オーストラリア ヒロシのリタイヤ日記

1994年からメルボルン在住のヒロシです。留学後に現地で就職、国際結婚、2020年、55歳からリタイヤ生活。

37年ぶりに会いました

2024年01月31日 23時27分28秒 | 日記
今日は今回の訪日のハイライトの一つ、37年前に日本からアラスカ大学に9ヶ月交換留学した7人が名古屋駅に集まって、同期会をしました。
去年は第一回目の同期会で5人集合し、今回は8人全員が集合する予定だったのですが、、、一人がコロナに罹患して脱落したので7人が集まりました。

飲み会が始まる4時間ほど前に、まずAさんと名古屋駅に集合しました。一緒にドトールでお茶を飲んでいたら、Aさんがストリートピアノを弾きたいと言うので、名古屋駅の2階にあるストリートピアノを弾きに行きました。

そこで、Aさんがピアノを弾いた後で、次に弾いた人と話していると、久屋大通公園のフラリエと言う所のストリートピアノが素晴らしいと教えて下さいました。時間もタップリ会ったので、早速、そこへ行ってきました。



ここは屋根がガラス張りの温室のような所で、観葉植物で飾られて本当に素晴らしい場所なのです。

しかも、ここに弾きに来る人がプロのピアニストだと思える程上手くて、まるでピアノのコンサートに来ている感じがしました。
しかも、ここは名古屋市が運営していて入場は無料。名古屋のベスト ケプト シークレット(秘密にされた素晴らしい場所)ではないでしょうか。

5時から始まった飲み会は男性が3人女性が4人で、、やはりと言うか、出世されている人も多かったです。主婦のAさんと僕は仕事をしておらず、少し浮いていた位です、、、。

社会的地位の如何に関わらず、、、皆それぞれ幸せな人生を歩んでいらっしゃるというのが、僕の感想です。皆、あの頃を思い出して、昔の話が出来て良かったです。

それでは、明日も、このブログでお会いしましょう。
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プールでヘトヘト

2024年01月30日 21時09分18秒 | 日記
今日も健康的な生活が出来ました❗
朝食は6時からですから、5時45分に目覚まし時計で起こされました。後1時間ぐらい寝たかったですが、ここは両親の家ですから、言われた時間に一緒に朝食を取ります。
その後は、朝ドラのブギウギが始まるまで、寝床に行ってゆっくりします。
朝ドラの後は新聞を読んだり、図書館で借りた本を読んだりした後で散歩に出発。コンビニで現金を引き出したり、薬屋でお土産の歯ブラシを買ったりして帰りました。

昼食の後は20分程昼寝をしてからプールへ。
プールへの行き帰りで1時間歩くし、プールでは休憩時間を除いて2時間半くらい泳ぎましたから、、、今日もヘトヘトに疲れました。

25メートルプールの端まで泳ぐと10秒程休んでスタートを繰り返します。あんまり休むと後ろから、泳いでくるので、休む暇はあまり無いですが、、、その分鍛えられました。

それに、今日は珍しく若い女性(30代?)も2人泳いでいたので、彼女達に負けないように、いつもより頑張りました。

見出し画像は、昨夜と今晩食べた「美濃娘」というイチゴ🍓です。規格外の小さなイチゴですが、甘くて美味しかったです。オーストラリアには甘いイチゴはなく、酸っぱいイチゴしかありません。

それでは、明日もこのブログでお会いしましょう。
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父とスシローで昼食

2024年01月29日 21時40分09秒 | 日記
今日は父と軽トラで3ヶ所へ行きました。
まず最初は市民病院前の薬局。
実は父はオストメイト。10年程前に医者の誤診で、直腸癌の診断が送れてしまい、一命は取り留めたのですが、便をおへその近くに着けた穴から出すという、不便な生活を送っています。
便はストマと言う袋に入るのですが完璧ではなく、時々、便が漏れたり、ガスが出たり、といった不都合が起こるようです。それで、長距離ドライブや電車や飛行機での旅行や、孫の結婚式に出席したりすることは、もしもの事を考えると、自信がなくなったそうです。
30分くらいの外食なら大丈夫のようで、時々外食は楽しんでいるようです

