは希で、何度も同じ服を着るのが普通です。その理由は、こちらの気候は乾燥しているため、日本と違って、通常は夏でも汗をかくことがないのです。それで、2,3日あるいは一週間同じ上着を着ていても、汗で汚れず、臭くはならないのです。

最後に、トイレについてです。こちらのトイレはいかに綺麗なタイルが使ってあっても、日本の様な高性能トイレではなく、旧石器時代のトイレなのです。つまり、お尻を綺麗にする方法はただ一つ、、、トイレットペーパーを使うしかないのです。

生れた時から温水の出る洗浄便座が当たり前の国から来た日本の皆さんにとっては、苦痛そのものだと思います。トイレットペーパーで拭くだけでは、、、不潔感は、続くと思います。解決方法としては、朝、トイレに行ってからシャワーを浴びるか、ペットボトルなどに水を入れて置いて、トイレで洗い流すかです。

こちらの国の人が、どんなに美しい洋服を着ていても、お尻はそれ程綺麗ではないかもしれません。

それでは、明日も、このブログでお会いしましょう。

 

 

 

 

   

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ホームステイ先でのトラブル アドバイス2

2023年07月19日 16時12分56秒 | 留学

昨日はホームステイ先でいかに引き篭もりにならない様にするポイントを書きましたが、今日はオーストラリアのホームステイの現実的な実態を書きたいと思います。

まず、オーストラリアでホームステイをすることが決まった場合、ホームステイ先は白人のご家庭を連想する方が多いと思います。しかし、オーストラリアは世界中から積極的に移民を受け入れていて、特に、インドや中国などのアジアの国々からの移民が多いのです。(但し、日本からの移民は、人口の大きさから考えると、かなり少ないです。)

近年は中国系、インド系、ベトナム系、大洋州系など、様々な国からの移民がいますから、ホストファミリーも千差万別なのです。当然、家で話されれる言語も英語のみならず、移民のバックグランドの言葉も話している(バイリンガル)可能性は非常に高いです。

例えば、我が家では、日本語と英語の両方を話していますし、そのせいで、子供達は一応、バイリンガルに育つことが出来ました。メルボルン市内に住んでいる人に限って言えば、人口の46パーセントは英語以外の言語も話すバイリンガルで、4割は海外生れだそうです。オーストラリアでは、移民の文化や言語を尊重する政策(多文化主義政策)が政府の基本理念で、例えば、大学受験の外国語の試験もビクトリア州では31の言語から選ぶことができるのです。

この為、特に、シドニーやメルボルン、ブリスベンなどの大都市では、家では2か国語以上話している家庭が半数近くもあるのです。

ホストファミリーになる家庭は英語が主言語のことが多いですが、そうは言っても、家庭では他の外国語も話すことは珍しいことではありません。この点が日本人にとっては想像できないほど多いのです。最近では日本でも移民が多くなっているとはいえ、その数は10パーセントは超えておらず、殆どの日本の家庭では日本語を主に話しているのとは全く対照的です。

なので、ホームステイ先が、非白人であったり、白人であっても英語と英語の他の言語(イタリア語、ポーランド語、ロシア語、フランス語など)を話していると、ホームステイ先を変えて欲しいなどと苦情を言う生徒もいるそうですが、、、。それは、非常に人種差別的であると思うし、特にボランティアでホストファミリーをしてくれている場合は、その家庭を侮辱していると思うのです。

それでは、明日も、このブログでお会いしましょう。

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ホームステイ先でのトラブル 2 生活習慣の違い

2023年07月17日 10時46分37秒 | 留学

昨日に引き続いて、今日も日本の生徒がオーストラリアに短期留学で来て、ホームステイ先で起こるトラブルとその解決策を考えてみます。

今日のお題は生活習慣の違いから起こるトラブルです。

まず、一般的な日本の高校生の一日を考えてみましょう。大抵の高校生は、部活や塾などで家に帰るのが遅く夜の6時、7時、8時になることも多くのではないでしょうか。家族と、又は一人で晩ご飯を食べた後は、勉強部屋に籠って、進学校に行っている生徒は宿題をしたり、そうではない生徒は、宿題にはそれ程時間は使わず、代わりにビデオゲームをしたり、友達とラインなどのSNSをしたり、動画サイトやテレビを見たりするのではないでしょうか。

