黒部信一のブログ

病気の話、ワクチンの話、病気の予防の話など。ワクチンに批判的な立場です。現代医療にも批判的で、他の医師と違った見解です。

子ども医療講座第二回

2018-07-19 09:58:05 | 子ども医療講座シリーズ
子ども医療講座の二回目を載せます。少し書き直してしまいました。時代は30年前でしたが、一部混同してしまった所があります。
でも時代が違っても本質的な所は変わりません。私の精神は今でも続いています。

病気は自分で治すもの。健康は自分で守るもの。という考えは変わりませんが、それを妨げるのが現代社会であり、日本の社会を決めるのが政治で、それをあなたの一票が決めるのです。北欧は投票率が高いし、政治に関心が高いし、文化は北欧に発するということも現実です。

そして今の政府が今の日本社会を左右しています。変えたければ、政府を変えないと変わりません。それが現実です。
あなたが変わり、社会が変われば、また別の人生があなたや子どもたちを待っています。

              第 2 回 子 ど も 医 療 購 座          
             「 子 ど も だ っ て 一 人 の 人 間 だ 」

1 子どもは社会の子どもです。親の所有物ではありません。
子どもは、今の社会では親の付属物的に扱われています。だからちょっと注意しても「うちの子に何をいうのと」親に言われてしまいますが、昔は町の中でいたずらすれば、注意するのは他の親だってしていましたが、今はしなくなってしまいました。かえって親から何か言われるのが嫌だから言わないという時代になってきました。
 しかし、子どもを産むのはお父さんとお母さんですが、育てるのは社会です。なぜかというと、子どもというのは、社会の中で人間になっていく。
社会の中で育たなければ、人間として成長しないのです。
昔、狼によって育てられた狼少年がいましたし、また十数年前、南アフリカで犬小屋の中で育てられた1歳半の子どもが見つかったことがありました。
 狼に育てられたという記録をねつ造だとする意見も少なくありませんが、それにしては多数ありますし、いろいろな動物によって育てられた人の記録があり、全てを否定することはできないと考えています。犬小屋で見つかった子どもは、両親が育児放棄し、犬と同様に扱ったのです。
 小さい時に狼に連れ去られて、特に乳児から1歳頃までを狼に育てられた子どもたちはほとんど人間に戻れません。狼によって育てられると狼になるのです。狼に育てられた人間は四つ足で非常に早く走れて、人間が走るより速く、生肉を食べて、狼のように吠えて言葉が喋れるようになりません。人間の社会に戻れずに亡くなっています。
 狼に育てられたという人の中で、二人だけ言葉が喋れるようになった人がいたという記録が残っていますが、その人たちが言葉で喋れるのは、言葉を覚えてから以後のことだけでした。言葉を覚える以前のことは喋れません。これは言葉の問題と関連しますが、言葉を覚えて初めて物事を記憶出来るようになるのです。言葉として記憶するから、言葉がなければ、まわりの風景を見ていても、それを表現することも記憶することもできない。言葉をーつ覚えたから一つ言葉を喋れるのではなく、沢山の言葉を覚えて、初めて一言、二言出てきます。覚えている映像を言葉として表現できないのです。
(そこからも私は、発達障害を遺伝的に持った素質と育てられ方によってなるという説を支持します。人として生まれても赤ちゃんの時から動物に育てられると人間として成長しないのです。南アフリカでの犬小屋で見つけられた子どもは新聞で報道された事実です。その子がどうなったかは報道されていません。)

 それはさておき、子どもは社会の中で社会によって育てられています。社会の最小の単位は家庭です。(本当は二人では社会ではなく、三人からを言うようです。)家庭から地域社会へと広がります。そういう社会で育って大きくなります。
例えば、昔中国から日本人の残留孤児たちが引き上げて来ました。その人たちは、みんな中国人の顔をしています。見るとすっかり中国人です。ところが日本に長くいると、日本人の顔になって来ます。外国人もそうです。日本に来たては外国人だけれども、日本に長くいると日本人的な顔になって来ます。逆に日本人がアメリカに長く行って、帰って来ると、アメリカ的な顔になってくる。つまり人間は社会に育てられ、そこで生活していると、その社会による文化によって変わって来ます。
 だから子どももそうです。あくまで社会に育てられて、成長しています。人間は誰でも、人間として生きていくためには、社会がなければ生きていけません。たった一人では人間として成長しません。だから子育ても、社会的なものです。子どもにとっては産みの親より育ての親が大切であると昔から言われていました。育ててくれる親がいることによって子どものこころは安定します。
 母親が一人で子育てに悩む必要はありません。周りの人に相談したり、みんなで子育てすれば良いです。子どもにとっては産みの親よりも育ての親が親なのです。逆に考えてみると、親は自分が産んだ子だとわかるけれども、子どもは自分を産んでくれたのは、本当に自分の親なのかわかりません。わからなくても構わないです。育ててくれた親が自分の親なのです。
 虐待している親から子どもを引き離すことは、社会の義務ですし、離されることは子どもの権利です。虐待されている子どもは、自分が悪いから虐待されていると思うので、親を非難しませんし、親からなかなか離れたがりません。でも離すことが社会としての義務です。離されてから、だんだん子どもは自分の置かれていた状況を判るようになり、離されたことを感謝するようになります。

 昔イスラエルにキブツという集団農場がありました。今はどんどん崩壊して、残っているかは分かりませんが、昔はこれが日本のヤマギシ会と同じように、原始共産体制をとっていました。持ち物はほんの僅かな私有物だけで、あとはみんな共有財産として生活していました。化粧品もハンドバッグも共有です。夫婦はひとつの個室で生活しますが、子どもは全部1ヵ所に年齢毎にまとめられて、集団生活をします。日常の生活の介助をしてくれる人達は、交替で勤務しています。そういう社会の中で、子どもたちが親から離されて不安定になるかというとそうではありません。夕食を親と一緒に食べて、寝るまでの団らんの2時間ぐらいの間を一緒に過ごすと、子どもの心は安定します。別に精神的、心理的な問題は起きなかったと言います。
 当時は(今でも)戦争状態でしたから、両親をなくした子どもが沢山いて、その子どもたちには、「この子はあなたが育ての親だ」ということで、育ての親を作ります。実際には夕食から寝るまでの間しか一緒にいないのですが、それでも親代わりの人を作ると子どもの心は安定します。そういう現実がありました。