さて、薬局の次に行った所は、アミカという業務用スーパー。ここで、オーストラリアへ持って帰る日本の食材、主に乾物を購入しました。例えば、500グラム入りの塩昆布や大袋の柿の種、出汁用の昆布、みし汁の具、だしの素など購入しました。
そして、最後に行ったのはスシローです。出来れば母と3人で行きたかったのですが、家には軽トラしかないので、父と2人で行ってきました。

スシローですから、コスパは最高です。この前に食べた鰻丼の3分の1か4分の1の値段でお腹が膨れて満足でした。
回転寿司ではなく、カウンターで食べるお寿司は、回転寿司の10倍も20倍も値段が高いですが、、、味や満足度は10倍もあるのでしょうか?

どちらも満足出来て、どちらもお腹が一杯になりますが、、、僕は高級な寿司を年に1度だけ食べに行くよりも回転寿司を年に10回か20回食べに行きたい派です。

ところで、前に書いたオーストラリアの回転寿司ですが、妻が言うには、値段が高くて味はイマイチの様ですから、僕が暖簾をくぐることはないと思います。寿司は家でも作れますし、十分に美味しいです。

それでは、明日も、このブログでお会いしましょう。


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弟宅から帰りました

2024年01月28日 21時25分41秒 | 日記
今日は弟宅で朝は竹を材料にして薪ストーブで使う火吹き棒を弟と一緒に作業小屋で作りました。40センチ程の長さの竹に節に長い金属に棒で穴を開けて最後の節はキリで小さな穴を開け、両端を小刀でスムーズにして、15分位で完成しました。
ただ、後で気が付いたのですが、竹で出来た火吹き棒を持ってオーストラリアの検疫を通過するのは不可能なのです。
と言うことで、折角作った火吹き棒は弟に使って貰うことにしました。
工作の後は2時間ほど瀬戸市の山をハイキング。猪の食べた後やヌタ場と言われる猪の泥浴び場があって、猪がいつ出て来ても可笑しくない所でした。
2時間ほど歩いて弟宅に戻り昼食、その後は30分ほど昼寝をしてから、駅まで送って貰い、電車で実家に帰って来ました。

仲の良い弟の家で丸1日お世話になり、居心地は良かったですし、義理の妹の料理もおいしかったですが、、、やはり実家に帰ると寛げます。

ただ、両親が元気に生きている間は、毎年でも、この実家に戻って来ることは出来ますが、両親も今年は86歳と82歳になりますから、両親が健康を害したり、施設に入ったりすれば、これまでのように戻って来るのは難しくなるでしょう。

それでは、明日も、このブログでお会いしましょう。
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弟宅を訪問

2024年01月27日 23時38分12秒 | 日記
今日は愛知県の弟の家に招待されて、ここで泊まって、明日、実家へ帰ります。
隣の県ですが、前に来たのが18年位前だったようで、月日の経つのは早いと感じました。

弟と僕は顔も似てきて、僕と同じように、子供が2人いて、アウトドアの趣味が似ています。
薪ストーブがあったり、家庭菜園あるのも同じで、車中泊に興味あるのも同じ。違いは住んでいる国が違うことでしょうか。

子供の頃は薪でお風呂を沸かしていたし、臼と杵でお餅をつくときは、鉄の竈で火を炊いたことが影響しているのかも知れません。

遺伝か環境なのかは、双子の研究をアメリカの雑誌で読んだことがあるのですが、ある双子の兄弟が赤ちゃんの時に遠く離れ離れになって全く別の家族に育てられ、一切連絡が無かったのです。

そして、大人になって2人が出会ってみると、同じような職業を選び、同じような家に住み、同じような車に乗っていて、同じような家庭を持っていたそうです。飼っていた犬まで同じだったとか。

怖いくらいに全てが同じだったので、雑誌の記事にもなったのでしょうが、やはり偶然ではなく、遺伝子の要素が大きいのかも知れません。

それでは、明日も、このブログでお会いしましょう。



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過疎化の原因

2024年01月26日 21時36分55秒 | 日記
今日は昼御飯の後で地元の町を散歩してきました。人口が2万人足らずの小さな町で、人口は少しずつ減っているようです。家が密集している本通りを歩くとシャッターが降りている店や空き家や更地になっている家が目立ちます。