そして入浴後、就寝時間は深夜の11時又は12時ごろに寝るというパターンが一般的なのではないでしょうか。つまり、一般的な高校生は、家族との会話をあまりしないことが多く、親御さんも子供が勉強部屋に行って勉強していれば、それで安心だと考えているのではないでしょうか。

これに対して、オーストラリアの高校生の生活は日本人とかなり違っていて、まず、オーストラリアの高校では部活動がなく、もしスポーツがあって、通常より一時間ほど遅くなるのは週に一度だけなのです。下校時間は3時から3時半の間で、殆どの生徒はバスか車での送り迎えなので、帰宅時間は3時半か4時前後になり、、遅くても5時ごろ一迄には家に帰っているのが一般的です。

こちらの高校生が家に帰ったら、直ぐに宿題を始めて、夕食は、家族が一緒にすることが多く、その日に学校で会ったことを話したり、ニュースについて話したりします。夕食後は家族と団らんしたり、宿題があれば、宿題をするし、なければ居間でビデオゲームをしたり、読書をしたりして、のんびりと過ごし、就寝時間は日本より早くて、夜の10時ごろ迄に寝るので、十分に睡眠時間がとれます。それで、寝坊して学校に遅刻するなどということは珍しいのです。

この生活の違いは明らかで、日本人の生徒が日本での生活習慣をそのままオーストラリアへ持ち込んでしまうと、トラブルになるのは火を見るよりも明らかです。

一番の違いは日本の家庭での会話の少なさです。塾や部活で家に帰る時間が遅いので、家族は先に晩ご飯を済ませてしまっていることもあるし、お父さんは残業で帰るのが深夜近くしか帰らなかったり、折角、週末に家族揃って食事をする機会があっても、食事中はお喋りをせずに、黙って食べる家庭も多いのではないでしょうか。

この様に、今まで家族と話す時間や習慣がなかった日本の高校生がオーストラリアへホームステイに来ても、ホストファミリーと上手く過ごせるのかは、甚だ疑問です。自分の家族と会話のも出来ないのに、ましてや、会ったこともない他人の家族、しかも外国人家族と上手く話せるハズがないのです。しかも、相手は日本語が通じないのです。

日本人の生徒にとって、精神状態を平常に保つためには、まず、不慣れな環境から逃げることです。そして、ホームステイ中に良く知らない人達から逃げられる唯一の場所は寝室なのです。食事が済んだら逃げる様に、寝室に籠ってしまえば、次の日の朝まで、心の平常を保つことができるのです。

こちらの家庭では何処でもインターネットが繋がっていますので、持ってきたスマホで日本にいる友達とライン電話をしたり、日本で毎日していたビデオゲームをしたりして、日本にいた時と同じように深夜まで起きています。

しかし、これでは、何の為にホームステイに来たのか、分からなくなります。折角、生徒を受け入れてくれたホストファミリーにも大変失礼ですよね。ホストファミリーは皆さんを家族の一員として迎え入れてくれたのですから。

ホストファミリーは大きく分けて2種類あって、現地の業者があっせんして、お金を払っている所と、姉妹校が、生徒の家庭にお願いしてアレンジしているところがあります。残念ながら前者の場合は、報酬目的ですから、どちらかと言えばホームステイというよりは、宿泊施設に近いところもあります。ただしそんなホストファミリーでも、日本から来た生徒と出来るだけ交流して、こちらでの生活を楽しんで貰いたいと思ってホストファミリーになっているのです。

なのに、学校から帰ってきたら、直ぐに自室に閉じ籠ってしまい、食事の時間しか出てこないというのは、、、日本では普通の事なのでしょうが、こちらではかなりの異常事態なのです。