 また、昔社会主義の時代だった中国で一週間保育という制度があって、月曜日の朝連れて行って、土曜日のお昼に連れて帰ります。親と一緒にいるのは、土曜日のお昼から月曜日の朝まで。だけど親がいて、その時間一緒にいれば子どもの心は安定します。特に問題は起きません。つまり子どもというのは、そういうものです。
 日本の厚生労働省の人達は、小さい子は親元で育てなければいけない、親が常時いなければならないと言っていますが、そんなことはない。子どもの心というのは、親がいるということだけで、安心します。
私が国立病院に勤めていた時、入院している子どもたちで親が付き添っていない子どもたちは、面会時間になるとみんな病棟の入り口まで行って親が来るのを待っていて、お母さんが来ると一緒にくっついて病室まで行くけれども、5分ぐらいしたらもう離れちゃって、ほかの子と遊んでいます。いると思うと、安心してノビノビ自分の好きなことをしています。そして、帰る時間になると、またやってきて、母親にピッタリくっついてしまい、帰る時には泣いたりします。でもお母さんが見えなくなると、けろっとしてまたほかの子と遊ぶようになります。つまり親がいるということ、そしてちゃんと会いに来てくれるということで、子どもの心は安定します。そして問題は起きません。
だが今は、子どもは親の物などという風潮があります。その点欧米では随分社会化されています。例えば、アメリカでは子どもの物をとったということで子どもが親を訴えると親は処罰されます。日本は処罰されません。そういう法律がないから。子どもの物をとってはいけないというのは、アメリカでは当たり前。もちろんアメリカの税制も全部個人が単位です。
 一人一人の人権を尊重して、北欧諸国からフランスあたりまでの国では、子どもの虐待に対して厳しくて、誰かが虐待をしているのを見て通報すれば、親が処罰されますし、強制的に子どもを離されます。親が必死で子どもを取り戻すためには、法律上では裁判で争わないと、取り戻せません。子どもの虐待を防ぐということが隨分進んでいます。
 しかしまだ日本では、子どもが虐待されているのを見過ごしていて、98年の統計では15人以上虐待で死んでいると新聞に出ていました。まだ福祉事務所や、警察がなかなか介入できません。それは、法的な整備がされてないから、し難いということと、子どもは親の物というのが社会的に一般的に思われているからです。その二つの問題点があります。
 やはり子どもを育てるのは社会で、みんなで子どもを育てていくという感覚がないとなかなか難しい。確実に少子化が進んでいますが、「子どもを産むのは自分たち夫婦二人で、特に女性の方にかかってしまうから大変だから、子どもは一人でいいや。もう2人3人と、育てるのは大変。」という思いにつながってしまうとだんだん産まなくなってしまう。それが少子化につながっています。もっと社会的に保育所とか子育ての仕組みをもう少し社会的に充実させていかないと、少子化の進行は防げない。「子どもは社会で育てる」ということがまだ日本では遅れていますし、行政や官僚の中ではそういう感覚は育っていない。
(この文章を書いてから20年経ちましたが、相変わらず日本の首相も官僚も与党議員も変わっていません。)
 近年、父親も子育てしようというコマーシャルを厚生労働省が流していましたが、父親が子育てできるような環境がなければ難しい。例えば、スウェーデンでは育児休業を父親もとることができる。子どもの介護のための休業が法律的に保障されていまして、病気の看護、病気になると父親か母親がどちらか片方が勤めを休んで看護することができるのです。それが法的に保障されている。そうすれば父親の育児参加というのは非常に楽です。簡単にできる。それから、父親の産休もある程度日数が限られますが、保障されています。子どもが産まれるときに、父親が休むという、休めるという、そういう条件なしに父親に育児に参加しろと言ったってなかなか難しい。ですからそのことをやっぱり社会的に作り上げていかないと、あのコマーシャルは抽象的なスローガンで終わってしまいます。
(父親の育児休暇はやっととることができる法律が整備されましたが、取得率は低いようです。)

2 生まれたら一人前。子どもの個人の権利と義務。 
子どもは生まれたら一人前、子どもの権利は子どもが生まれた時からあるというのが私の立場です。国際的には子どもの権利法案というのはできていますが、日本はまだ正式には批准していません。それは、批准するための環境整備が非常に遅れているからです。日本は先進国に仲間入りしたはずなのに、先進国に比べて子どもの権利というのは、はるかに遅れています。だから批准するためにはいろいろなことを整備しなければならない。だからすぐにとは政府は批准できない。
 日本に来て学生の制服を見て、囚人服じゃないかといったアメリカ人がいましたが、制服を強制するということも、もう時代遅れです。(私の子どもたちは、制服を強制する学校ではありませんでしたが。)
 給食もそうです。給食を食べなければいけないと強制すること自体がおかしいです。
食べなくたっていいのです。だけど日本では一部はそこまで行っている所も出てきていますが、まだまだ一部です。服装、頭髪、装飾品など、何でも決められたとおりにやらなければいけないと決まっています。それで日本でトラブルになっています。海外から来た子どもがピアスをしている。すると学校で禁止しているから、「だめです。とらなきゃ。」と取ることを強制する。その子は小さいときからしているから、それに対して反感を持つ。海外では自由な所が多いから。
 よく「服装の乱れは、いや、生活の乱れは非行につながる」と言う人達がいます。でもそれは思い違いです。なぜ思い違いかと言うと、そういう証明がありません。その人たちの思い込みに過ぎません。服装が乱れている人は、みんな非行に走るかといったら、そんなことはありません。逆に言うと、規則で縛るから反発してそういう服装をしたがります。管理教育からはずれて、言うことを聞かないのだとの意志表示でわざとそういう事をしたりするのです。
 今の中学は、朝練から夕方の練習まで一日中部活で縛って何もできないようにしています。「そうすると非行に走らない」という感覚でいる先生方が未だに多いようです。行動を規制すれば、非行に走らないというのは思い違いです。
法律を作って規制すれば、法律をかいくぐっていろいろ悪いことをする人が必ず出て来ます。いくら法規制をしても、非行に走る子は走ってしまう。それよりも子どもたちに生きる目標を与えることです。何かしたいこと、やりたいことをやらせる。そして目標をもって本気になったら、その子たちは非行に走らないのです。
少なくない有名人が、中学や高校時代に警察に手を焼かせたりしています。でもその人たちは、それぞれその人の人生を変えてくれた人が居て、良い人生をたどることができたのです。
 だから、今でも暴走族(最近は別の名前で呼ばれているようです)がいて、車を乗り回しているのですが、暴走族が一番少なかった時期はいつかというと、私が大学を卒業してちょうど全共闘運動が華やかになって、高校生も高共闘なんていって、学生運動に入ってきた時期が一番暴走族が少なかった。要するに自分の学校に対する不満がある子たちはみんなそっちに吸収されてしまった。暴走族に行かなかったのです。だから今は、そういう運動が何もないから、暴走族になって反抗しているだけです。
 だから、子どもたちの権利を認めて、自主性を認めて、自分たちでやらせるということ。それは何歳からかというと、私は生まれた時からと思っています。子どもにいつから人権があるかというのは日本では問題になっていませんが、世界的には問題になっています。
 子どもが人権を持つのは、精子と卵子が一緒になって受精した時か、それとも妊娠中絶がいけないという時期、(22週までは中絶できるが、23週になるともうできない。)つまり23週以後か、おぎゃーと生まれた時なのか、いろいろと各国で議論があります。
日本ではまだ議論されていないし、子どもの人権とか権利そのものが、議論されていない時代です。だから子どもの権利が認められていないから、子どもの自由も認められていません。
 子どもはちゃんと意識していますから、ちゃんと教えて行けば、いろいろ成長して行きます。赤ちゃんの時だって、教え方があります。
昔、猿に連れ去られて猿に育てられたという東映の大部屋俳優、名前は忘れましたが、その人が書いた文が少年雑誌に載っていて、それを少年時代に読んだときに、非常に印象深くていつまでも覚えています。その話では、年に一回夏に山に戻るのです。何も持たないで行く。つまり猿と同じように何も道具を使わないで山の中に生えているものや、生きている物を食べて生活をします。猿と同じように火を使わない生活ができるのです。普通の人が聞いたら、びっくりします。その人が都会で仕事をしているときに、時々ホ-ムシックになると動物園に行くそうです。動物園で動物たちと会話をしたと言います。どうやって会話をするかというと、しぐさだと言います。しぐさや声の出し方で会話をするのです。動物たちは、猿は猿同士しか会話をしていないかというとそうではなく、いろいろな動物同士でしぐさで会話しているのです。ところがだんだん人間生活が長くなると、そのしぐさが低下してしまって、通じなくなってしまったと言っていました。

