黒部信一のブログ

病気の話、ワクチンの話、病気の予防の話など。ワクチンに批判的な立場です。現代医療にも批判的で、他の医師と違った見解です。

子どもの虐待を防ぐために

2015-10-01 12:52:26 | 子どもの病気と犯罪の予防
子どもの精神的な病気や少年犯罪が目立ちます。これは10年前にもあったことで、その後無くならずに続いていることです。そこで、当時読んだ本の中に書いてあったことを思い出し、もう一度読み、当時アメリカやフランスの精神科医や学者たちが、言っていたことをここに取り上げたいと思います。

それは、少年Aの問題が、クローズ・アップされたこともあります。今後、親から子への連鎖を断ち切るためにも、みなさまにお読み頂きたいことのほんの一部です。

子どもの虐待をなくす為に
―子どもの犯罪や病気、しいては大人の犯罪や病気をなくすために―
 最近、少年Aの問題がとりざたされ、以前親殺し事件が続いた時に読んでコピーしておいた「闇教育」ということを思い出し、みなさまに取り上げて頂きたく書くことにしました。これは、アメリカでウーマン・リブから始まり、レイプ問題、そして家庭内暴力と子どもへのさまざまな虐待に光をあてられてきたことです。
ヨーロッパでは18世紀から問題提起され、20世紀になり、乳幼児精神医学に取りあげられるようになりました。いまだに続いているのは、キリスト教のせいでしょうか。
最近増えている子どもへの虐待は、日本で昔から行われていたのでしょうか。行われていて、ようやく光があてられ始めたのでしょうか。どうもそうであるようです。
子どもが乳幼児期に虐待を受けると、悲しみや怒りなどの感情を抑圧するようになり、その後の精神的発達を妨げることが判りました。それに光をあてたのが「闇教育」です。
19世紀から20世紀前半まで、親が子どものために愛情をそそぐことは、いわば保険をかけているようなもので、社会的地位の向上が二世代にわたって行われると信じたり、それが子どもにとってよりよい将来を保証すると考えられていました。
「子どものために」という建前のもとに、子どもはひどい虐待を受けていたのです。
18世紀には、早くも教育者のズルツァーは、「時間の経過とともに、子どもはごく幼い時期に経験したことをすべて忘れてしまう。その時期に、どうにかして子どもから意志(願望とそれを実現させようとする決意)を奪ってしまえば、後に自分が当時どのような意志を持っていたか決して思い出せはしない。」という。(これはいまだになぜなのかが謎)
1977年カタリーナ・ルーチュキイが「闇教育」という名前で、当時の教育法を集めた本を書き、その中で「早期の条件付けによって、人は自分に何が起こったかを気付かなくするあらゆる技術が網羅されている」という。この「闇教育」の思想をアリス・ミラーが紹介しています。その中で、「闇教育法の原理」を挙げると、
「生きている人間を抑圧する手段は、以下の通りである。罠(わな)、嘘、かけひき、隠匿(いんとく)、操作、脅迫、愛情を与えないこと、孤立,不信、侮辱(ぶじょく)、無視、嘲笑(ちょうしょう)、恥辱(ちじょく)、そして拷問(ごうもん)を含めた暴力の活用」。
また、手順のひとつに、「最初から子どもに間違った情報と間違った考えを伝える」というやり方があります。
また、何世代にわたって伝えられた「闇教育の原理」の代表的なものに、以下のものがあります。
*義務感が愛情を生み出す
*憎しみは人をおしのけることで消せる
*服従により人は強くなる
*厳しさと冷たさは生きる上で役に立つ
*激しい感情の動きは有害である
*親は親というだけで尊敬に値する
*子どもは子どもであるとの理由でいかなる尊敬にも値しない
*子どもの価値を高く評価するのは有害である
*子どもの価値を重視しなければ親切な子どもになる
*優しさを示すのは、有害である(甘えた子どもになる)
*子どもの欲求に屈する必要はない
*見せかけの謝意のほうが、感謝の気持ちが欠けているよりはましである
*外見のほうが心よりも重要である
*親は神ではないので、些細な侮辱にも耐えられない
*肉体は、不潔でいやらしいものである
*親は欲動を欠いた存在であり、あらゆる罪を免除されている
*親はつねに正しい