寝室は、こちらでもベッドルーム、つまり寝る為の部屋であり、基本的には寝る時以外は使わない部屋なのです。つまり寝る時間以外は居間、つまりリビングルームで過ごすことが普通です。日本では当たり前の立派な学習机はこちらには存在しないので、勉強は居間や台所で宿題を済ませることも多いのです。宿題の途中で、分からないことがあったら、直ぐ親に聞けるし、親も子供が何をしているかが分かるので、寝室に閉じこもって勉強するよりも都合が良いからです。

明日に続きます。

それでは、明日も、このブログでお会いしましょう。

 

 

 

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ホームステイ先でのトラブル 1、言葉の問題

2023年07月16日 20時16分40秒 | 留学

今日は、日本人の生徒が海外に行って、ホームステイをした場合、どんな問題が出てくるか、について書きたいと思います。

ホームステイをする場合は、その多くが1、2週間の短期留学が多く、小学生の高学年から、中学生、高校生、大学生が殆どではないかと思います。

僕は、以前、申し上げましたが、教育産業で働いて、日本からの留学生をお世話したこともあり、実際に日本人留学生がホームステイ先でトラブルになったケースを見てきたので、今日は僕の経験を元に、ホームステイ先で日本の高校生には、どんなトラブルがあり、どうしたら避けることができるのかを詳しく書きたいと思います。

まず、ホームステイ先でトラブルになる原因は2つあり、

1.言葉の問題から来るものと、

2.高校生の生活習慣の違いです。

では、一つずつ、詳しく見ていきましょう。

まず、言葉の問題です。日本の学校では、英語の会話を教えているわけではなく、文法や長文読解など、入学試験に合格するための、英語の読み書きが中心で、聞く練習にはそれほど時間を使わず、話す練習は一番時間が少ないです。この理由は、話す練習だけは、クラスで(出来れば先生と生徒が1対1で)練習することがほぼ不可能だからです。

つまり、生徒は学校では英会話を習わないのです。ここ20年程、外国人の補助教員も増えてきましたが、殆どの先生は、英文法や長文読解は教えられるが、英会話は苦手だというケースが多いのです。なので学校で生徒が英会話を習う機会は殆どないに等しく、生徒がホームステイや短期留学に不安があるのは当然だと言えます。

英会話力の欠如によって意思疎通ができなければ、ステイ先で英会話を楽しむことは不可能に近く、意思疎通が全くできない状態では、ホストファミリーも日本人の生徒も困った事態になるのです。

例えば、ホストファミリーが英語で、

「明日、学校は8時半に始まるから、朝、8時に車で家を出られるように、もし寝ていたら、7時に起こすから、寝る前に、明日学校に行く準備をしておいてね。」と言ったとしても、生徒が口をポッカリ開いていて、理解出来ていない場合、ホストファミリーは、生徒が時間通りに起きてくれるのか、学校に行く準備が出来ているのか、不安になりますよね。

生徒としても、「ホストファミリーのお母さんが今晩、私に学校について言っていたが、英語が速すぎて、何を言われているのか、さっぱり聞き取れなかった。」となり、不安になるのです。

ただ、ここ数年は、スマートフォンとアプリの出現により意思疎通がし易くなり、意思疎通の問題が少なくなっていることは事実です。スマホに言いたいことを言ったり、書いたりすれば、自動的にスマホが英語にしてくれたり、その反対にホストファミリーがスマホに英語で話せば、日本語にしてくれるアプリが出てきています。

ただ、アプリを使って日本語で意思疎通が出来ても、英語力の上達には繋がらないし、ホストファミリーと会話を楽しむには程遠いことになります。英語を使わず、アプリを使って、日本語で意思疎通を図って、不自由な生活をするくらいなら、高いお金を払ってオーストラリアにホームステイに来る価値があるのでしょうか。