 その話を覚えていて、ああそうかと赤ちゃんと会話をしようと思いました。赤ちゃんとどうやって会話するかと言ったら、しぐさと目つきです。しぐさや目つきでうまく表現すると赤ちゃんは笑ったりして反応してくれます。内藤寿七郎先生がどんな赤ちゃんでも笑わせられることを真似しようと思い、思いついたことです。
 それで今は、赤ちゃんや子どもたちと、しぐさや顔付きや目で会話するようにしています。それで赤ちゃんたちが笑ったりします。親は不思議そうな顔をすることが多いのですが、おもちゃを使ったりもしますが、泣きわめいていた子どもがちゃんと私の言うことを聞いてくれるようになるのを見て驚かれます。

 だけど人間はなかなかしぐさをできません。言葉を使わないとできません。だから言葉をかけてあげます。言葉をかけると自然にそのしぐさをとります。だから言葉をかけていろいろしてあげましょう。通じているのは言葉ではなくてしぐさだと思います。だから言葉を出さなくても、しぐさですぐばれてしまう。こっそり薬を混ぜようとしても、そのしぐさでばれてしまう。隠れて何かしようとしてもばれてしまう。表情や雰囲気に表れてしまうのです。
 それで動物たちはしぐさで会話をしていたし、赤ちゃんたちはそれを読み取ります。しぐさを読み取る能力が言葉のコミュニケーションがないほど高いです。言葉で会話をするようになると、だんだんその能力が落ちていってしまいます。言葉に頼ってしまいます。  
だから赤ちゃんたちとは、私はしぐさでコミュニケーションをとります。だから小さい赤ちゃんほど、私はいろんなしぐさをしています。見ていて頂ければわかります。大きい子になると、言葉だけになります。子どもは会話を通していろいろ学んでいきます。大きくなっていくと、保育所とか幼稚園に行きます。
 子どもで一番問題なのは、「朝、ちゃんと食事を食べないといけない」とか、「毎日ウンチをしなさい」とかいう親や先生がいます。「給食は全部食べなくちゃいけない」、「牛乳は飲まなくちゃいけない」と強制をします。学校だって毎日行かなければいけない。そういうことは強制する必要はありません。なぜかというと、全く根拠を持たない思い違いです。どこにそれを証明するデータや事実があるのでしょうか。たった一例などはあるでしょうが、学会で発表できるものを私は知りません。
 「学校は楽しくなくて当たり前だ」と書いていた人がありましたが、楽しくなかったら、学校へ行かなくなります。保育所でも幼稚園でも楽しいことがあるから行くのです。楽しくすることが、ポイントです。
 飽食の時代に食を強制することはおかしいと思います。(だから私は「食育」という言葉は好きではありません。食べ物アレルギーは、親による食の強制にあると思っています。実例もあります。だから治すことができます。)

 例えば小さい子どもの脳性麻痺のリハビリがあります。現在大人になっている脳性麻痺の人達は口をきくのも、身体を動かすのも非常に不便です。ところが小さい時にトレ-ニングをすると、ずっと改善します。そのトレ-ニング法が二つあります。
 一つは決まり切ったやり方で、このトレ-ニングをしたら、次のトレ-ニングをしてと決めたとおりに子どもたちにやらせる方法です。子どもたちというより赤ちゃんたちです。数カ月間続けます。ところが赤ちゃんたちはそれにのってくれないで、いやがります。
 それに対してもうーつのやり方は、その時その時に赤ちゃんの好んだやり方で次々とトレーニングを変えて行って、終わった時には一通り全部やっているという方法です。これは非常にテクニックが必要です。誰でもできることではありません。でもそのやり方だと子どもは喜んでやります。その二通りがあります。手はかかるけれども、子どもの気持ちを尊重してやるリハビリというのは、子どもたちも喜びますし、それで発達します。
決まった手順でやっていくやり方は、子どもが嫌うのでなかなか発達しません。嫌がってやらなくなってしまいます。
つまりこれは一つの例ですが、どんなことでも子どもを上手に扱えば、うまく子どもの気持ちを嫌がらないようにしていろんな訓練ができるのです。

 昔ドイツにボリスベッカーと言うテニスのコーチがいて、男性と女性の二人の選手を世界一にしたのです。子ども時代から指導したのですが、その方法は子どもたちにテニスをやらせる時、ボールを打つ練習をさせます。するとボールが飛んで行ってしまいます。そこでボールを拾いにいく必要がありますが、子どもは嫌がります。それを一個一個のボールにひもをつけて、ボールを取るときはひもを引っぱれば集まるようにしました。とにかくあれが嫌、これが嫌というと、そのたびその度に嫌なことをなくすようにしたのです。
 それでテニスの練習をさせたら一生懸命練習をするようになり、グラフなどの有名な世界一のプレーヤーが二人育ったのです。嫌なことをなくして練習させるのがこのコーチのやり方でした。だから喜んで一生懸命練習をして世界一になりました。嫌なのが当たり前だなんて言って、子どもたちに押し付けたら、だんだん練習しなくなってしまいます。だからどうやってやりたくなるように仕向けるか。そこがポイントです。