また別の本では、
○赤ちゃんが理由もなく泣いたりわめいたりしたら、これはわがままの現れだから、体罰で警告しなさい。(「泣く子と地頭には勝てぬ」ということわざはどこへ行ったのでしょうか)
○わがままは一掃しなければならない。
○3歳になるまでに必ず行わなければならない教育は、両親と目上の人への絶対の服従と不満をもたない習性を作ることである。2歳までにやれば子どもは覚えていない。
○あなたの息子を支配しなさい。服従させなさい。そのためには、体罰や食事を与えないことなども効果がある。(この時生き延びる為に従うが、感情を体験する能力を失う。)
○子どもが悪さをした時に、子どもをだまし、脅かし、誘導尋問して窮地に追いつめ白状させたほうが効果がある。(このようにされた子どもの屈辱感と自責感は心に傷を残さないはずがない。)
○子どもの長所をほめることはよくない。うぬぼれた子どもになる。
○うぬぼれた子どもには屈辱感を味あわせる以外はない。
○しつけとは、まず言葉でなく行為であり、言葉になったときは命令である。教育とは折檻という方法が必要である。(これでは優しい生き生きとした感情は育たない)
 と書かれています。
上記の項目のどれかに、あなたは賛意をもちますか。それは、あなたの子どものためになりません。今すぐやめましょう。ドイツやフランスでは、間違った子どもへの考え方とされています。自分の意志を持たない子ども(長じれば大人)を生み出す原因になります。
子どもは類のないすばらしい授かり物として家族の中心に位置することになります。しかし、教育の実体、親子関係において、子どもたちは「子どものため」とい名目でひどく虐待されてきたのが実情です。子どもへの虐待は、子どもの精神的発達を障害し、精神的な病気や問題行動を生じ、間違った論理をもつ大人を生んでしまいます。
そこから闇教育の原理でできあがった国家が、自然にできあがる危険があります。それが、現実にあるのです。
このアリス・ミラーの紹介をカロリーヌ・エリアシェフ「楽園を追われた子どもたち」で読み、それを忘れて探しているとき荒木ひさ子の論文を読みました。ミラーはヒットラーが子ども時代に受けた教育を指しています。そして、ヨーロッパ、アメリカ、そして日本にもこの思想があり、子どもを教育とかしつけの名目で虐待し、子どもはそれを心の中に抑圧します。
日本にも、子どもを親の所有物と考える思想がまだ残っています。子どもは、いつから一人の人間として扱うかについては議論がありますが、少なくとも社会全体の子どもなのです。虐待された子どもは、無意識に自分の子どもにこれを繰り返します。また、親のまねをして他の子どもにしているのが、いじめなのかも知れません。その悪循環を断ち切り、優しい社会にしたいと思います。
そして子どもの虐待は、身体的な虐待、ネグレクト、心理的虐待、性的虐待があり、その陰に教育による虐待(隠された虐待)があるという。
荒木氏は、日本では、第二次世界大戦(15年戦争)まで、忠・孝・恥が教育の中心であり、戦後は忠は抜け落ちたが、孝と恥は残り、この思想が親が子どもを虐待するとき、虐待していると言う意識を取り除く。1970年代のアメリカのフェミニズムが、それまで社会の禁忌であったレイプの実態を白日のもとに引き出した。この運動は自然の帰結として、家庭内暴力、児童虐待に行きついたが、日本では人権意識が低く、子どもは自分の持ち物という封建思想が残り、社会的関心ははまだ低いという。
 エリアシェフは、これが子ども長じて大人の精神神経障害やいろいろな犯罪につながると警告しています。
 「育児室からの亡霊」(モースとワイリー著)では、それを犯罪に結びつけています。
 日本でも起きている親殺しや少年犯罪(とくに殺人事件)や、大人による無差別殺人事件なども同じ精神病理から来ているのではないでしょうか。(親殺しや兄弟殺しの子どもの親に教育者が少なくないこともささやかれています。)
 また、引きこもりやいじめなども、同じ病根からきているのではないでしょうか。
 少年Aの問題が再燃して思いだし、昔読んだ本を探して、当時よりもっと強く、優しい社会への展開を希望します。もちろん、以前私も心の病気になり、手塚治虫の「ブッダ」の漫画から、ラディカル・ブッディズムに傾倒し、それまでに心療内科の訓練法を取り入れていたこともあり、こころ優しくなりました。でも、まだまだ人に優しい原始(根本)仏教にはおよびませんが、努力していきたいと思ってここに書きました。