それでは、ホームステイ先で有意義に過ごすにはどうすれば良いのでしょうか。それは勿論、アプリに頼らず、英語を話すことですよね。その為にホームステイに来たのですから、、、。ただ、ホームステイは1週間か2週間のことが殆どで、短期留学をして、英語がペラペラになることは、残念ながらありません。むしろ、今まで英語の成績が良かった生徒がこちらにホームステイに来て、期待したほど意思疎通が出来ず、却って自信を失くしてしまったというケースも少なくないのです。それは、英語の授業が英語の試験に合格する為の勉強だから、生徒が英語が話せないのは当たり前なのです。英語の先生ですら、英会話が苦手は人が多いのですから、、、。

日本人の中には、海外に行けば、自然に英語が話せるようになる、と勘違いしている人もいますが、、、それは海外の空気は英語が上手になる特殊な空気で、海外の空気を吸えば、自然に話せるようになる訳ではなく、海外では、英語を聞いたり話したりする環境が日本より身近にあるだけの事であって、その環境を上手く使えば、徐々に話せるようになりますが、ホストファミリーとアプリで日本語を使って話していては、何年も、何十年経っても英語が話せるようにはならないのです。

では、どうすれば良いのか、それはホームステイに来る前、出来れば数か月も前から、英会話の練習をしっかりすることです。でも、それは英会話の学校に行けということではなく、例えば、自己紹介の練習をして、暗記する。相手に質問が出来る様にする。自分の家族や趣味について話せるように練習する。それを暗記する。ホストファミリーについて、質問できるようにする。学校について、又は、科目について質問できるようにする。又は、自分で勉強している科目について、言えるようにしておく、好きなアニメや映画について、言えるようにする。そして実際に英語は通じるのか、誰か英語の出来る人か外国人に聞いてもらって、発音をチェックしてもらう。

会話中に分からない言葉が出てきたら、スマホの辞書で調べる、紙に書いて教えて貰う、などをすれば、徐々に上達していきます。ただ、1、2週間ではのホームステイでは英語力の上達を実感するには短すぎるのが現実で、上達というよりも、自分のコミュニケーション能力の無さ、英語力の無さを実感する機会だと捉えるべきです。また、英語が通じた時の喜びが実感出来れば、英語の自信にも繋がり、ホームステイは成功したと言えるのではないでしょうか。

それでは、明日もこのブログでお会いしましょう。

 

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オーストラリアでホームステイ

2023年07月11日 15時58分11秒 | 留学

今日は6時半起床。妻が仕事に行くので、自分だけ遅くまで寝ているのも悪い気がして、妻が起きると一緒に起きます。

この時期、外は未だ薄暗いので、7時半までヤフーニュースを読んでからジョギングをしました。その後でいつもの様に朝食のオートミールを食べたのですが、ブログの読者の方から、オートミールの食べ方について聞かれたので、今日はまず、オートミールの食べ方について書きますね。

まず、日本で売りに出ているオートミールの多くは、カルビーが出しているフルグラなど、既に味付けがなされている加工食品で、あまり健康的ではない気がします。僕もフルグラを食べたことがありますが、値段が割高な上に、小麦粉やトウモロコシ粉などを混ぜて作ってあるので、腹持ちが悪く体に悪そうです。

僕が食べる朝食はロールド・オーツといって、ローラーで潰されたオーツ麦です。混ぜ物は一切混入されていない自然食品で、牛や馬などの家畜の飼料にも使われるものです。これは、パンや白米に比べて非常に腹持ちが良いです。ただ、これに牛乳をかけても、味がついていないので、美味しくはありません。それで、この上に、干しブドウなどの細かくされたドライフルーツと、アーモンドなどのナッツ類をかけるのです。そして牛乳をかけ、冬場は電子レンジで、30秒ほど温め、生暖かくしてから頂きます。ドライフルーツの甘みと、ナッツの香ばしさが程よくマッチし、食が進みます。

この朝食は飽きのこない美味しさで、腹持ちがよくて、食後は5時間ぐらい空腹を感じないほどです。その上、和食の朝飯と違って、塩分が殆ど入っていないので、高血圧などが心配な方には特にお勧めです。