今から40年か50年ほど前、僕が子供だった頃は町が賑わっていましたが、現在、この町で商売が繁盛しているのは、チェーン店のスーパーか病院か薬屋か歯医者か葬儀屋ぐらいでしょう。

町の活力が無くなった原因は、僕を含めた多くの若者が町から出て行てしまい、子供が少なくなったことでしょう。
若者がこの町を出て行く理由は2つあると、僕は思っています。

一つ目は、雇用です。よい仕事があれば、若者も地元に残ったり、よそから来るのでしょうが、、、。残念ながら、田舎の町でよい仕事先と言えば町役場か、大企業の工場ぐらいのものです。

もう一つは、、、田舎の人付き合いです。
僕の従兄弟も実家で両親と同居はせず、少し離れた大きな町にアパートを借りている人が何人かいます。
両親の家からでも雇用先に近いのに、わざわざアパートを借りて、少し大きな町に住む理由。それは、田舎の町内会などの人付き合いや消防訓練がが嫌だから、だと思われます。
折角の週末を地域の消防団の訓練に何日も何十日も取られるのは無念というかバカらしいと誰しもが思うハズです。そして、実際の消防訓練よりも、宴会などが目当てというか真の活動にも見受けられるのです。

中には田舎の暮らしに憧れる都会の若者もいて、実際に田舎に移住する人もいる様ですが、、、昔の人付き合い、よそ者を毛嫌いする田舎の社会に絶望し、折角、夢と希望を抱いて移住してきた若者を田舎から追い返しているのが現状ではないでしょうか?

近所に親と同居していた40代の従兄弟が、最近、近くの街に引っ越したそうですが、僕の父が、そのことを「逃がらかした(逃げられた)。」と表現していたことが、全てを物語っている気がしてなりません。

それでは、明日も、このブログでお会いしましょう。
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クロールで3キロ

2024年01月26日 08時10分00秒 | 日記
少し前にブログを書いたのですが、、、消してしまったので、もう一度書きます❗

昨日の岐阜は晴天に恵まれ、朝から散歩に行ってきました。






昼からは温水プールに行ってきましたが、雪が降ったせいで、いつもよりお客さんが少なくて、良かったです。1レーンで僕の他に1人だけだったので、好きなだけ泳げました。毎時、10分間の休憩とラジオ体操があり、実質45分泳ぐ時間がありますが、1キロ泳いで、3時間で3キロ泳げました❗

そして最後に嬉しい🎵😍🎵ニュースが。
来週、アメリカに交換留学に行った7人で飲み会があるのですが、、、最後の1人とも、連絡が取れたようで、、、全員が集まれるかもしれないのです。
それでは、今晩のブログでお会いしましょう。






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岐阜は大雪

2024年01月24日 16時31分18秒 | 日記
今朝起きて、外に出ると白銀の世界で、積雪が10センチくらいありました。その後も雪は一日中、断続的に降り続きました。

オーストラリアでは何時間もドライブして標高が1500メートル以上の雪山に行かなければ雪を見ることが出来ませんから、、、家に居ながらにして積もった雪が見られるのは、、、とても贅沢なことなのです。

天気予報でも岐阜県の平野部で積雪が20ー30センチの予報が出ていましたが、その通りになりました。
名神高速道路では立ち往生が発生していて、雪に閉じ込められた運転手は、大変危険な状態になっています。

車の中でエンジンをかけて暖房すると、いずれはガソリンがなくなりますし、積雪が多くなって、排気ガスが社内に入ると一酸化炭素中毒死の危険性もありますから、、早く脱出が出来ると良いのですが、、、。



午後からは外に出て、父と雪掻きをしましたが、、、それ以外は石油ストーブの前で読書をしたり、新聞を読んだり、おやつを食べたりして、両親とのんびり過ごしました。運動不足なので、明日は温水プールに行こうと思います。

それでは、明日もこのブログでお会いしましょう。
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父と鰻丼

