KYOKUKENZO'S WORKSHOP 2024

「道」は自ら切り開くもの。
他人の後追いは「道」にあらず。

なにかの合図。

2022年11月17日 | 歳時記
月に一度の健診で
服を着たり脱いだり

どこかのタイミングで
音声通話の誤発信を
してしまったようだ。

かけた先は
高校の後輩A子さん。

すぐにメールして
誤作動を詫びたが

それにしても
誤作動など滅多に
あることじゃない。

これはひょっとして
誤作動なんかじゃなく
「飲みましょう」の
合図かもしれない・・


メールを差し上げたら
その夜に社内居酒屋で
「飲もう」となった。

彼女は私より
ひと回り若い起業家。

活動的。
考えがしっかりしていて
潔さと気配りをあわせ持つ。

いろんなことを討論し
多くのヒントをいただいた。

飲み終えて帰り路。

夜空を見上げたら
満月が欠け始めていた。

こんないい天気で
皆既月食を観たのは
初めてのことかもしれぬ。

これも
なにかの合図なのかな
。kyokukenzo

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2 コメント

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今日の想い。このブログ記事への感想。 (wainai123753)
2022-11-17 06:38:16
何かの暗喩というのか、人との出会いって、不思議だなあ、偶然にしては、ちょっと上手く出来過ぎだよなあ、とかって、思う事、私にもよくあります。

今、私が日蓮正宗のお寺に出入りしているのだって、母が、父の遺骨をこのお寺に埋葬、納骨しなければ、全く縁などは無かった筈。
それを見越して、私が、前年にその時、二千円の納骨料を払っていなかったのに気付き、このお寺に出入りするようになった。
詰まり、その前までは、私は日蓮正宗ではなく、創価側の人間であり、この前の日、今から五年前の二月七日、詳しくは言いませんが、私の書き始めのブログ一番最初のページ、一番目の記事に書いてあるんですが、私は死ぬような思いをして居ります。想像して頂くだけで結構です。

翌日、二月八日、日蓮正宗に母と共に勧誡、入信。そんな関係もあり、私にとって、命懸けで、日蓮正宗に入信している訳です。
その後の、様々の、このお寺の多才、多彩、様々な多士済々の人々方々との、正に人生を変えるような出逢いの数々…。これは宣伝でも、大袈裟でもなく、本当に、私の人生上の実体験、本当の体験です。

ブログ主様は、何か、経営者と言うか、ビジネスマン、ビジネスパーソンの方と見受けられますが、私も、高校、大学生の頃は、とても上昇志向であり、学校が進学校、一流校で会った為、世界を股に掛ける、ビジネスマンを目指して居りました。今から考えると、非常に笑ってしまいますが。

今は、福祉の援助を受け、平穏に過ごし、老齢の母が施設に暮らし、コロナ禍で会えずに、ガッカリしつつも、これも忍耐の時期と、母子の再会を期待し、諦めてはいません。

私も美味しいものは大好きです。しかし、余りに、情報集めが下手で、ここの、貴ブログ様のような、美味しそうなグルメ食にはとんと縁がありません。
悲しい感じはしますが、皆さん、グルメな方は、食べる事にとっても熱心だなあ、と一人感心します。私も是非、見習いたいですね。

長文になってしまい、失礼致しました。いつも一人の生活であり、誰かと話し合ってみたかったのです。

高校生の後輩女性、めぐり逢いですね。私は県立男子高で、女性などは、とんと、これも縁などは全くない、女っ気のない、男臭い学校でしたね。今現在は私の母校も、共学化されましたですがねえ。

以上。よしなに。wainai
返信する
ありがとうございます。 (kyokukenzo)
2022-11-21 12:19:47
wainaiさま。
貴重な体験談を
ありがとうございます。

私は外食産業に関わる
仕事を生業にしており
「人と会うこと」
「美味しいものをいただくこと」が
「仕事の基本」と考えています。
今後もよろしくお願いいたします。
返信する

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