さて、今日は少し農作業、家庭菜園に、大根の苗を植えました。大根は庶民の味方ですよね。前にもここで書きましたが、豆やナスなど、実を食べる野菜と違って、大根はまだ小さくても、葉っぱが食べられるし、歯ごたえよく、色々な料理につかえるキャベツの様な万能野菜の一つですね。明日も天気が良さそうなので、ソラマメの種を植えようと思います。

昼ご飯には、キムチ玉子かけご飯と、インドネシアの代表的なインスタント焼きそば、ミーゴーレンに大根と大根の葉を入れて頂きました。

昼からは、いつもの様に、友達と話しながら近所の散歩。お喋りをしながらの散歩は時間が経つのが早いですね。そういえば、昨夜は親戚からラインがあり、高校生の娘さんが、2週間程の短期留学にオーストラリアに来ることになったそうで、親御さんはかなり心配されていました。

以前、教育関係の仕事をしていたので、僕なりのアドバイスを差し上げたのですが、日本の高校生はこちらのホームステイ先で問題を起こすことがよくあるのです。その多くは日本とこちらの生活の違いです。

日本の多くの高校生は、夕食後、各自の勉強部屋に籠ることが殆どだと思います。短期留学中にも宿題をしようとして、日本でしていた様にこちらでも寝室に籠ってしまうと、一体何の為にこちらに留学しに来たのか分からなくなります。実は、一か月こちらに来ていた生徒が最初から、寝室に引き篭もってしまい、ホストファミリーが手を焼いたことがあります。

僕が高校生にするアドバイスは、

1,寝る時以外は寝室に行かず、居間でホストファミリーと身振り手振り、辞書(スマホ)を片手にお喋りをする。

2,料理や食後の後片付けを積極的にする。(デザートなどを作って振る舞えると、更に喜ばれる)。

3,スマホで日本の友達や家族とラインで長時間チャットをしない。連絡事項があれば、手短に済ます。代わりに、こちらで作った現地の友達とチャットをする。

つまり、お客さんとしてホームステイするのではなく、家族の一員になれるように努力すれば、単なる宿泊先で終わらず、ステイが終わってからも、ホストファミリーと交流が続くのではないでしょうか。

それでは、明日も、このブログでお会いしましょう。

 

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子供達もコロナに感染 及び オーストラリア留学

2022年06月05日 15時48分04秒 | 留学

今日のメルボルンは朝から雨模様で、最高気温は13度程寒い冬の天気が続いています。2,3日前から喉の痛みを訴えていた21歳の娘と17歳の息子は今朝のコロナ簡易検査キット(RATテスト)で陽性反応が出ました。これで、今日現在、我が家では感染者が僕を含めて3人になりました。幸い妻は今の所、感染していないので、買い物や料理や後片付けは妻がしてくれています。

症状は僕が時々咳とくしゃみ、子供達は喉の痛みと鼻水です。検査キットがなかったら、普通の風邪だと思ってしまったでしょう。

今日は僕と子供達は朝から薪ストーブの前で、過ごし、このブログを書いたり、ニュースを読んだりしていました。妻はちょっと離れて、リビングの反対側で過ごしました。では、昨日の続きアメリカ留学のその後をお話していきます。

 

日本に帰ってきて、直ぐに近くの工場でアルバイトを始めました。米国の大学も卒業して帰ってきたのに、まともな就職先がないのは、両親にとって悪夢だったと思います。週末に、特に行く場所もなく家でゴロゴロしている僕を見かねた両親は「これからどうするの?折角アメリカで4年も留学して帰ってきたのに、何で日本で就職しんの?」と、とても不安げに聞いてきました。

以前ブラック企業で働いた経験から、「日本で就職するのはまっぴらだ。」と日本脱出を決意していました。日本で沢山の外国人が英語を教えている。その反対に、外国で日本語を教えられるのでは?と考え調べてみると、オーストラリアでは日本語教育を含めた外国語教育が盛んだということを知りました。