 アメリカのケネディ家とか、ロックフェラー家とか開拓時代からの大家族というのは、決して強制しないのです。子どもに後を継ぐことや、仕事を強制しない。ところが上手に、一家でやるというよりは、その家族集団の一族でやっていて、その中でいろんな道に入っていく人達がいるけれども、必ず上手に誰かが後を継いでいくように、仕向けていくのです。自然に誰かが継いでそれを守っていきます。長く続いている家というのは、そういう仕組みがうまくできているのです。またそれだけ一族で結集しています。
だけど、新興のいわゆる成り金といわれるような一代で一族を築き上げた人というのは大概うまくいかないのです。自分の子どもに後を継ぐことを強制します。するとなかなかうまくいかないのです。江戸時代でも、「売り家と唐様で書く3代目」なんていう川柳がありますが、3代目になると、一族は潰れてしまう。大体そういうのが普通です。強制して子どもたちに継がせようとするとうまくいかないのです。大体反発して辞めたりしてしまいます。上手にまわりから持っていくのがこつです。長く代々続いている家というのは、そのやり方が自然に伝わっているのです。だから自然に親は子どもにそういうふうに教える。すると自然にその子は親の後を継ぐようになってしまうのです。

 昔、お嬢様ブームといって、お嬢様という呼び方が流行った時期があります。お嬢様というのは、自分が受けた教育を一番良い教育だと思って自分の娘に教育します。そして育てられた娘というのが、お嬢様なのです。ということはある程度、家庭が裕福でなければできません。でないと、子ども時代自分は惨めだったから子どもにはそんな思いはさせたくないと思ってしまうと、子どもは別な道を進んでしまいます。それが現実です。自分と同じことをさせないと自分と同じように育ちません。裕福な家庭でないとそれはできません。そうして育てられたのがお嬢様なのです。
でも現実に、自分と同じくさせたいと思うとなかなかうまくいきません。ではどうしたらいいか。子どもは子どもの人生を歩んでもらうしかありません。それは自分の人生を見せて、よければ選んでもらうし、別の道がよければ別の道を選んでもらう方法しかありません。子どもに強制することはできません。一人一人の意志、一人一人の個性を見つけてあげて、育てて下さい。でも別々の道を歩んで行きます。同じように育ててもみんな違います。沢山の子どもを育てれば判りますが、一人や二人では判りません。
 だからのびのび育てて下さい。あなたにはあなたの人生があり、子どもには子どもの人生がありますから。

3 自然にのびのび育てよう。よく遊べ、よく学べ。
 明治時代は「良く遊べ、良く学べ」というのがスローガンだったそうです。学校では「学校でよく勉強しなさい。家に帰ったら、家の手伝いをしたり、よく遊びなさい。」と教えていた時代です。その時代にいろんな大企業の創立者たちが育っていますが、今、アメリカではそういう時代だそうです。家に教科書を持って帰ってはいけない。つまり、学校で教えることは知的な教育ですけど、家で教えることは勉強ではなく社会的な勉強や人間関係、そういうことを教えて行くのです。
 遊びの中で、そういうものを学んでいきます。子どもたちの遊びというのは、非常に大切なことなのです。だけど今それが無視されていて、子どもたちが仲間と遊ばなくなりましたし、遊びも違ってきました。
そうすると人間関係が作れない子どもたちが大人になって、今非常に苦労している人たちがいます。人間関係がうまく築けず、人前に出ると喋れないとか、ものが言えなくなるとか、いろんな大人の人たちが出てきた。それは子ども時代にそういうことをしていないからです。
 だから幼稚園、保育所、学校というのは、楽しいところでなければならないのに、楽しくなくて行くから、不登校とか、幼稚園いくのが嫌だとかいうことになってしまう。だから本当に上手な幼稚園や保育所の先生たちは、子どもに強制をしません。私の知っているある幼稚園では、費用は高いのですが、やりたければいつまででも運動場で遊んでいていいのです。他の子は部屋に入って、ピアノで歌を歌ったり、絵を描いたりしているのに、遊びたい子は外で遊んでいていいのです。保父(今は男性保育士と言います)さんも二人いました。女の子でサッカーがやりたければやらしてくれる。そういう身体を動かすことを外でもやれるし、部屋で絵を描いたりしていたければそれでもいいのです。運動会の参加も自由です。オペレッタを子どもたちにやらせるのですが、そうすると、劇というのは主役が一人いて、あといろんな役があるでしょう。ところがやりたい人はみんなその役になれるのです。海賊船の船長さんが3人出てきて同じ歌を歌ったり、お姫様が4人いたりするのです。やりたくなければ出なくてもいい。だからやりたいものをやりたいようにさせてあげる。子どもたちは喜んでやります。
 また子どもたちにはこうしたらいい、ああしたらいいという提案をさせます。そうするとそれを受け入れて一緒に考えてオペレッタを作っていく仕組みができてきます。非常に面白い所で、楽しくてみんな行くわけです。嫌がる子はあまりいない。行かなきゃ行かないでいいのですから。だけど大概ほかの子が誘うのです。運動会に出ない子、走らない子がいるけれども、ほかの子が一緒に行こうよとか、みんなで誘う。そうするとそのうちにだんだんやるようになります。そうして仲良くなってみんな一緒にやるから、最後は出ない子はいなくなるのです。自由にさせています。そうしていると子どもたちはのびのび育っていきます。園長先生たちは、じっとそれを見ているだけで、主役は子どもたちです。
 学校も本来そうあるべきだと思います。ただ学校の場合はもう少し規則があっても良いかもしれないけど、今はあり過ぎです。子どもの自由な想像力を奪っています。

4 「闇教育」―― 子どもに間違ったことを教え、子どもに服従と従順を教え込むという教育原理(「楽園を追われた子どもたち」より)
 19世紀の終わりから20世紀の初頭に子どもたちを親に従属させた、特にフランスを中心に行われた教育です。親や大人のいうとおりにさせる教育です。それを現代の研究者たちは「闇教育」と呼んでいます。つまり、「親のいうことは必ず聞く。親はいつも正しい。親は尊敬されなければならない。親は子どもの要求に屈する必要はない。子どもは尊敬に値しない。子どもの価値を評価してはいけない。子どもにやさしくするのは有害である。服従する人は強くなる。外見の方が心より重要である。見せかけの謝意の方が感謝の気持ちが欠けているよりましである。激しい感情の動きは有害である。肉体は不潔で嫌らしいものである。」というようなことを、まだまだいろいろありますが、子どもに小さい時から教え込むのです。そういうことによって、子どもに従順と服従を教える。そして親の言うなりにさせる教育です。
 「スパルタ教育」というのは、フランスの乳幼児精神分析医が書いているのですが、「今では経済社会が生んだ精神病のーつとされ、同時に両親や教育者のサディズム的欲望の結果であると見なされています。」(前出書より)。フランスや北欧諸国では、スパルタ教育はおかしいとされてきました。だけど日本ではまだスパルタ教育は教育法として通用しています。スパルタ教育が教育法ではないとされるのはあと30年や50年はかかるかもしれません。
 ですから、体罰は教育としての有効性を持たないのですが、まだ日本では教育に多少の体罰は必要であるという考えがなくなりません。子どもに体罰をして、良いということは一つもありません。ただ隠れてやるだけになります。中学、高校になってから体罰をされると必ず仕返しを考える生徒が出てきます。だから学校が荒れるのです。子どもを教師の言うなりにさせようとするから、問題が起きるのです。(この文を最初に書いてから30年たちましたが、まだ体罰を反省しない教育界です。体罰しても、体罰自体を批判せず、やりすぎだとしか言いません。教師によるいじめや体罰が容認されている社会です。でも首相の都合の悪いことを言う人を逃げたりしないのに、何百日も拘置し、面会も自由にさせない社会ですから、それを直すことは難しいかもしれません。)