2024年01月23日 20時37分47秒 | 食べ物
今日は父の軽トラで大垣市にある「川亭」という鰻専門料理店に行ってきました。母は鰻が嫌いだし、軽トラには3人は乗れないので、父と2人だけで行ってきました。父は僕が日本に帰る前から、に鰻を食べさせたいと計画していたようです。僕に払わせてと何度も言ったのですが、聞き入れて貰えず、父にご馳走して貰いました。いくつになっても僕は父や母のの子供ですから、、、今日もプールに行く前には、「道を渡る時は、車に気を付けて!」などと、小学生の子供の様に扱ってくれます。もちろん僕も、「はーい。気を付けるよ。」と返事をして彼らを安心させる様にします。

さて、鰻ですが、、、オーストラリアの川にも鰻がいて、原住民のアボリジニの人々は、鰻の罠を仕掛けて取っていたようです。
オーストラリアには鰻の蒲焼きのお店はありませんので、、、誰か始めたら、流行るかも知れません。

実は実家のご近所が川魚の料理、特に鰻の蒲焼きの 出前専門で、鰻を捌くのを見せてもらったり、よく鰻の蒲焼きを買ってきて、家で鰻丼を食べさせてくれました。

鰻は他の魚と比べて、食べるところが少ないのが残念ですが、脂が乗って、、甘だれに良く合う魚ですよね。

午後からは、プールに行ってきました。1キロ程クロールで泳げて満足です。
明日は大雪の予報が出ていますが、雪が降るような寒さではないので、降っても積もらないと思います。
それでは、明日もこのブログでお会いしましょう。

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高齢国際カップルのオーストラリア移住

2024年01月22日 19時27分50秒 | 海外移住
今日は元同僚のオーストラリア人にAさんの家に招待されたので行ってきました❗
25年程前に僕がメルボルンで仕事をしていた時に僕の職場に来たのがAさんでした。Aさんは3年くらい一緒に仕事をした後で退職され、20年前に来日されて、名古屋の私立の高校などで英語の助手を経て、最近ではフリーランスの個人の英語教師として、子供から大人まで、幅広い世代に英会話を教えていらっしゃいます。

Aさんは社交ダンスで出会った日本人男性と10年程前に結婚されました。ご主人は英語を話すのは苦手ですが、聞き取りは得意だそうで、ご家庭での言語は、Aさんは英語で話して旦那さんは日本語で話すそうです。

Aさんは常に英会話のレッスンの仕事の予約で一杯だそうで、リタイヤは未だ考えていないそうです。そして、いつかリタイヤするのなら、老後は日本ではなく、旦那さんとメルボルンで住みたいのだそうです。

実は、この計画を聞いて「それは、、ちょっと、、、。」と思わずにはいられませんでした。
というのは旦那さんは72歳で英語が話せないのです。
言葉が通じない所に住むことのストレスは並大抵ではなく、移住しても、いずれ鬱になって、オーストラリアに来た事を後悔し、今は円満な夫婦の関係にもヒビが入るのではないかと危惧しています。

70代になって、奥さんに言葉の通じない国に連れて行かれて、死ぬまで異国で生活しなければならないのは、大変過酷で孤独感を感じられるのではないでしょうか。もし旦那さんだけが異国で施設に入ることになれば、非常に困難な状況になってしまいます。

外国では、言葉が違うだけでなく、食べ物だって違います。日本食材店に行けばある程度、日本の食べ物は買えないことはありませんが、日本の価格の3倍くらいします。なので、食べたい物が、お店にあっても、買えないことが多いです。ご飯は普通のスーパーで買えますが、ハッキリ行って日本の米ほど美味しくはないです。

お風呂だって、湯船の代わりにシャワーしかない家が多いです。僕はお風呂のない家には住めませんし、殆んどの日本人は僕と同じ考えではないでしょうか。

トイレも日本で温水洗浄便座に慣れた人は、オーストラリアの旧式トイレでは我慢が出来ないと思います。僕の妻や子供達は、2年に1度、3週間、日本に来るだけですが、日本の快適な洗浄便座に慣れてしまったようで、オーストラリアの旧式便座には我慢が出来なくなり、洗浄便座に付け替えました。

この様に、高齢者の海外移住には非常に困難を伴うので、Aさんご夫妻のオーストラリア移住は失敗するのでは?と思うのです。

それでは、明日もこのブログでお会いしましょう。
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