その頃、日本の大学時代のアメリカ人の恩師からの紹介で、日本語教育学会に来日中のオーストラリア人の教授と話す機会に恵まれ、「努力次第でオーストラリアで教育の仕事に携わることは可能。」と聞いて、メルボルンのモナシュ大学で応用日本語言語学の修士課程に応募をすることを決めました。

当時1990年代半ばの授業料は年に1万ドル(100万円)、プラス下宿代や食費が50万円程でした。幸い、貯金はまだかなり残っていて、翌年の2月の大学の授業が始まる前までアルバイトをすれば、2年程留学することができました。

翌年の2月、メルボルンで3度目となる留学生活を始めました。最初、戸惑ったのはオーストラリア訛の英語です。アメリカ英語にはない独特な言い回しや単語もあって、何を言っているのか分からないことがよくありました。それも、2、3か月でだんだん慣れてきましましたが。

このモナッシュ大学日本語応用言語学のコースは大学で日本語を教える講師の養成コースでした。ただその頃になると大学の日本語講師は飽和状態で、修士課程を終えたところで講師の空きがあるのかどうか不安な状態でした。しかも毎年10人程の日本人がそのコースをしています。講師として就職できる見込みは限りなくゼロに近い状態でした。それで、思い切って修士課程一年修了時に教員養成課程に編入することにしました。中高レベルなら教師の空きが多い(どうして空きが多いのかは後に仕事を始めて分かりましたが、、、。)し、当時大学院レベルのこのコースGraduate Diploma in Educationは一年で教員免許が貰えたのでした。

現地の中学高校(オーストラリアでは6年のセカンダリースクール)3校で合計10週間の教育実習を終えて、日本語及び数学の教員免許免許を取得し、翌年は念願が叶い田舎のセカンダリースクールで就職することができました。

赴任先の校長にビザのサポートをしてもらい、まず労働ビザ(Temporary resident visa)を取得、3年後には個人で永住ビザを申請して受理され、晴れてオーストラリアに永住権を取得しました。その直後に運よく友達のパーティーで今の妻となる人に出会い、今日に至ります。

ちなみに見出し写真は今日の薪ストーブ。ミカンやオレンジの皮はストーブで乾かすと部屋中にいい香りがして、乾くとよく燃えるので焚き付けに使えます。お鍋で温めているのは今日の晩御飯。妻が昨日作ってくれたチキン・カチトリという鶏肉と野菜の煮込みスープです。では、また明日、このブログでお会いしましょう。

 

 

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もう一頭の馬と2度目の米国留学

2022年06月04日 15時56分49秒 | 留学

今日は午前中は天気が良かったのですが、午後からは雨が降って、風が強いです。

昨日は馬のオーナーのシェイレンさんから連絡があり、友達が保護馬を買い取ったので、預かってもらえる牧場を探しているのだけど、牧場使用料は払うのでもう一頭、こちらで預かってもらえる?と連絡があったので、シェイレンさんの頼みともなれば、と承諾しました。これで今日から馬とポニー、合わせて7頭を預かることになりました。(見出し画像参照)

まあ、牛が牧場でなくて牛舎で飼えるのと同様で、理論的には馬だって干し草や配合飼料を十分に与えれば、少ない面積で、多くの馬を飼うことは可能なのですが、干し草の値段も馬鹿にはなりませんし、やはり馬は新鮮な牧草が大好きですから馬の数が多すぎるのも良くないのです。

さて今日の、もう一枚の写真は家の直ぐ前の畑です。広さは4X6メートルで、今、冬野菜を栽培しています。キャベツやブロッコリーは青虫にやられたので、ネットをかけましたが、あまり生育は良くないようです。(写真手前はそら豆)

では今回も昨日に引き続き、オーストラリア移住までの経緯の続きをお話していきます。

 

兼業農家の長男として生まれ、後継ぎ息子として期待され大学まで出してもらったのに、折角、新卒で入社した会社を一年半で退社してしまい、再びアメリカへ留学したいなどと、両親は呆れて物が言えない状態でした。