5 子どもに期待をかけないで。 
 子どもに期待をかけないでください。子どもの数が少ないと、どうしても子どもに期待をかけてしまいます。しかし、お父さんとお母さんが作った子どもですから、両親より飛び抜けて優れた人ができる訳ではありません。自分と同じになればいいと思って下さい。身長も、成績も、性格も、病気もそうです。みんな受け継いでいます。
よく小さい子への早期教育というのがありますが、「才能が伸びる」というのは思い違いです。というのは世界的に、早期教育についていろいろなことがわかってきています。            
 早期教育については、日本は遅れています。それについては、元ソニーの井深大(いぶかまさる)さんが書いていますが、早期教育した時に、早くそこまで到達できますが、そこから先伸びるわけではないというのが正しいのです。だから大人のレベルに早く到達するかもしれません。だけどそこから伸びるわけではありません。
 よく言われることですが、小さい時は神童で、小学校では天才で、中学では秀才で、大人になったらただの人というふうになってしまうのです。早く到達できるのですが、そこから伸びることはないのです。
ある人に言わせると、天才というのは、2,000人に1人の確率でいると言います。だけど天才というのは、1%の才能と99%の努力で達成されます。だから多くの人は努力しないから天才は滅多に現れません。努力は本人の強い意志とそれを支える環境です。自分の意志がない限りそこまでいきません。
 あるお相撲さんの話ですが、高校で日本のアマチュア横綱をとって、将来横綱を期待されて相撲界に入りました。高校、大学時代に取ったタイトルは20幾つにもかかわらず、小結にもなれないで引退しました。当然横綱になる素質があった筈なのになれなかったのです。その原因は、稽古が嫌いで努力をしません。幕内力士は1千万以上の年収は保障されますから、楽に生活できます。私よりも収入は多いです。そうすると努力しないでこの位でいいやと思っていて努力をしません。折角の能力があってもそれで終わる人もいるのです。

6 子どもの食欲を奪わないで。 
 子どもの食欲を奪わないで下さい。食事は楽しく食べるものです。お腹がすいたその空腹感を満たす、楽しいことですが、食べなさいというと、食べなくなります。私の小さいころは食べなさいなんて言われる前から、食べちゃいました。なぜかというと食べ物がなくて、いつも飢えていましたから。しかし今の子は、いつでも食べたい物は食べられる時代です。要するに、贅沢さえしなければ、食事はちゃんと食べられる時代です。今は、飢えで死ぬということは、滅多にありません。(これもこの30年で大きく変わり、子ども食堂が全国に作られる時代になりました。残念です。)
 また沢山食べれば大きくなるというのは、これは思い違いです。
 昔はそうだったのです。大きくなる素質がある子が、食糧難のために食べられなくて大きくなれなかったのです。その子が、成長が止まる前のある時期、沢山食べられるようになるとどんどん成長します。ところが今は食糧事情が豊かですから、欲しいだけ食べられる時代です。そうすると大きくなる子は沢山食べます。つまり身体がどんどん大きくなるから、お腹がすいてしょうがないから、沢山食べます。ところがもともと小さい子は、お腹がすかない。体が必要としないから。だから少ししか食べない。少ししか食べないから大きくなれないのではありません。
 大きくなる素質がないから、少ししか食べないので、これは生まれつきです。それを無理に食べさせようとするから、ますます食べなくなります。しかし、それでも子どもはどんなに少食でも必要最小限の物は必ず食べます。そして少食の子はカロリーが少ないから動かない。動くとカロリーを消費するからお腹がすくから。それから、あんまり考えない。脳を回転させることもカロリーを使う。だから少食になるとそうなります。
少食にならないようにするためには、お腹がすいた時に、お腹一杯食べる習慣をつけましょう。食事を強制しないことです。お腹一杯になったらおしまい。お腹がすかなかったら食べなくていい。お腹すいたときにお腹一杯食べる。これを小さいうちからやっていると良いのです。日本では思い違いの栄養学が氾鑑しています。でもそういうやり方ではうまくいかないのです。

 自然界の動物たちは栄養学を知らなくても餌さえ豊富にあれば肥満にも栄養失調にもなりません。つまり動物たちも人間の身体も、自分の身体が必要とするものをおいしく感じるようになっています。ちょうどよくなると、満腹するようになります。だから自然界には太り過ぎのライオンもキリンやしま馬はいません。ところが人聞に飼われると食欲が狂ってきて、太り過ぎや痩せ過ぎがでてきます。拒食症のコアラや肥満の猫などがそれです。
せっかく食糧があってもストレスで食欲がおかしくなってきます。強制されたり、制限されたりすることがいけません。相撲の関取の世界は、食べることが仕事の世界ですが、どうしても食べられない関取もいます。無理に食べさせると吐いてしまいます。
 自然界のようにのびのびとしていればいいのです。そうすると太り過ぎにも痩せ過ぎにもならず、少食も偏食もおきません。

7 三つ子の魂、百まで。 
 三つ子の魂百までというけれど、三歳までに良い習慣をつけさせましょう。実は大人もそうです。お腹がすいた時にお腹一杯食べて、すかない時には食べないという習慣をしていると本来ストレスさえなければ、自然に良い体型を保って栄養失調や栄養が偏ることもありません。でもどうしてもいろんなことに惑わされたり、ストレスで食欲がなくなったり、逆にストレス解消で食べてしまったり、楽しいことがなく食べることにしか楽しみがないと太ってしまいます。
 大体3歳から6歳くらいまでに子どもの性格の半分が決まります。だからそこまでにできるだけのびのびと育ててあげましょう。
私も昔は間違った考え方をもっていました。子どもに我慢を教えなければいけないと思っていたのです。これは思い違いでした。我慢をさせると、子どもは大人になって我慢をしなくなります。つまり嫌だなと思うと、自分が主人公になれる大人になったら、ああいうことはすまいと思ってしまいます。あなたにそういうことはありませんか。誰でも何かしらあるのではないかと思います。嫌な思いをすると大人になってしなくなります。だから我慢をさせてはいけないのです。
 
