京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

この日、この時、この場所が

2024年10月11日 | 日々の暮らしの中で
秋の陽に、稲の実りが黄金色に輝くのは本当でした。そして杭を打つことなく、ビニールハウスの支柱に稲わらを掛けているお宅がありました。


スーパーの売り場から米が消える、いささかショッキングな現実を目の当たりにしたせいばかりではありませんが、新米をとてもおいしくいただいています。
娘のところへ送ってあげたい。けれど、送料が高いしいらんよと言ってきた。うん…。
5日もあれば届くのですけど、きっちり10キロの荷をEMSで送ると、送料は2万5千円を上回るのではなかったかな。
AUS米を食べたあと、日本のスーパーで日本米を買うと、男組二人・TylerとLukas(13歳と7歳)は食べてお米の違いにすぐ気がついたという。


明日は文章仲間が寺子屋に集う。
お花を立てかえた。そして、仏さんのおさがりの菓子もなくって、お茶菓子を見つくろいに出かけた。仲間の参加を待つだけに場を整えて、
「明日が楽しみです」。
うーん、ほかに言いようはないものか?
「明日はがんばります」
は、オカシイな。

書き出しのうまい作者を〈カキダシスト〉、結びのうまい作者を〈キリスト〉と宇野浩二は分類したそうだ。
地元紙に若者だけの投稿が掲載される日がある。つい先日のこと。
「ゆっくり探したいと思う」「頑張りたいと思います」「一生懸命頑張ろうと思っています」「これからも頑張りたいと思います」などと、末文の多くには念押しだったリ決意?表明がなされる。

酒井順子さんは、最後の一文はもっとも遊べるところ、と言われていた。

「私たちの前(背後)にはただ静かに聞いてくださる阿弥陀さまがいらっしゃる。明日はこの恵まれし場で、深い縁の出会いを持ちたい。」
ちょいと理屈っぽいかねえ。
余韻を含みながら、末文の工夫をどう考えるか、みなさんの意見も聞いてみたい。


刈田の脇に、名も知らぬ小草に花が咲いていた。

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2 コメント

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Unknown (sk_oyazi)
2024-10-12 00:50:43
こんばんは♪
いつも興味深く拝読させて頂いております。
keiさんのブログを一番最後に読むことが、
自分の結びになっています。
余韻が気持ち良いですよ♪
返信する
過ぎたお言葉ですが、ありがとうございます  sk_oyaziさん (kei)
2024-10-12 10:59:16
こんにちは。
あらま! 
上手く書こうとは思いませんが、どなたの目に触れるかわからないわけですから、
その点は意識してアップしております。
文章の癖みたいのがありますね。抜けられず苦闘?…。
過分なお言葉、それでも嬉しくいただいて励みます。ありがとうございます。

本堂で文章のオベンキョーではなく、
そろって秋晴れの空の下へと出ていきたいほどです。
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