ただ、自分で貯めたお金を使っての留学計画だったので、両親はしぶしぶ承諾してくれました。

小中学校の頃は理科や科学が大好きだったのですが、高校では数学などの理系の科目が苦手になってしまい理系の大学に進めませんでした。それで「アメリカでもう一度、物理などの理数系科目に本気で挑戦したい」と専攻は物理にしました。

アメリカと日本の大学の違いですが、アメリカの大学では、社会人が大学に戻って別の資格を取ったり、一旦社会に出た人が、再び大学に戻って興味のある専門分野が学べるように、大抵の学部では初歩のレベルから学ぶことが出来ます。例えば数学を例に挙げると、日本の大学で数学科に入るなら、高校では数3の数学を履修する必要があると思います。これに対してアメリカでは、入学前に学生の数学の知識が高校一年生、或いは中学生のレベルであっても、大学で数学の勉強を始めて、数学科を卒業することが可能です。(その代わり、在学年数が延びるでしょうが、、。)

最近、日本では社会人や有名人の大学入学がニュースになることから分かるように、一旦社会に出た大人が若い学生に混じって大学に入るのは、まだ一般的ではありません。それに対して、アメリカの大学は高校の後の進学先というよりは成人教育の場という位置づけのようです。そのため30代や40代の生徒も少なくなく、大学の教室で赤ちゃんに授乳していたり、乳母車を押して大学に来たり、小さな子供がいる学生のために大学構内に託児所があったりは普通です。

さてこのオレゴンの片田舎の大学には僕の様に、授業料の安さに誘われて入学してきた発展途上国からの留学生が多くいて、ずば抜けて頭がよい学生に会えて大変刺激になりました。

この大学は4年で無事卒業できました。この時までで合計8年間大学に行ったことになります。渡米の飛行機の中では、当時の映画「Secret of my success摩天楼はバラ色に」の主人公の様に、アメリカで成功して、「日本には自分のジェット機で帰るぞ。」などと夢を見ていましたが、卒業後の帰国の便は格安のエコノミーだったのは言うまでもありません。いくら地方の大学の物理学科を優秀な成績で卒業したと言っても、仕事に役立つ資格があるわけではなく、留学生はビザのハードルがあるので、アメリカでの就職活動はあっさりと諦め、卒業と同時に取り合えず日本に帰ってきました。

明日に続きます。

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米国留学編

2022年06月01日 18時48分59秒 | 留学

今日は息子を学校に送った後、バニングスというホームセンターでウサギのくくり罠を作る材料の細いワイヤーを買ってきました。30メートルで5豪ドル(約450円)でした。その後、いつものショッピングセンターで食材の買い物。家の戻ってから薪ストーブに火をつけてブログを書き始めました。見出し画像はそのワイヤーです。

では昨日の続きを書いていきます。

米国留学プログラムに参加できるのは毎年5名の狭き門。その内、一人に留学費用が免除されます。英会話の練習の為にアメリカ人留学生と積極的に英語で話して留学の試験に備えました。

大学2年生の後期に受けた学内の留学選考試験は、アメリカ人の先生との英語の面接試験で、不安な面持ちの学生が一人ずつ面接室に通されていきました。質問の内容は自分の家族やサークル活動、留学したい理由などで、僕は落ち着いて英語で答えることができました。面接試験の結果は僕がトップだったので、奨学金が出て、渡航費や留学中の費用が月々千ドルほど支給され、無事に米国留学の切符を手にしたのでした。派遣先はアラスカ大学。厳冬期には気温が氷点下40度まで下がると言われたので、名古屋の登山具店で、一番分厚いダウンジャケットやウールの靴下を準備して、アラスカの厳しい冬に備えました。

海外に出るのも、飛行機に乗るのも初めての経験で多少心配でしたが、現地に着いて、アメリカ人の話す英語が殆ど理解できたので、安堵しました。同じ大学から一緒に行った他の4人の日本人は英語の準備不足で、話すことににあまり自信がなかったようです。留学初期の頃、寮で仲良くなったアメリカ人に「僕の英語って、どうよ?」と聞いたところ、「とてもいいよ。何を言っているか分かる。去年来ていた日本人の留学生たちは始めはあんまり会話ができなかったけど、、、。」と言われて、自信が付きました。