 例えば盲導犬の訓練の話ですが、盲導犬は、生まれた時にすぐ親から離して犬好きの家庭でのびのびと育てます。決して「お手」なんて教えてはいけません。何も教えません。ただひたすら可愛がります。そして1年くらいの時期が来たら、育ての親から離して、人間の教官と犬の教官がぴったりくっついて、2匹と1人で行動します。猛烈な訓練ですから、それに耐えるためには、何にも教えてはいけません。それまでに犬が嫌だなと感じたことがあると、途中で訓練を拒否したり、訓練に抵抗したりします。それを避けるためには、それまでのびのびさせて育てます。そうすると頑張って盲導犬になっていくのです。人間もそうなのです。
 のびのび育てられた人は、大人になって頑張ったり我慢したりできるようになります。子ども時代に嫌な思いをすると、大人になって我慢をしなくなります。
 また小さい時に怖がらせてはいけません。子どもは、小学校の低学年までは空想と現実の境目がありません。だから怖がらせるとそれが現実と思い込んでしまいます。小さいうちはできるだけ怖がらせない。怖い思いをさせない。怖い思いをさせると怖がりになります。
よく臆病な子がいますが、「母親が妊娠後期から乳児期の間にパニックになると子どもは臆病になる」と言います。そういう経験があると、その時期に育った子どもは臆病になります。ですから、できるだけ妊娠している時は、母親も楽しい妊娠生活を送ることが大切です。そのために妊娠中に胎教などをするのですが、楽しくなれば何でもよいのです。そして生まれて来る子に不安をもってはいけません。
 これは確定していませんが、生まれつきの異常をもっている子というのは、お母さんが妊娠中に何か精神的な問題があったのではないかと疑われています。だからのびのび育てて良い結婚生活を送っているお母さんの子どもはそういうことはありません。
昔、私が未熟児網膜症の訴訟を支援していたときに、ある網膜症の親の一人が、私と一緒に活動していた産婦人科の医師の所に来て「お医者さんは何か隠しているでしょう。未熟児網膜症に効く良いお薬があるのではないですか。隠さないで教えて下さい。」といってきた。「医者の子どもには未熟児網膜症がいない。だから何か薬があるのだろう。」と考え、「だけど、貴重なものだから、一般には出さないのだ。」と思ったようです。
しかし、そうではなく、医者と結婚すると経済的に豊かになるから、未熟児を産む確率が減ります。特に極小未熟児と言われている未熟児を産む確率が低く、未熟児網膜症になる確率も非常に低いのです。その上、未熟児として生まれたら良い未熟児医療施設に入院させます。そこでは、未熟児網膜症になりません。そういう理由だったのです。
 関連して言いますが、ガンには何とかというお茶が効くとか、最近の研究結果でわかったなどと宣伝されているものについては気をつけなければいけない。これは科学史の中では有名な落とし穴(ピットフォール)です。いかにも相関関係があるように見えて全く無関係。ほかの要素が入ってくるため間違った相関関係です。
 
 科学史では、イギリスで有名な話があります。「美人に生まれるとその女性の産む子には体重の大きな子が産まれる」という相関関係を出した研究者がいます。これは思い違いでした。美人に生まれると、イギリスでは階級制度が未だに残っていて、1ランク、2ランク上の階級の男性と結婚できて経済的に豊かになり、豊かになると当然生まれる子も大きくなるというだけの話でした。そういう、偽の相関関係というのがいくらでもありますから、新聞やテレビ、本や最近はネットに出ていもすぐ飛びつかない方がいいです。大抵は何年か経つと消えてしまいます。それは偽の相関関係だからです。歴史的に見ると科学上の落とし穴に落ちたことになります。

 マナーを教えるというのは幼稚園に入る4歳頃が適当と、アメリカ小児科学会は言っています。マナーの意味が小さい子どもたちには理解できません。今の若いお母さんたちに小さい子にマナーを教えようとすることが流行っているのですが、1~2歳の子には無理です。例えば物を借りる時、「貸してくださいと言いなさい」と教えます。2歳ぐらいの子に言っても意味がわからないから、見ていますとその子は、相手の子に「貸してください」と言うと借りられるものだと思っていて、相手が嫌だと言っても「貸してください」と言ってとってしまう。そういうことがあります。それは「貸してください」ということにはならない、つまりマナーがわからないのです。

8 子どもは親(特に母親)をうつす鏡。
 「子どもの振り見て我が振り治せ」。子どもは親の真似をして育つ。
だから子どもにさせたければ、お母さんがやって見せることです。3歳ぐらいの女の子で、お母さんが「お邪魔しました」というと、一緒になって「お邪魔しました」と言う子がいますが、親の真似をして覚えていく。親が「これ貸してちょうだいね。〇〇ちゃん」と言うと相手がうんという。そこで「じゃお借りしますね。」ってこういうふうに言って借りて見せます。「いや」と言ったら「それではまた後でね」という。そうするとそれを子どもは見ていて覚えていくのです。

9 北風ではなく太陽になろう。
無理にやらせるのではなくやりたくなるように仕向けます。太陽のようにポカポカ照らして、上着を脱ぎたくなるようにさせましょう。北風のようにマントを引きはがそうとすると、子どもはしっかりマントにしがみつきます。
したくなるようにさせます。そのためにはどうしたらいいか。楽しそうにやってみせます。一番真似をしたがるのは、少し年上の子どもがやっているのを見せることです。楽しそうにやっているのを見せるとやりたくなります。毎日毎日見せてあげます。そうするとやりたくなります。
 やりたがった時に正しいやり方を教えることが幼児教育のコツです。これは幼児教育だけではなく、何でも新しく始めるときは正しい教育を受けましょう。どんなスポーツでも自己流にしないこと。正しいやり方を教わる方が速く上達します。楽しければいいやというのならそれでもいいですが、速く上達したかったら、正しいやり方を身につけましょう。
 私は医学部学生時代にアイスホッケーをやっていましたが、カナダからアイスホッケーのコーチが来て大学のマネージャーを集めて講演しました。「日本人は小さいから不利だと言うけれどそんなことはない。小回りして速く動けばいい。」と言うのです。成程と思いました。その時に教えてくれたのが、「初心者に正しいやり方をきちんと教えなさい。へんな癖がつくと、一生治りません。ただ上手にそのくせを隠すだけです。」と言いました。実際そうです。私にも癖がありまして、治らないです。ただ上手に隠すけれども、ふっとしたはずみにまた出てしまいます。

 幼児教育もそうです。最初から正しいやり方を教えます。お箸の持ち方。鉛筆の持ち方。何でもそうです。正しいやり方をやりたがった時に教える。それが嫌ならやらなくていいのです。お箸で変な持ち方をして、それをなおすといやがって箸を放り投げたりします。そしたら持たなくていい。持ちたくなったら正しい持ち方を教えます。そうしていると、だいたい3歳で小豆の豆がつまめます。
 はさみやナイフもそうです。小さいから危ないなんて言わないこと。幼稚園で料理している番組を見ましたが、4歳の子に包丁を使わせています。また別の保育所では、2歳の子にはさみを上手に使わせています。側についていて、こういうふうに使うものだと教えて、やりたかった時に上手に持たせてやらせます。教えるとそういう持ち方以外はしません。特に一年上の子に教えさせると、すぐ言うことを聞きます。はさみはこういうふうに持つものだとその子が教えると、それ以外の持ち方をしません。だから3歳になってナイフを教えたり、4歳になって包丁を教えたりしたってちっとも危険ではありません。正しい持ち方をきちんと教えることがコツなのです。教えないで、自分で勝手に使おうとすると危険です。

 子どもは親を映す鏡。お母さんは子どもを見て、自分を直して下さい。小さい子は必ず親の真似をします。特に母親の真似をします。お父さんも子育てに参加している方は、お父さんの真似もします。だから、こどもにどこか問題があったら、お父さんとお母さんが相談して、まず自分たちを治すようにしましょう。でないと子どもは治らない。子どもを治したかったら、自分を治すことです。
 一般的に言って、人を変えるのは難しいです。でも相手を変えたければ、まず自分が変わることです。そうすると、相手も変わってきます。人間関係は相対的な関係ですから、あなたが変われば、相手も変わります。夫を変えたかったら、自分が変わることです。つまり、夫との関係も、子どもとの関係も、貴方との相対的な関係です。常に、お互いに影響しあって生きています。それが家族であり社会です。だから自分が変わらなければ相手も変わってくれません。相手だけ変えようと思ったら無理です。
 お母さんが変わったら、まず子どもが変わります。そしてできるだけ、ほめて育てましょう。ほめ上手になりましょう。これはなかなか大変で難しいことです。なぜかというと、お母さん自身がほめて育てられた経験がないからです。だから尚更子どもをほめて育てましょう。それがあなた自身を変えることになります。幸いなことに私はあまり叱られたこともほめられたことも無く、放任されたような形でしたが、それでも自分の子どもが悪いことをすると、若い時は子どもを叱ってしまいました。
 
 だから全く叱ってはいけないというのは無理ですから、叱るのは3回に1回ぐらいにして、残りの2回はできるだけほめて育てましょう。絶対叱ってはいけないと言うと、今度はお母さんたちのストレスになりますから、時には叱ってもいいが、回数は減らしましょう。親だって人間ですから、子どもにもそう思ってもらうしかないのです。叱らず、ほめて、おだてて、育てましょう。動物の調教は、3割は餌で7割はほめること。鞭を使うと、すきあれば襲ってきます。

10 あなたも子どもだった頃を、思い出して下さい。
 子どもの立場、目線に立って下さい。子どもを信じて疑わないで、嘘(うそ)はつかないで下さい。子どもだってそれなりに判るのです。よく話を聞いてあげて、必ず説明して、話をして下さい。子どもを疑うと、嘘をつくようになります。嘘をついていても、信じた振りをして下さい。嘘を信じられると、子どもは嘘をつき続けられずに、あとで必ず「あれは嘘だった」と打ち明けます。それを嘘でしょとか、嘘つきねというと、今度は繰り返し嘘をつくようになります。なぜなら嘘つきだから、嘘をついていいのです。

11 悪い子にせず、良い子にしよう。 
 子どもを叱る時に、子どもを全部否定するような叱り方はやめましょう。例えば「あなたは悪い子ね。あなたはぐずね。ばかね。のろまね。どじね。馬鹿ね。駄目な子ね。」など。こういう言葉はできるだけ子どもに使ってはいけません。
子どもの論理からいうと、悪い子は悪い事をしていいのです、悪い子ですから。良い子は、悪いことをしてはいけないのです。良い子ですから、良いことしかしてはいけないのです。ドジだねというと、ドジをしていい。なぜならドジな子だから。だからそういう言葉を使ったり、そういう言い方をしてはいけないのです。
 「あなたは良い子だから、こういう悪いことをしてはいけませんよ。」と言う。「あなたは良い子でしょ。それはいけないことでしょ。」と言う様にして良い子にします。そして言う通りにしたら、すかさず「あなたはいい子ね」と一言、言ってあげてください。そうするのは当たり前だと思っても、言ってください。そうすると子どもは、またしてくれます。何故なら、どんな子どもでもいい子になりたいのです。だから私の外来に来た子を、どこか必ずほめます。ほめる事によって子どもは気持ちが良いから、また来てくれるし、私の言うことを聞いてくれます。
私の診療所(吹上診療所)に代診できている東大小児科の先生たちにはいろんな先生方がいますが、握手をしたり、どこか着ているものなどをほめたり、みんなそれぞれ医者によってやり方が違いますが、上手な医者は子どもをほめます。それで仲良くなり、うまく診療できます。だからお母さんたちも上手に子どもを操縦したかったら、「ほめ上手」になりましょう。そうするとお母さんの手の上で子どもは踊ってくれます。ただし、小学校を卒業するくらいまでが限度です。女の子はもう少し早く見抜いて親の思い通りにならなくなります。

12 幼児教育は、やりたがった時に正しいやり方を教えるのが基本。 
これから、いろんな習い事を教えることになります。習い事を教える時のコツがあります。決して強制しないこと。やめたかったらいつでもやめさせましょう。そうするとまたやりたくなり、やりたくなったら、また復活します。
ところが「やりだしたからには最後までやりなさい。」と強制する人が多いです。これは特に、お父さんたちに多い。そうするとますます嫌になってしまう。嫌になると二度としなくなります。だからやりたくなかったら、いつでもやめてよい。そうすると、時間がたつとまたやりたい気持ちが出て来て、またやりだすことがあります。だからやめたかったら、いつでもやめさせましょう。それから、「ピアノ練習した?」「ピアノ練習した?」これを毎日言うとしなくなります。習い事は楽しいからやります。スポーツもそうで楽しいからやります。楽しくなければスポーツではありません。強制訓練です。
 以前、毎日新聞に載っていましたが、欧米ではスポ一ツは楽しいからやります。日本では楽しいからやるのではなく、身体を鍛えるためや健康のためにやるようです。
 しかし、身体を鍛える必要はありません。日本でもスポーツ医学を専門にやっている整形外科医などの医師たちに聞けば、「人間は何も身体を鍛える必要はないです。日常生活をきちんと送っていければいいのです。」と言います。運動やスポーツは楽しいからするのであって、楽しくなければする必要はありません。運動しないと身体が衰えてしまうという人がいますが、それは専門家に言わせれば思い違いです。日常生活をきちんと送っていければいいです。高齢になって動かなくなると、体の動きを維持するために体操や歩くことが必要になりますが、決してノルマにしないで下さい。
山田真という小児科医が本に書いていますが、「体育というのはなぜ始まったか。小学校で体育をして整列させていっちにいっちにと並ばして歩かせていく。いろんな体操をする。何のためにするかというと、西南の役の後から始まりました。政府軍はお百姓さんが中心の軍隊だった。そうすると、進軍の時に前進できない。普段、種蒔きや稲刈り、田植えなどみんな横へ横へと進んでやっているため、並んで前進できかったのです。武士は前に進めます。それで、そこから体育を始めました。」と言う。だから軍隊生活や、集団生活をするうえでは体育は必要ですが、人間が生きていく上では必要がありません。日常生活を普通に送っていければいいです。