アラスカ大学には僕達の大学からの留学生の他、地方の国立大学から3人が僕らと同じように9月から翌年の5月までの9か月間、派遣されて来ていました。海外留学の最大の罠は日本人同士つるんでしまうことです。日本人同士で集まって日本語で話していたら、留学に来た意味はありません。こうなると周りのアメリカ人とも交流できなくなってしまい残念な留学生活になってしまいます。そこで僕ともう一人の日本人留学生はNever Japanese Speaking Club (日本語は話さんクラブ) を作り、日本人同士でもお互い英語だけで話すようにしました。

アラスカ大学ではエスキモーの学生達も2、3割くらいはいて、僕のルームメイトもダニエルというエスキモーの中年のおじさん(当時40歳)で、教職課程をしている人でした。金曜日か土曜日の夜になると同じエスキモーの仲間が大勢僕らの部屋に出入りし、ビールを飲んで酔っ払ったり、噛みタバコを噛んで唾を空き缶にぺっぺと吐き出したりしながら、夜遅く迄パーティーをしたので、僕も時々仲間に入れてもらいました。(というか、この学生たちが帰るまで、うるさ過ぎて僕が寝られないので、仕方がなく仲間に入れてもらいました。)因みに、大学の寮や建物の中は完全暖房で真冬でもTシャツでいられます。ダニエルさんはいつも素っ裸で寝る人でしたが、、、。

アラスカ大学の授業は日本のそれとは全く異なり、生徒は積極的に発言していました。僕はミクロ経済学、マクロ経済学の他に、初級の軍事学や留学生の為の第二外国語を履修しました。留学中に履修した科目の中で一番面白かったのが軍事学(military science)で、士官候補生や予備軍のコースの科目で講義の他に実技ではライフル射撃や地図とコンパスを使ってのナビゲーション訓練、整列訓練(Attention! 気をつけー!)などの軍事教練が毎週一回午後からあり、アメリカ陸軍に入隊した気分で参加していました。

寮の一階にはピアノやテレビやコンピューター一台が備わった大きなリビングがあり、その寮に住んでいる60名程の男女学生が勉強が終わったころ入り浸って寛ぎ、また寮の隣の大きなカフェテリアではに寮に住んでいる人たちと食事を共にできたので、多くの学生と友達、知り合いになることができました。

週末の夜には大学対抗のアイスホッケーの試合を観戦したり、大学内で上映される入場無料の映画鑑賞会に行ったりしました。(当然、映画に字幕はありませんでしたが。)当時感動した映画は通訳者の視点からカンボジア内戦の実状を世界に知らしめてアカデミー賞を取ったKilling Fieldsやオーストラリアの砂漠地帯を舞台にしたデストピア映画のMad Max 2など、1980年代を代表する映画です。

アラスカ留学中に始めたスポーツはクロスカントリースキーです。雪が積もった針葉樹林の中にクロスカントリースキーのコースが寮の直ぐ近くから伸びていて、週末や大学の授業の後、寮に戻って着替えてから、友達と一緒にクロスカントリースキーを履いて、大学の裏のコースを1時間ほど歩いたり滑ったりしてきました。このスポーツは雪の中でハイキングとスキーが同時に楽しめるスポーツです。冬の寒さですが、氷点下20度か30度になると、外気に触れる顔の皮膚が痛くなり、息を吸い込む度に鼻毛が凍ります。因みにおしっこは出た瞬間には凍りませんのでご心配なく。

この様に、9か月の留学生活もあっという間に過ぎ、帰国の日が近づいてきました。その頃になると、英会話も自然にできるようになっていて、帰りの飛行機の中では「もっと、ここにいたい。でもお金はないから、帰るしかない。お金を貯めて、またいつかアメリカに来るぞ。」としぶしぶアラスカを後にしたのでした。

明日に続きます。

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