 できるだけ子どもの立場に立って下さい。自分が子どもの時にはどうだったろうか。いつも自分が子どもの時のことを思い出して、子どもに接してあげて下さい。子どものしつけのポイントは叱らないこと。危険なことをした時には、叱らなければいけないと私も若い時は思っていました。でもそうではなかったのです。
 アメリカの小児科学教科書に書いてありますが、危険なことをしてほしくなかったら、子どもの目を見て何十回でも「これは危ないからしないでちょうだい。」と言う。3、4歳を過ぎたら、判ってくれます。これで言うことを聞いてくれたら、一人でいても決してしません。叱られていうことを聞くのであったら、叱られないところでこっそりやります。そうすると事故につながります。
危険なことは親がやっているところを見られてはいけません。子どもは必ず真似をする。子どもだからやってはいけないが、大人だからやっていいというのは子どもには通用しない。子どもはみんな大人と同じだと思っていますから、同じことをやる。

13 着せすぎにしないように。
着せ過ぎにしないようにしよう。昔は、「子どもは風の子」といって、みんな薄着だったのだが、最近は「かぜをひくといけない」と言って、一生懸命着せようとします。「寒いから着ていきなさい」というと、子どもが病気に対して関心が強くなり過ぎてしまいます。病気に神経質にならないで育てましょう。
 それに寒いから風をひくのでもありません。寒いからかぜをひくのではなく、冬乾燥するとウイルスが繁殖しやすいからです。南極の観測隊では、しばらくかぜをひく人がいませんでした。極地ではウイルスは生存できません。所が誰か隊員の一人が風邪のウイルスを南極の観測基地内に持ち込み、それからかぜを引く人が出るようになりました。基地内は暖かいからです。

 「そんなことしたら病気になるよ」と言って子どもがしていることをやめさせようとするのはやめましょう。逆にしてほし言ってことを言いましょう。「こういうふうにしましょう」とか、「こういうふうにしたらいいよ。」と言いましょう。決して命令してはいけないし、子どもを脅かして言うことを聞かせようとすることもやめましょう。命令すると子どもは反発します。選択肢のーつとしてこういうこともあるということを教えましょう。その中のどれかを選択させるようにします。
子どもには、薄着を嫌う子と、薄着をしたがる子とがいます。これは強制できません。
 最近は厚着にする方が多い。それは赤ちゃんの時から親が厚着にさせるからですが、いくら厚着にしても嫌がる子と、親の言うなりになる子といます。しかし子どもに厚着をさせない方がいいです。子どもは一般に体温が高めですから寒さに強いのです。だから、親より一枚薄着にさせるのが標準です。でも子どもが寒くて着たがったら着せて下さい。暑がったら脱がして、できるだけ薄着にさせて下さい。薄着保育をやっている保育所もありますが、嫌がるのを無理に強制するのもお勧めしません。薄着が嫌な子は着せなさい。薄着の方がいい子は薄着でいいです。最近減っているのですが、一時男の子に毛糸のパンツをはかせるお母さんが多いでした。毛糸のパンツを、男の子にはかせるのはやめましょう。
よく女性は「お尻が冷える」と言いますが、男はそんなことを言いません。男の子のオチンチンがなぜ外に出ているかというと、睾丸の温度を低くするためです。睾丸というのは、温度がある程度低くないと働きません。その為あまり暖めない方がいいので、生まれる直前にお腹の中から外に出てきます。だから毛糸のパンツはだめなのです。
 小さい時から厚着にしていると、大人になっても厚着の習慣になってしまいます。だからできるだけ薄着にした方がいいのですが、嫌がるのを無理にはしないで下さい。

 朝の食事を食べなくてはいけないと言う人がいますが、これも思い違いですからする必要はありません。食べたくなければ食べなくていいです。というのは1日2食だって構わないのです。鎌倉時代頃までは朝と夜の1日2食が普通でした。それから現在でも相撲取りは1日2食だし、1日2食健康法を推進している民間のグループもあります。その人たちは2食しか食べませんがそれで健康です。
もう一つ、昔新聞やテレビにも出ましたが、ブックスダイエット法を提唱している九州大学の藤野名誉教授は、一日一回しっかり食べてあとは適当にするというダイエット法を提唱しています。朝はできるだけ水分だけの食事で、昼は軽く食べ、夕食をしっかり食べます。そうする方がうまく痩せられます。いずれにしろ、朝食を食べることにこだわらないのです。子どもは朝お腹が空かなかったら、食べる必要がありません。お昼にお腹が空いたらいっぱい食べます。それで構わないです。
 朝しっかり食べさせたかったら、早起きをさせて運動させます。運動して時間がたつとお腹がすきます。食べないと動けないというのは思い違いです。お相撲さんは、朝食べずに稽古をしてから食事をします。昔私は高校時代に陸上ホッケー部に入っていましたが、夏の合宿では「朝マラ」と言って朝食前にマラソンをしました。と言っても距離は短かったですが。食べないと動けないというのは思い違いです。
またお父さんやお母さんが早起きをしないと子どもは早起きをしません。子どもだけ早起きさせるのは無理です。子どもに早寝早起きをさせなさいと言うけれど、親が遅寝遅起きだったらそれは難しいです。子どもは親の真似をして生活しています。
また親が遅く寝て早く起きる生活をしても、それは子どもにはまねをできません。子どもは体力を回復するためには、一定時間寝る必要があるからです。遅く寝たら早く起きられません。
 最近の子はなかなか早寝をしないというのは、大人の生活がそうだからです。また小さいうちは、くたくたになるまで昼間遊ばせれば、早く眠くなります。しかしそういう体を動かして遊ぶ場所が少ないのです。走り回らせたり、外で遊ばせたりしないと、家の中で遊んだぐらいではくたくたに疲れません。屋外で身体を動かす遊びをすれば、くたくたになるけれど、そうはならないのが現状です。前にいた吹上診療所は、待合室を広くとって椅子席の周りをゆったりとさせたら、子どもたちが走り回り困りました。それだけ走り回る場所が少ないからです。